隣から壁越しに聞こえてくるラジオの声を背に、花戸小鳩は空を見上げた。
闇には満月。浩々と輝くそれは優しく、わけもなく笑みがこぼれた。
『お次は皆さんお待ちかね! 近畿剛一の、お悩み相談室〜〜〜どんどんパフパフ〜♪』
隣から響くラジオは、小鳩に現実を付きつける。
横島が、居ないという現実を。
一年前、学校で彼が倒れて大騒ぎになったことを、小鳩はよく覚えている。
救急車が校内に入り、何事かと窓から覗くと、彼女の想い人が運ばれていったのだ。
それ以降、横島は学校へは来ていない。ずっと病院生活をしている。
いつ帰ってきてもいいように、小鳩はまめに横島の部屋を掃除していた。いつ、帰ってきてもいいように。
しかし、横島の症状は面会も許されないほどに悪化し、入院は長期に及んだ。
アパートが解約され、新しい住人が入ってきたのは、当然ともいえる経緯だった。
新しく入ってきた住人は女性で、引越しそばを持ってきてくれた。
隣人としてそれなりに交流があったし、女性は悪い人間ではなかったが、小鳩はあまり関わり合いたくなかった。
小鳩にとって、隣の部屋は横島の部屋だったから。
会うことすらもできなくなった横島と自分との、小さな小さな、しかし大切な絆だったから。
横島の部屋を掃除することは、その絆を確かめる行為だったから。
だから、横島の部屋が横島の部屋でなくなったときの小鳩のショックは、大きかった。
横島との絆が、断たれた。
それからしばらく、小鳩は笑うことができなかった。
もし、あの時、月一で外に出た横島と偶然にも会わなければ、小鳩は今も笑えないままだったろう。
久しぶりに会った横島は、以前と変わらない笑顔で、「やあ、小鳩ちゃん」なんて手を上げた。
それは突然の不意打ちで、小鳩は自制心が効かなかった。
横島の胸に顔をうずめて、泣いた。周囲を気にする余裕はなかった。ただ、出会えたことが嬉しくて、泣きじゃくった。
小鳩は思った。ああ、やっぱり、私はこの人が大好きなんだな、と。
見上げた空は、漆黒に白銀の円。
小鳩は、月の女神に祈る。
どうか、横島さんが無事でありますように――――