メドーサの放った力は彼女の手元から小竜姫へと放物線を描いて移動した。
ずどぉぉぉぉん!!
轟音と共に術が地面に接触する。するとその地点から一直線に火柱がつきあがった。
「そんな……小竜姫さままで……」
おキヌが呆然とした声でつぶやく。その声に反応したのだろうか、メドーサは視線を美神たちに向かって投げ掛けた。彼女の背後にある火柱の明るさのせいで顔が影で埋め尽くされている。それが不気味さを更に際立たせた。
「ついでだ。お前らも殺しておこうか?」
その声はいつになくけだるい。
「くっ!」
慌てて何人かが戦闘態勢を取る。が、
ぼんっ!!!
唐突にそれは起こった。一斉にその音の発信源を見る。
「なっ!」
「なんだと!?」
まるで蛍のように散り散りになってそして消えていく炎。それはメドーサの放った火柱だった。それが、今跡形もなく消滅しようとしている。そしてその根元には人影。
「え……?」
「嘘……?」
そしてその壊れた魔力を背景に腕に小竜姫を抱えた武藤玄也が姿を現した。
彼はゆっくりとこちらに向かって歩きだした。誰もが魔法にかかったように動かない時空を、ゆっくりと。
「神父」
彼は短く呼びかける。唐巣はたまたま、距離的に一番近い場所にいた。
「小竜姫さまを」
そう言うと自分が抱きかかえた女神を唐巣に差し出す。
「ご無事であったか」
「ひどく消耗してますから。しばらく霊力を供給してあげてください」
「ああ……」
唐巣は目の前の展開に頭がついていけず半ば憑かれたように小竜姫を受け取る、そして、その時見た。最初、唐巣はそれをやけどか何かと思った。しかし違った。それは鱗だった。黒く光っている。
「! 武藤くん、その顔……」
「顔……? ああ、これのことですか」
と言いながらそれを触る。鱗は彼の右頬のほぼ大部分を覆っていた。それはそのまま首筋へと続き、服で見えないがおそらくまだ下のほうに続いている。ただ、袖から出ている手には鱗はない。
「あとで話します。それよりも……」
武藤は視線をメドーサに移す。
「ヤル気かい? あたしと」
だが、武藤はその言葉には反応を示さず、メドーサから目をそらし、辺りを見回した。そうしてから呼びかける。
「場所を変えないか?」
「ふん、かまわんさ」
「ありがとう。クサナギはいるかい?」
「ここに」
銀色の球体はすぐさま武藤のそばに姿を現す。
「飛行モードに移行」
「了解」
「ちょ、ちょっと!?」
美神が慌てて叫ぶ。
「何ですか?」
武藤はあくまで冷静だった。
「何だか知らないけど、きちっと説明してから行きなさいよ」
「後でします」
「後で? そんな答えであたしが納得するとでも思ってるの?」
「思いません。クサナギ、行くよ」
「あ! こら、ちょっと!」
美神の制止を無視し、武藤は空に飛び上がるとどこかへと行ってしまった。メドーサが後に続く。
「あの野郎! 逃がすと思うな! ピート、あたしを霧にして運びなさい!」
「待ちなさいよ、令子」
「何よ!」
「その前にやることがあるでしょう。ここはひとまず退却すべきよ。小竜姫さまも心配だし」
「でも、これじゃ、あたしたち、まるっきり部外者じゃない!」
「部外者でしょ。私達は単なる小竜姫の助っ人なんだから」
「まあ、とにかく……」
と西条が二人の間に割ってはいる。
「とりあえず小竜姫さまの治療をしよう。武藤君のことはとりあえず、その後で決める。それでどうだい?」
「美神さん、きっと武藤さんにも事情があるんですよ」
と、おキヌも横から援護射撃をしたので、
「ああもう、わかったわよ」
美神も折れた。
「クサナギ、戻って」
「はい」
「ふん、ここでやりあうのかい」
メドーサは辺りを見回した。何か平べったい建物の屋上だった。駐車場として利用されているらしく、あちこちに白線がしかれている。
「………」
武藤は何も言わずにメドーサを見据えそして口を開いた。
「メドーサ、先ほどの君の質問に今、答えよう」
「なっ……!?」
「たしか竜族戦争を起こした理由だったね。君の言うとおり、おそらく初代は意図的にあの戦争を起こしたのだろう」
「『おそらく』?」
「ある時点より前からの記憶が初代のヤマタノオロチには存在していない。理由は分からないけど。だから正確なところ、竜族戦争については僕は何も知らない」
「ふざけているのか?」
「大真面目さ。初代は記憶喪失者だったのさ。でも彼は何とかして思い出そうと努めていたようだ。断片的な情報だけ残っている」
「………」
「話を戻そうか。さっきも言ったとおり初代があんな事をした正確な理由は分からない。唯一つ言えるのは、彼にはそうしなければならない、という使命感があった」
「使命感……だと……」
「そう。だが彼は実際に自分がしたことの結果を見てひどく後悔していた」
「ふざけるな!」
メドーサは一気に武藤との間合いを詰めると彼の襟を両手で掴み、ひねりあげた。
「我々の王はそんな小物だったのか! それではまるで子供じゃないか! 自分でやったことの責任も取れず、予想も出来ず、壊すだけ壊してただ怯えている様な奴だったのか! そんな奴のために我々は何年も苦しんできたのか! ふざけるな! ふざけるなー!!」
勢い任せにメドーサは武藤を殴った。武藤の体が建物の端まで吹き飛ぶ。だがそれでも彼は立ち上がった。それを見てメドーサはまた彼をひねりあげる。
「そうだ。君らの王はそんな奴だったんだ。だから僕は君の前に再び現れたんだ」
苦しそうに息を吐きながらも武藤はそう言う。
「わけのわからないことをっ!」
「僕は君のこの質問に答えるために生き残った、という意味だ」
「そんなたわ言……!」
「いや、これは本当だ、メドーサ。今、僕のベースになっている人格は一度自ら僕らの魂を破壊しかけた。だがもう一人の人格が言ったのだ。君の質問に対しての答えだけはしておきたい、と。そうしたら自分は消えてもいいとまで言った。結局、完全に消えはしなかったけど……とにかく、そういう契約があって二人は融合した。そして今、僕はここにいられる」
「嘘だ。そんな小さなことで……」
「小さなことなんかじゃないっ!」
声が予想外に大きかったのでメドーサは驚いて両手の力を緩めた。
「メドーサ、君は一つ僕らについて勘違いしている。僕の中の片方だった人格は第三者によって封印されたんじゃない。自分で自分を封印したんだ」
「………」
「何故か分かるかメドーサ、僕は一度祖父に殺されかけたことがある。魔族とのハーフであるという理由だけでだ。それ以来、僕は魔族とのハーフではなく、人間として生き続けた。自分の記憶さえごまかしてだ。それ以来、『ヤマタノオロチ』はずっと表に出てこなかった。わかるか、メドーサ。今日の君が初めての存在なんだ。魔族とのハーフである武藤玄也を必要としてくれたのは。だからこそ『ヤマタノオロチ』は君の呼びかけに応じ封印を解いた。そんなものはいつだって簡単に解けたんだ。ただ、彼を誰も呼んではくれなかった。求めてはくれなかった。どんな理由だってよかったのに。君だけなんだ。ずっと長い間生きてきて。君だけだったんだ。だから彼は真に君の役に立ちたいと思っていたんだ。それは僕らにとって決して小さなことじゃない」
武藤がそれだけの言葉を一気に吐き出すのをメドーサはボーっと見ていた。そして気付いた。ああこいつも『同じ』なのだ、と。
ぐいっとやや強引にあごを持ち上げられる。メドーサは抵抗しなかった。
およそ十秒ほどですぐにそれは終わった。
「あなたとはもう少し別の形で出会いたかったかもしれない」
「私はそうは思わない。もし、そうなっていたら私もお前も生き方を変えなければいけなかった。そんなのはごめんだ」
「そうかもしれない」
武藤はあっさりと同意する。
「……もう、会うことはないだろう。さらばだ」
「ああ、さよなら」
メドーサは右に一歩ずれると武藤の横を通り過ぎた。
「変われないのか、本当に」
メドーサは何も応えずに立ち去った。
目を薄く開けるとシンプルな装飾が施された白い天井が目に入った。
(ここは……?)
ゆっくりと身体を起こす。左手にある窓から日が差し込んでいた。角度から見るに時刻は昼前と言ったところか。
「あ、小竜姫さま、気が付いたんですね!」
突然、窓と反対側から声。おキヌだった。両手にお玉の差し込まれたなべを持っている。
「唐巣さんはもう峠は越したっておっしゃってたけど、これでようやく安心できました」
「あら……ご心配をおかけしまして」
「いえいえ。あ、おかゆ食べますか?」
「あ、どうも。いただきます」
「ちょっと待っててくださいね」
そういうとおキヌは一旦サイドテーブルに鍋を置くと、姿を消しそしてまたすぐにおわんとスプーンを持って現れた。
「はいどうぞ」
「あ、いただきます」
と、一口食べてから小竜姫はたずねた。
「あの、そういえば、ここは……?」
「冥子さんのおうちですよ」
「冥子さんの?」
「ええ」
「あの……それで他の皆さんは?」
「えっと……」
とおキヌはしばらくの間、記憶を穿り返すのに時間を費やした。
「横島さんとタイガーさんとピートさんは家に帰られました。遅刻になるけど一応学校に行くそうです」
「タフな方達ですね」
「出席が危ないとかおっしゃってました。で、西条さんはそのまま直接仕事に行くそうです。多分、行くだけ行って早退するって言ってましたけど。それから……」
と、そこまで話した時、きいっと部屋のドアが開いた。
「あら〜〜、小竜姫さま、目を覚ましたのね〜〜」
冥子だった。
「あ、冥子さん」
「よかったわ〜〜、結局なんだかんだで玄也君も小竜姫さまも無事で〜〜」
「え、武藤さんも?」
「ええ、無事ですよ」
「それで武藤さんは今、どちらに?」
「えっと、それは……」
と、そこでおキヌは気まずそうに口ごもった。
「まさか……」
「あ、いえ、全然ピンピンしてるんですけど……」
轟音が鳴り響いたのはその時だった。同時に怒声が響き渡る。
「令子、そっちに逃げたわよ!」
「言われなくても分かってるわよ! 玄也、ちょっとあんた待ちなさい!」
「嫌です! 絶対に嫌です! なんですかその中世の拷問部屋から持ち出してきたような道具は!」
「あら、実際に使用されてたものよ」
「ちょっと美神くん、いい加減、ここらあたりで……」
「先生は甘い!あいつのせいで私たち死にかけたのよ!」
「そう言われると返す言葉もないですけど、殺されるのは勘弁!」
「殺しはしないわよ、ゾンビーにするだけ」
「霊体撃滅波!」
「ちょ、エミくん、それは洒落になって……ぎゃーっ!」
そして二度目の轟音。
「穴から外に逃げたわ、追うのよ!」
「とりあえず、一発殴らせなさい!」
ずひゅっ!
「殴ると言いつつ、霊体ボウガン連射しないで下さいっ!」
「知ったことかーっ!」
「…………………!」
「……………!」
声は段々と遠ざかっていった。
「えっと、唐巣神父はさっきまでは六道さんのお母さんと話していて、美神さんとエミさんも武藤さんと話していたんですけれど……その、いつの間にか……」
「ありがとう、大体分かりました。まあ、皆さんご無事でなりよりです」
小竜姫はため息をつきながらもそう言った。
「メドーサは……?」
ふと、思いついて口にする。
「さあ? 詳しいことは分からないんですけど、武藤さんが追っ払ったみたいです」
「そうですか……」
「撒いたな、撒いたな?」
「あの、玄也様、美神様たちは単に冗談半分でふざけているだけだと思われますが……」
「冗談半分だろうが、ふざけているだけだろうが、生爪引っぺがす道具なんて持ち出されてたまるか」
「確かに〜〜、それはちょっと困るわね〜〜」
「ろ、六道のおば様!」
「あらあら、驚かせちゃったかしら〜〜」
「そりゃ、全然気配がしないものだから」
「ここは〜〜、私の家だから〜〜」
「理由になってないですよ」
そう、言いながらふと、武藤はこの人実はとんでもなく強いんじゃないか、などと考えてみた。
「よかったわ〜〜、探してたのよ〜〜、ついてきてくれる〜〜?」
「はあ……」
武藤のあいまいなうめきを肯定と受け取ったらしく、六道女史はそのまま歩き出した。
「六道家と武藤家には昔から交流があったのはご存知かしら〜〜」
歩きながら彼女は出し抜けにそんなことを言った。
「え? ……いえ、初耳です」
「やっぱり、知らなかったのね〜〜」
「はあ、まあ」
「とにかく、そういうわけであなたの両親とも何度かお会いしたことがあるのよ〜〜。特にお父さんとは昔からね〜〜」
そこで六道家の当主は玄也の方に振り向いた。
「あなたにも、昔会ったことがあるわ〜〜。赤ん坊の頃の話だけど〜〜」
「そうなんですか」
無言でこくりとうなずいたあと、彼女はまた歩き出す。
「……どこまで思い出したのかしら〜〜?」
またも出し抜けにそういう。
「まだちょっと混乱してますけど大体のことは……」
「そう」
と言って部屋の扉を開ける。
「ちょっと待っててね〜〜」
「はあ」
「あ、その辺、適当に座ってていいから〜〜」
と言うのでソファーに座る。その間に六道女史は机の引き出しを何かごそごそと引っ掻き回していた。やがて、何か見つけて持ち出すと武藤の対面に座り、彼にそれを渡した。
「これは……?」
「手紙よ〜〜、あなたのお母さんからの〜〜」
「!?」
慌てて封を切って中身を取り出す。
玄也へ
あなたが今どこにいて何をしているのか、お母さんにはわかりません。だからあまり、具体的なアドバイスは出来ないわ、ごめんなさいね。同じく、あなたがどこまで知っているかもわからないので一応あなたに何が起こったのか全部書いておくわね。
まず、私は人間じゃないの。ヤマタノオロチって言う魔族、まあ、平たく言えば化け物なんだけど、まあ、魔族って呼ばれてる存在。あ、ちなみにお父さんはただの人間だから。
で、ここからが本題だけど、お祖父ちゃん、お父さんのお父さんね、が、どーもあなたのことを退治しようとしたらしいのよね。全く人の息子を何だと思ってるのかしら。まあ、あんまり恨まないであげてね。お祖父ちゃんは失敗して、あんたはこうして生きてるし。結果オーライと言うことで。
というのは、逆上したあんたの力のほうがお祖父ちゃんをはるかに上回っていたのよね。小さかったから、まだ魂の状態が安定していなくって魔族の力が暴走しちゃったみたい。お祖父ちゃんは多分、わけも分からないまま死んじゃったでしょうね。
まあ、気にするな、と言っても難しいと思うけど気にしなくていいわよ。冷たいかしら? でも私もいい加減頭にきてんのよね。あんた死ぬところだったし。
話がそれたわね。んで、暴走しっぱなしだったあんたを止めるために異変に気付いた私が駆けつけて。で、まあ嘘ついてもしょうがないからはっきり言っちゃうけど、その時にちょっとヘマやらかして致命傷を負っちゃったのよね。今、最後の力を振り絞ってこれ、書いてるのよ。なかなか感動的なストーリーじゃない? でもまあ、これも本当に気にしなくていいわよ。
何故かって? 覚悟してたからよ。お父さんと結婚して、子供が出来たってわかった時、何が起こるか想像つかなかった。ひょっとしたらはらわた食いちぎって出てくるかも……なんて考えたりして。まあ、それはさすがに冗談だけど、そのぐらい前代未聞のことだったのよ。
私の記憶を完全に受け継いだら分かると思うけど。私達の一族は先祖からの記憶をずっと受け継ぐから。生まれたときから既に何千年も生きてきた気がするのよね。だから、人生に満足しちゃってるのよ、結構。まあそれで残りの一生をこの子に費やしてみるのも悪くないかな、なんて思ったの。魔族と人間のハーフっていうだけでその子がつらい目を見るってのは楽に想像できるし、その上、ヤマタノオロチって言えばいろいろとワケありだからね。だから、産む以上はどんなことがあっても責任取んなきゃって思った。だから私も後悔はしてない。まあ大きくなったあんたを見れないのはちょっと残念だけど。
意外と長くなっちゃったわね。あと一応この事件に着いてはあんたに封印かけといたから。成功したかどうか分からないけど。そうそうそれから最後に二つだけアドバイス。それを書いたら終わりにするわね。
一、誰もあんたの命を奪う権利はないわ。何があっても精一杯抵抗しなさい
二、生きてく上で大なり小なり他人に迷惑はかけてしまうものだからどうせならたくさんかけちゃいなさい。ただし、かけた分だけ、ちゃんと迷惑かけられること。
じゃあ、このへんで終わりにするわ。あなたが楽しく生きれることを願ってる。
P.S お父さんが一周忌過ぎる前に再婚してたら即、こっちに送ってちょうだい。
顔を上げると冥子の母がこちらにむかって微笑みかけていた。
「読み終わったの〜〜?」
「ええ、まあ、何というか母らしい文面で」
「そう……」
というと彼女は口をつぐんだ。
「想像はつくと思うけど〜〜あなたのお母さんが魔族だっていうことを知ってた人は極わずかだったわ。もう、多分、私と旦那ぐらいね〜〜。でね、この手紙を渡された時、言われたの〜〜、どうかあの子には近付かないでくれって〜〜」
「………」
「何でって聞いたら、何か起こった時にあなたは安全な場所にいて、事が終わったらこの手紙を渡して欲しいって言われたの〜〜。この手紙は何かあったあとに確実にあの子に渡してほしいって〜〜」
そこで、彼女は一旦ほう、とため息をついた。それからしばらく黙り込むとやがて意を決してたらしくしゃべりだした。
「でもね、本当の理由は別の場所にあるの。あの人は私の心情を察知していたのよ。正直、私はあなたのことが怖かった。私には守らなければいけないものがいろいろあった。夫とか、家とか、娘とか……そういうものをあなたが一瞬にして壊してしまうんじゃないかって怖かった〜〜」
一気に早口でそれだけ言う。
「ごめんなさい」
そして頭を下げる。
「……謝ることはないですよ。当然ですから」
「GS試験の時に冥子があなたのことを話してくれたわ〜〜正直、どうしようかと思ったわ〜〜」
「………」
「でもあなたにあったら魂の状態も安定してたし、何の問題もないって安心できた。冥子もあなたのこと気に入ってたし、これが一番ベストな形なんじゃないかって思えたわ〜〜でもこんなことになって……」
そこまでい言って彼女はすっと目を細めた。
「それで、あなたに聞きたいの〜〜、もう二度とこんなことを起こさない自信があるかどうか」
「大丈夫ですよ」
一言で言い切った。
「もうこんなことは起こりません。自信ではなく、確信としていえます。僕はヤマタノオロチであり武藤玄也でもあります。完全なる人間と魔族のハーフです」
「そう、よかったわね〜〜」
顔をほころばせながら六道の母は立ち上がった。
「じゃあ、これからもあの娘たちをよろしくね〜〜」
「出来る範囲内のことでなら」
「そういう受け答え方はお父さんとそっくりなのよね〜〜」
そう言いながら彼女はふところから何かの箱を取り出した。
「これは?」
「ただのエクトプラズムよ〜〜その顔で町に出るわけには行かないでしょう〜〜それで人の皮膚を作りなさい〜〜」
そっと武藤は自分の右頬に触れた。黒光りする鱗がそこにある。
「何から何まで」
「気に病むことはないわ〜〜、それじゃあ私は仕事に行くから〜〜」
「お気をつけて」
「ありがとうございます」
冥子の母はドアを開けて部屋を出た。武藤はそれを見送ったあとぐっとソファーに沈み込んだ。それから玄也は少し泣いた。
「あ〜、玄也くんだ〜〜」
かん高い声が六道家の廊下に響き渡る。
「冥子さん……」
「もう、体の具合は平気なの〜〜」
「ええ、大丈夫ですよ。ところで美神さんと小笠原さんは?」
「庭のほうに玄也君を捜しに行ったわよ〜〜後で行ってあげてね〜〜」
「ええ」
絶対に行くもんかと思いながらそう答える。
「それはそうと〜〜小竜姫さまには会った〜〜?」
「いいえ? どうしてです?」
「さっき、起きて玄也君を捜しにいったから〜〜」
「会ってませんけど」
「あ、小竜姫さまだ〜〜、玄也君ここにいるよ〜〜」
いそがしい人だ、と思いながら武藤は冥子が呼びかけた方に振り向いた。そこに彼女がいた。
少し歩きませんか、と小竜姫が言うので玄也と彼女は庭に出た。屋敷を出てからしばらく二人は無言で歩いた。先に沈黙に耐えられなくなったのは玄也のほうだった。
「唐巣神父から聞きましたよ。今回の件ではずいぶん世話していただいたそうで、ありがとうございます」
「いえ、私はたいしたことは……」
「そんなことはありませんよ、感謝してます」
「……そう言えば、どうやって生き返ったんですか? 冥子さんの式神が見ても何の反応もなかったのに……」
「ああ、それですか。冥子さんはね、うっかり失念して僕の霊気とヤマタノオロチの霊気しかサーチしてなかったんですよ。もう、僕の霊気はその二つのどれとも違いますし、何より、霊気がほとんどなかったから見落としてたんでしょう」
ちなみにそんなミスを犯したことでもちろん冥子は今朝、美神からきつくお叱りを受けていた。
「つまり、最初から死んでなかったって言うことですか」
「まあ、概ねその通りです」
「なるほど」
六道家の庭は広い。きちんと整備された花壇はもう二人の横を通り過ぎている。その先の森の中の小径へと小竜姫は歩を進めた。またしばらく沈黙が続く。
「……玄也さん」
「はい?」
が、唐突に小竜姫は立ち止まった。そして真剣な表情でこちらを振り返る。口をきゅっと結び、目を精いっぱい開きまるで泣きだしそうだった。
「小竜姫……様……?」
さすがの玄也も驚きを隠せない。
「一つ、聞いていいですか?」
「……答えられることでしたら」
「あなたは……あなたは本当にヤマタノオロチなんですか」
沈黙は思いのほか短かった。
「はい」
「そう……ですか」
何かを確認するような口調だった。
「あの……小竜姫さま……」
「武藤さん」
玄也の台詞をつぶす様に小竜姫は声を返す。
「私は……あなたのことが嫌いではありませんでした。少しうそつきですけどやさしくて頼りがいのある人でした」
「今は……違うと?」
「いえ、今もきっとそうでしょうただ……」
「……ヤマタノオロチですか?」
「…………」
無言。それはこの場では肯定を意味した。
「私、自分勝手ですよね、きっと」
「いえ……僕だってわかってます。僕らが──ヤマタノオロチが──何をやったのか、何をあなた達から奪い、何を押し付けたのか……」
「………」
小竜姫は何も言わなかった。だから武藤はそこで話は終わったものだと思った。身体を回し、彼女に背を向ける。
「待って!」
だがそこで小竜姫は武藤を呼び止めた。
「あなたは……あなたは……」
しかし声はそこで止まってしまった。小竜姫も武藤も何も言わないまま短い時間が過ぎた。
「すみません……なんでもないです」
そして、結局小竜姫はそう言った。言わざるを得なかった。
「小竜姫さま」
今度は出し抜けに武藤が口を開く。
「僕も……あなたのことは嫌いではありませんでした」
そして今度こそ本当に背を向けて歩き出した。
「さよなら」
「盗み聞きですか? 生爪はがすよりもたちが悪い」
「そんなつもりじゃなかったのよ」
と、小笠原エミはさすがにバツの悪そうな顔でそう言う。言いつつ、体重を預けていた樹から身体を離す。
「美神さんは一緒じゃないんですか?」
「手分けして、捜索ってことになったわけ」
「ああ、なるほど」
「っていうか、何? あんたら恋人なんかだったの?」
「まさか」
首を振って武藤は否定する。
「別れたんじゃなくて、絶交したんですよ」
「ふーん、ま、どっちでもいいけど」
ふー、とエミは息を吐いた。そうしてから武藤に視線を合わせる。
「それはそうと、あんた、これからどうするの?」
「家に帰ります。書き上げなきゃいけない報告書と見積書があるんで」
「……そう」
「小笠原さんは?」
「あなたと一緒。日常に帰るだけ」
「そうですか、では」
「もう帰るの?」
「六道さんに挨拶してから。美神さんにはよろしく伝えといてください」
「わかったわ、じゃあね」
「はい、さよなら」
「おっかしぃなー、どこにいるんだろ」
美神は六道家の広大な庭を歩きながらそう、ぼやいた。
「もう、敷地内から出たとか? まさかね」
と、そんなことを言っているうちに遠くに人影が見えた。それは、
「あれ、小竜姫さまじゃない」
「……ああ、美神さんですか……」
「ねえねえ、小竜姫さま。玄也の奴見なかった?」
「玄也……? 武藤さんのことですか」
会話をしながら美神は小竜姫に近付いていく。と、彼女の顔の細部まで鮮明に分かるようになって美神は思わず足を止めた。
「小竜姫さま……」
「はい?」
「泣いてるの?」
「泣いてる?」
小竜姫は今はじめて気付いたというふうで、手の甲で頬の涙をぬぐった。そのぬれた後をまじまじと見てポツリとつぶやく。
「私、悲しんでいるんでしょうか」
「……みたいね」
それは時々食事をする。
正確に言うなら『還元』というべきか。
一度放ったものを又吸収する行動。
だが、いかなそれとていつも完全に元に戻るわけではない。
少しずつ、だが確実に、
そいつの力は衰えていった。
そしてある時、それは自分の力が衰えているのを認識した。
休息が必要だった。
断る理由もないのでそれは本能のままに動く。
だが……
その間に事態はそいつらの思いもよらぬ方向へと動いていったのだ。