そこは、白かった。
わけのわからない形容の仕方だが、それが一番ふさわしいだろう。
白い壁紙、白いレースのカーテン、白い衣裳入れの上にある白い花瓶、生けてある白い花。
何から何まで白かった。日のあたるベッドも、レースのひるがえる窓枠すら。
ベッドに座っている少年もまた、例外ではなかった。白い服に身を包み、左手には白い包帯が巻かれている。髪の色まで、白だ。
少年は、日の光の中で、本を読んでいた。白い装飾が施された本を。
内容は、とてつもなく難しいものだった。高校を中退した――扱いとしては休学だが――少年には、理解するのは容易ではなかった。
それが、よかった。
難しいからこそ、少年はそれを理解しようと努める事が出来る。難解だからこそ、読み解こうと努力できる。
努力しようと、集中する事が出来る。
集中をすれば、それだけ、時の経つのは速くなる。
だからこそ、よかった。
正直、少年には、本に書いてある内容などどうでもよかった。理解する必要も無いし、そのつもりも無かった。
ただ、時間が過ぎてくれればよかった。朝目覚めてから夜眠りにつくまでの、時間。一歩も部屋から出る事が出来ない、退屈なだけの時間が過ぎてくれれば。
ふと、少年は本から目を離し、窓の外を眺めた。
外には日常が広がっている。
公園。楽しそうに遊びに興じる子供達。ベンチで世間話に花を咲かせる母親。犬を散歩に、男性が入ってきた。その後ろを、女子高生が楽しそうにおしゃべりしながら通りすぎる。
日常。当たり前だった日常。
一年前までは、自分もあの中に居た。
ふと、そんな思いが少年の頭をよぎる。
学校に行き、友達とくだらない会話をし、つまらない授業を受け。
道を過ぎるナイスバディなねーちゃんに鼻の下を伸ばしたり。
バイト先で――――
そこまで考えて、少年はかぶりを振った。
よそう。考えても仕方のない事だ。自分は既にそこには居ない。自分は既に日常には戻れない。思うだけ、焦がれるだけ、無駄なんだから。
日常と言うなんでもないものへの憧れを胸に秘め、少年は再び本に目を落とす。
早く時間が経てばいい。時間が経つのが速ければ、それだけ早く夜が訪れ、眠りにつける。
一日が終わる。
そして翌朝、また、同じ一日が始まる。また、同じ本に目を通す。理解できない本に目を通す。
無駄な理解のために時間を費やす。時間を浪費する。
時間を浪費するために、無駄な理解に時間を費やす。
それが、少年の今の日常。朝起き、夜寝る以外はないに等しい日常。
非日常的日常に包まれた白い空間。それが、今の少年の世界。
少年の名は、横島忠夫。
後に、人魔と呼ばれる存在である。