時の道化たち

第一部ゴーストスイーパー武藤玄也
舞えよ竜〜パーフェクト・レッド〜


 上右上下左。
 小竜姫は次々と襲い掛かるメドーサの攻撃をしのいでいた。
「はっ!」
突きが繰り出される。小竜姫は神剣で受け止め、勢いに逆らわず後方へ飛んだ。壁に両足をつけ、反動でさらに加速。剣を片手に持ち替え霊弾発射。爆発。最小限の動きでメドーサの後ろに回りこむ。が、
「そこぉっ!!」
裂帛の気合とともにさすまたが振り回される。身を低くして避け、さらに接近。そして……下から切り上げる!
(浅い!)
剣はメドーサの胴体を保護するプロテクターに当たり、斬撃の衝撃のみを彼女に伝えた。相手の顔がゆがむがそれも一瞬。
「このっ!」
メドーサが右足で小竜姫のわき腹を狙う。小竜姫はかろうじて剣で受け止めた。が、次のメドーサのこぶしまでは防ぎきれなかった。こぶしは小竜姫の頬に当たるが、小竜姫はインパクトのタイミングをずらし、最小限のダメージに抑える。同時にメドーサの足をつかむと霊弾をゼロ距離で発射した。
 二人の間が急速に広がるが、やがてメドーサがこちらに突っ込む。ならば、
(さらに加速!)
 メドーサは小竜姫が何をやったかすぐに気づいた。
(ばかめっ!)
胸中であざ笑い、
「はあああぁぁっ!!」
吼える。霊圧を最大限まで開放。エネルギー、いや意思が四方にはじけ飛ぶ。
「負ける……ものかぁぁぁーー!!」
小竜姫は叫ぶと右手に全霊力を集めた。霊気は収束され槍のような形となりメドーサにその先端が向けられる。
(速い!)
メドーサは慌てて自らも霊弾を作り出すとその『槍』に向けて発射した。
 爆発の振動は予想以上に大きかった。

 振動によってヌルが一瞬バランスを崩したのを武藤は見逃さなかった。
「其は殺意、其は悪魔、其は破滅、穿てよ魔弾!」
武藤によって描かれた魔法陣から生まれた無数の霊破片がヌルに向かって襲い掛かる。だがそれらはヌルが杖を一振りするとあっさりと消えた。
「それで?」
ヌルは嘲笑するように尋ねた。武藤は無視して間合いを詰め、ハイキックを見舞う。パン、と妙に小気味良い音とともに、武藤のけりはヌルの片手で止められていた。武藤はひるまずにすばやく足を引くと正拳突きを打ち出す。これも止められた。今度は左のフック。だが、ヌルがそれを受け止めようとした直前武藤はぴたりとその動きを止め、逆側である右のローキックを繰り出した。ゴッと鈍い音。まともにヒットするがヌルは倒れない。
「このっ!」
だが、頭に血が上ったのだろう。手に持った杖を振り上げこちらの肩口めがけて袈裟懸けに打ち下ろしてくる。
(かかった!)
だが、今はまだ仕掛けない。後ろに下がり、ヌルの一撃を避ける。こういった場合次の攻撃はたいていの場合左薙ぎになることを武藤は経験則で知っていた。果たしてヌルは武藤の予想通り薙いできた。ヌルのボディががら空きになるその一瞬、武藤はわざと少し遅めにヌルに過度に接近した。ヌルは慌てて離れる。
(ここ!)
武藤は今度こそ本気で襲い掛かるようにヌルに飛び掛った。
 破術より一技──『楔』。頭の位置を少し下にやり、あごに頭突きを食らわせ平衡感覚を狂わせる。両足を引っ掛け相手を仰向けに倒す。ひざをたて落下の最中に相手の太ももの上方の空間に移動。そして、地面にヌルのからだが不時着すると同時にひざの頭を相手の太ももに向かって振り落とし、相手の二の腕を握る両手から霊弾をゼロ距離で発射。その反動で浮き上がると武藤はすばやく叫んだ。
「クサナギ!!」
ヌルの反撃を避けるため、大急ぎで相棒を呼び出し空に浮かび上がる。ある程度距離を保つと武藤は地面に降り立ち、クサナギをまた腕輪の中に戻すと身構えた。
 ヌルは起き上がらない。
(チャンスか!?)
その間に辺りを見回し、出口を探す。だがない。巧妙に隠されてしまっているようだ。自分が入ってきた扉があるはずだがそれすらも見つからなかった。このドーム型の部屋はどこもかしこも似たような光景でひどく位置の判別がつきづらい。
「武器になりそうなものを探しているなら無駄ですよ」
そういいながら、ヌルはむくりと起き上がった。
「実は私は昔、人間にいっぱい食わされたことがあってね。そのときと同じ轍を踏まないよう、君をここにおびき寄せたのですから」
「同じ轍って?」
時間稼ぎのつもりで武藤はそう尋ねた。
「私の敗因は自分の力を大きくするために自分の力より大きなものを作ってしまい、それを逆に利用されたことだ。ここは錬兵場でね、つまりは純粋に力を試しあう場所なのだよ。ちなみに壁を壊して逃げる、などという無謀な考えはよしたほうがいい。先ほどの私の術が当たっても壁には傷ひとつつかなかっただろう」
「それはあなたの力が弱いからでしょう」
「挑発には乗らんよ。君の一撃を受けたおかげで冷静になれた。今後、一切君を見くびったり、過小評価しないように勤めよう」
「当方としては見くびったり過小評価するほうをお勧めしますが」
「結構だ」
「そうですか」
ヌルは杖を構えなおした。
「もう一度言うが少々急いでいる。一気にいかせてもらおう」
「それはお互い様。僕もあんたを倒したらここにいる魔族全部倒さなきゃいけないんだ」
「……あくまで小竜姫に付き従うというわけだ」
言うと武藤は少し、心外そうな顔をした。
「なんだか誤解があるみたいだけど……僕と小竜姫様は友人でもなければ、味方でもない。ただ偶然会ってお互いに争う理由がなかっただけだよ」
「ではなぜ、ここにきた?」
「あの鮫型の……機械かい、あれは? あんなもん何百匹もばっちらまいているから、付近のかたがたに迷惑だよ。おかげで僕にお鉢が回ってきた」
「……あれは鮫じゃないぞ」
ヌルは不満気だった。
「何だっていいさ。どうせここに制御装置なり設計図なり何なりがあるんだろ。それを壊させてもらう」
「なぜ、それを……?」
「企業秘密」
「……まあ、それこそどうだっていいですが。どちらにしろ君はここで死ぬ。この場にいる魔族を倒す心配もしなくてよろしい。──とは行っても私のほかには一人しかいないがね」
「………」
武藤は心の中で臍をかんだ。敵の数がそこまで少なかったならば小竜姫を先に行かせた意味がない。
(策におぼれたか……僕らしいな)
武藤は自らを皮肉った。
「おしゃべりはここまで」
ヌルが杖を上に振り上げた。そして、
「光よ」
刹那、武藤の眼前の風景は白一色となった。

 粉塵はしつこく自らの存在権を行使してやまなかった。メドーサは適当な壁にもたれかかると衣服をちぎり血──正確には霊気構造が液体化したものだったが──を流している自分の右の上腕部にその布をすばやく巻きつけた。超加速はすでに解除されている。
(ひ弱なもんだ……)
竜といっても実力などたかが知れているではないか、とメドーサは自らを嘲った。
 そろそろ煙が晴れる。メドーサはさすまたを握ると油断なく前方を見据えた。弱ってるのを悟られないよう息を整える。まったくの虚勢というわけではないが、余裕を見せ付けるほど優位でもなかった。
 小竜姫は彼女の正面にいた。彼女もまた虚勢を張っている、とわかったのは自分もまたそうしているからだったにすぎない。
 ただ、小竜姫にはメドーサほど目立った傷跡はなかった。が、衣服はぼろぼろである。ストッキングもあちらこちらに穴が開いてるし、スカートやジャンパーもほこりにまみれているのが良くわかる。
「──ふっ……」
「何がおかしいんです」
「おかしいさ。いや、おかしいというより哀れだな」
「?」
「お前は不思議に思わなかったのか? なぜ私がお前の目的がわかったと思う? お前がこの島に侵入してから一時間足らずで、だ」
「それは……あなたがあの時実際にかかわっていたからでしょう?」
「違う」
「違う?」
「そろそろ、話してもいいかな。私としてもこのままお前が何も知らずに逝くのは少々不憫だ」

 そこには天井はおろか、地平線さえなかった。さらに言えば自分がきちんと床の上に立っているのかも怪しくなってくる
(幻術だ……)
そう知覚したにもかかわらず風景は変わらない。先ほどもそうだったが相手の幻術よほど完成度が高いらしい。
(タイガーと同レベルか、それ以上か……)
現在考える議題としてはさほど意味を持たない思索ではあった。
「其は闇、其は光、其は虚構、解けよ害意」
反対呪文発動。だが、風景は何一つ変わらなかった。
(くそっ……!)
先ほどとは違い本気で仕掛けているらしい。霊格に差がありすぎて、武藤の力ではまったく打ち破れなくなってしまった。
「雷よ……」
それはとても静かな声だったが、よく響いた。こちらに向かってくる紫電が体にあたる直前にうっすらと見え……
(避けられない!)
その認識と実際にヌルの攻撃が当たるのはほぼ同時だった。
「がっ!」
血液が沸騰しかかる。気を失いかけるほどの激痛。背に当たる衝撃、おそらくは壁までふっとばされたのだろう。
「くそっ!」
考えろ。
(止まってたらやられる!)
吹き飛ばされたときに変な風に足首をひねってしまったらしい右足を無理やり武藤は動かした。一歩走るごとに脳内麻薬が分泌されるがとても追いつかない。
「氷よ!」
今度は多少切羽詰った声だった。
「クサナギ!」
相棒の姿は確認できなかったが、いつもの感触ははっきりとある。周りの気流が渦巻き、それによって自分が上昇してることを知った。下のほうで派手な音がする。
「相手の位置、確認できる!?」
「不可です!!」
「僕が相手の補足を担当する! クサナギは回避に専念して!」
「了解!」
言うが早いか──おそらくはでたらめな動きだろうが──クサナギは動き出した。一方武藤は霊感を最大に働かせ、敵を補足しようと努めた。だがうまくいかない。空気中の霊濃度が高すぎてヌルの霊気はひどく捕らえづらかった。
「そこっ!」
短く叫び、破魔札を投げつける。結果のほどはまったくもってわからなかった。爆発がうっすらと見える。衝撃。激痛。
(!?)
最初は何が起こったのかわからなかった。ようやく地面に叩きつけられてから、相手がこちらの高度まで飛んできてその杖が自分の肩口を叩いたのだと知る。ヒーリングを施すがダメージは深刻ですぐには痛みは引かない。それ以前に足が──骨でも折れたのだろうか──使い物にならなくなった。ヒーリングでは骨折は治せない。武藤は無様に仰向けになりながら痛みをこらえた。
「玄也さま!」
印を描く。
「黙っててくれ、気が散る!」
来た。正面からだ。突っ込んでくる。
「其は大意、其は甘美、其は救い、今、汝、我の力を代償にその大いなる力を再びこの世界に現出させ我が眼前の敵を浄化せよ響けよ福音!」
周りの風景よりもさらに白い光が輝いた。
「ぐぁっ!」
手ごたえ、有り。と、同時に周りの風景が元通りになった。ふらりと幾分脱力しながら立ち上がる。改めてチェックすると足は骨が折れていたのではなく打ち身でひどい青あざができているだけだった。
「クサナギ、戻っていい」
彼は無言で腕輪のヒスイへと戻った。と、同時にちょうどヌルがふわりと地面に降り立つ。武藤は油断なくヌルをにらみつけた。ヌルは苦虫をつぶしたような顔をしていた。原因はおそらく、彼の右手にある例のにび色の杖が半分ぐらいのところからぽきりと折れていることだろう。ヌルは少し残念そうにその杖を後ろに投げ捨てる。
 武藤が動いた。
 呪文を使わずにごく小規模の魔方陣を発動、迂回するように相手に接近。魔方陣から飛び出した炎はヌルの一にらみで掻き消えた。同時に霊弾を発射する。ヌルはわずかに体の向きを武藤のほうに修正しつつ、その霊弾を左手で打ち払った。武藤はかまわず、続けて霊弾を打ち放つ。もはや手で打ち払おうともせず、ヌルは全てをなすがままにしておいた。さらに接近。ヌルはそっと懐に手を入れた。武藤が危険を察知するのは遅すぎた。
 パン。
 その音が銃声だとわかるには少し時間がかかった。
「ちっ!」
 痛い、というよりむしろ熱い。太ももから血が流れ出している。ヌルの右手にはいつの間にか銃が握られていた。小型の精霊石銃。
「やれやれ、せっかく新しい発明品のテストをしようと思っていたのに……壊されてしまっては元も子もない」
ヌルはちらりと壊れた先ほどの杖のあたりを見やった。隙だらけだったが右足は動かなかった。死が緩慢に近づいている。
 パン。
 右肩。
 パン。パン。
 腹部。左腕。
 そして……
「これで最後ですよ。安らかに」
ねらいをよくつけるためだろう。ヌルがこちらに向かって歩いてくる。
 パン。
 暗転。

「知っていると思うが、天龍童子の暗殺計画は『反対派』の暴走だった」
「……やっぱり、そうだったんですか」
メドーサはちょっと意外そうな表情を浮かべた。
「知らなかったのかい?」
「確証がなかっただけです」
「そうかい。まあいいや、続けるよ。だがこの動きを『賛成派』の連中はずいぶん前から知っていた」
「!?」
「いや、ちょっと違うな。もともとあの計画で竜族が二分されてしまうことを摩那斯(まなし)のじじいはよく理解していた。なんてたって、自分が『賛成派』として名乗りを上げたんだからな。勢力図が激変するのは必至だった」
「………」
「『反対派』の動きはあのじじいにとってみればまさに、飛んで火にいる夏の虫だったんだろう。だがひとつだけ予想外のことが起こった。もっとも厄介な娑羯羅(しゃがら)の野郎がこの件に関してはクリーンだったからだ。新たな証拠をでっち上げるには遅すぎた」
小竜姫は少し話のスピードについていけてはいないようだったが、メドーサはかまわず先を進めた。
「そういった意味では摩那斯にとってはお前はさぞ疎ましかったろうねぇ。お前一人で事態を解決してしまったんだから」
「私一人じゃ……」
「あいつらにとっちゃ人間など物の数に入らんよ。そう、ちなみに言うなら美神令子、つまり人間に助力を求めるというのもまずかった。摩那斯は人間に対してあまりい感情を持ってないからな」
小竜姫はなんといっていいかわからず、ただ黙っていた。
「最初の質問の答えを言おうか。『なぜ私がお前の目的をすぐに察することができたのか?』。答えは摩那斯が教えてくれたから、だ」
「ウソも大概に……」
「そうさねえ、厳密に言えばうそさ。直接私に教えてくれたのはやつの代理人でしかも娑羯羅の代理人と名乗ったからな」
「そんなことをして摩那斯様に何の利益があるというのです?」
「まだ分からないかい。摩那斯は一気にかたをつけようとしたんだよ。娑羯羅たち『反対派』を一気に追い落とそうとね。やつの書いた台本はこうだ。『反対派』の暴走でおきた天龍童子の暗殺事件、ことの真相を確かめようとし、単身魔族の基地に乗り込んだある女竜神は……」
いいながらメドーサは小竜姫を指鉄砲でパンと打つふりをした。
「やはり、『反対派』である連中の裏切り、具体的には情報の漏洩によって、あわれ、その若い命を落としてしまいましたとさ……というわけだ。まるでどこぞの三文芝居だがね。さらに理想を言うならお前が息も絶え絶えに証拠を持ち帰ってその場で死ぬというのが一番いいんだろうな。これなら三文芝居からちょっとした美談に格上げだ。どちらにせよあいつ自身が血眼になって証拠を探し回ってるから最終的にはさほど違いはないが、手間は省ける」
「ふざけないでください」
「自分でもうっすら気づいていたんじゃないのかい?」
「問答無用!」
言うが早いか小竜姫は飛び出した。神剣を薙ぐ。ふっとメドーサの姿が消えるが小竜姫の目は確実に敵を捕らえていた。キッと上を見上げ霊弾を放つ。メドーサも同時に。二つの玉は互いに衝突することなく、互いに向かって進んでいく。だが、霊弾が目的の座標に到達するころには二人はすでに平行移動を始めていた。方向は小竜姫から見て左に。
 合図があったわけでもないのに二人は突然九十度曲がって同時に互いに向かって接近した。そのまま数合打ち合うが接近戦に関して言えば、剣よりもさすまたという、槍に近い形状をした得物を持つメドーサのほうが有利だった。
 ついに小竜姫のわき腹をメドーサの石突が捕らえる。だが踏み込みが浅く、それはそのままダメージの浅さにつながった。しかしそれでもメドーサにとってみれば十分だった。小竜姫がひるんだ一瞬でメドーサは小竜姫が剣を持つ右手を蹴飛ばす。神剣はあらぬ方向に飛んでいった。
「しまった!」
そう入ったものの小竜姫はメドーサが思っていたほどのパニックには陥らなかった。だがそんなことにはとりあえず頓着せずさすまたを振り下ろす。小竜姫が右に避ける。返す矛先で追撃。今度は下に避けた。彼女はそのまま両手を突き出し……
(まずい!)
メドーサはとっさに後ろに下がり小竜姫の掌底をかわした。小竜姫はかまわず、今度はその突き出したままの手の平から霊弾を打ち出した。強烈な一撃。
「このっ!」
さすまたで霊弾を受け止め、はじくとメドーサは慌てて小竜姫を探した。見つけると小さくしたうちをする。小竜姫はすでに自分の神剣を回収していた。
(油断したか……)
相手の剣を奪ったことで優位に立ったと考えてしまったのは失策だった。反省は手短に。メドーサは体力の不必要な減退を免れるため、ふわりと床に降り立った。
「メドーサ……」
相手が話しかけてきたことは少々意外だった。
「なんだい。薄気味悪いね」
小竜姫は無視した。
「仮に……仮にあなたの行っていることが事実だとしましょう。でも私はそれでもかまいません」
「………」
メドーサはあからさまに馬鹿にした顔つきになった。
「あなたの言ったシナリオなら、『反対派』は私の死によって完全に失脚する。結果としてあの計画は成功する。無駄に死ぬよりは多少ましでしょう」
「……小竜姫。どうやらお前には根本的な勘違いがあるようだな」
メドーサの顔には先ほどとは違った表情が貼り付けられていた。哀れむような、蔑むような。呆れたような。
「?」
「愚かしいにもほどがある。まるで温室で育てられた世間知らずの嬢ちゃんだよ、それじゃあ」
「余計なお世話です」
「事実だからな。お前は結局のところ道化だったよ」
「何が言いたいんです?」
「お前は計画を成功させるために必至でがんばってきたつもりなんだろうが『反対派』はもちろん、『賛成派』にさえあの計画を成功させよう、などと言う気持ちはさらさらなかったのさ」
「え……」
今度こそ、小竜姫は驚いた表情をその顔面に貼り付けた。
「『反対派』はまだしも、『賛成派』にとってはお前とあの計画は権力闘争の道具に過ぎなかったのさ。すべての中でお前一人だけが空回りしてたんだよ」

 ヌルは武藤の体を部屋の隅っこにごみのように放り投げた。
(さて、死体の処理は後でするとして……)
どうしようか、とヌルは自答した。メドーサと小竜姫の対決は終わっただろうか、先ほどの爆発から、あまり物音はしない。とはいってもここと格納庫はそれなりに離れているのでよっぽどのことがないとここまで音が届かない。だが、逆に言えばここまで音が聞こえてくるというのはよほどのことだった。ということは先ほどの爆発で決着がついてしまったということもありうる。
(だが、もし決着がついてなかったとしても……)
メドーサは自分が参戦することにあまりいい顔はしないだろう。それどころか拒絶される確率の方が高かった。
(司令室に一度戻るか……)
あそこなら確か監視カメラを通して映像が確認できるはずだった。最もメドーサが壊してしまった可能性もあるが、もしそうならそれはそれで確認しなければいけない仕事だった。
 さらに言えば、武藤玄也が警備探査ユニットの制御装置のことを知っていたのも気になった。システムを、少なくとも制御装置の場所を変えた方がいいかもしれない。現在、あれは司令室にある。
 ヌル折れた杖を回収し、それから後ろを振り向くとすっと腕をかざした。目の前の壁がガコンという音を立てて開き、司令室への通路が現れる。……プレッシャー。
(プレッシャー?)
ヌルは自分が感じたものの正体に名をつけるのは平生より少し時間がかかった。理由は二つ。それまでにそのようなものを感じたことがあまりなかったから。そしてもう一つ、こちらのほうが大きい理由だが、自分にそのようなものを与える存在が思いつかなかったからだ。だが、とにかくヌルはその正体を見極めるべく後ろを振り向いた。
 武藤玄也が立ち上がっていた。両腕をだらりとたらし、前髪のせいで顔も良く見えないが、うなだれていることは確かだった。健康で五体満足な状態とは程遠い格好。だが、それでも、
(生きていた……!?)
ヌルはまず自分を落ち着けた。落ち着け。考えてみれば、瞳孔や脈拍の確認はしてなかった。精霊石銃で頭を撃ったが、しょせん精霊石はエネルギーの塊に過ぎない。対抗する強いパワーがあれば食らってもダメージなしでやり過ごすことは──人間の霊力では難しいとしても──理論上十分可能なことだ。
 ヌルがそこまでの結論を得たとき武藤はふっと顔を上げた。ヌルは一瞬、違和感に襲われ……次の瞬間その正体に気づいた。
 瞳だ。
 瞳の色が先ほどまでの褐色ではない。その色はおぞましいほどに美しく静かにぎらついた赤色だった。
 ただひたすらに赤かった。
 ぞくりと肌があわ立つ。

 クサナギは迷った。

 血のように、だとか炎のように、だとかそんな言葉さえその瞳の色には失礼というものだった。本当にそんなレベルではない。まじりっけなしで純粋で完璧で……。今まで見てきた『赤』という存在がすべて偽者ではなかったのかと疑うほどに、赤い。
 だが残念ながらヌルにはその色をじっくりと鑑賞する余裕はなかった。精霊石銃の狙いを定め、引き金を引く。少々派手な音を立てながらその弾丸は武藤の額めがけて飛んでいく。だが、その弾丸は武藤の前で掻き消えた。
(!?)
動揺しつつも頭の一部はやけに沈着冷静だった。その部分はこう語りかける。あれは精霊石銃の弾丸がより強い力──たとえば結界──に当たったときに起こる現象だ、と。
 気づくと武藤に変化が出始めていた。顔を心持ち上に上げ、腕も少し前方に広げるように上げる。コオオォォ、と妙に目立ちたがりやなその音でヌルは武藤が息を吸っているのだとわかった。
 オオオオオォォォォl……ピタ。
 その行動は突然止まった。一瞬の間。そして、
「ガアアァァッ!!」
あえて言うならそれは獣の咆哮に近かった。霊圧を解放している。少なくともヌルはそう感じられた。そして理性はそれを否定していた。彼の衣服がばたばたと乱暴にはためき、体は吹き飛ばされそうな状態になる。
 人間の霊圧がここまで強いわけがない。
 だが、そのうちに信じられないことが起こった。武藤の足元の床、そこに亀裂ができ始め、際限なく広がっている。ここは錬兵場であり、その性格上、かなり頑丈なつくりをしているにもかかわらず、だ。変化は床だけにとどまらない。壁も、天井も、みしみしと不吉な音を立ている。バキン、と音がして天井の一部が剥がれ落ちた。
 息を吸っていたとき同様、霊圧の開放も唐突に終了した。その赤い眼がまっすぐにヌルを見据える。
(?)
それは不快感の一種だった。のどまで出てきているのに肝心の単語が出てこないのと同じように、もう少しで何かが思い出せそうなのにかそれが出てこない。
(そうだ……)
自分は前にこれとよく似た霊波を見たことがある。あの瞳の色もだ。どこでだ。確か今よりずっと若いころだ。
(…………………!)
不意に目の前の光景と、過去の映像と、自分の知識とが、つながった。そして……浮かび上がるひとつの名。
「あ……ああ……」
我知らず、ヌルは震えていた。絶望のみが彼の心を占め、胸中でつぶやく。
 勝てるわけがない。
 数瞬後、彼の予想は現実となった。血しぶき。

 それで原因が見つかるわけではない。それはわかっていたがメドーサはとっさにこの振動の正体を見極めようと辺りを見回した。
(何だ? 何が起こっている?)
振動は不気味だった。途絶えることなく続き、しかも次第に揺れが大きくなっている。地震ではない。メドーサはとっさに小竜姫を見たが、彼女も何が起こってるかはわからないようだった。
 メドーサはようやく音と揺れの発信源の方向を突き止め、そちらを見やった。
(この方向に何がある?)
確か、司令室があり、武器庫があり、錬兵場がある。さらに注意深く聞こうとしたそのとき、唐突に振動が止まった。
「止まった……?」
小竜姫がほうけたようにつぶやいた、そしてその数瞬後、特大の衝撃がその基地全体を襲った。

 プロフェッサー・ヌル、正確にはプロフェッサー・ヌルだったもののを武藤は思いっきり振り上げると地面にたたきつけた。耳をふさぎたくなるような大音量が当たりに響き渡り、床には穴が開く。ヌルの体はすでに原形を留めていない。武藤は興味を失ったようにヌルの体の一部をその辺に放り捨てた。
 瞬間、武藤の右手に装着されている腕輪が光り、銀色の球体がそこから飛び出した。球体はすぐに分解されるように帯状の形態となり、武藤の全身にその身を巻きつけた。
「がっ!」
武藤の反応は少しばかり遅すぎた。とりあえず、のどにまとわりついた銀色の帯を引き剥がそうと必死になる。が、帯は伸びるばかりであった。武藤の腕からは次第に力が抜けてくる。そして、もう一度口惜しそうにうめくとその場にばたりと倒れた。
 銀色の球体はまた元通り、腕輪の中へ入っていった。


※この作品は、ジャン・バルジャンさんによる C-WWW への投稿作品です。
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