No.1 | 2000/07/14 01:01 | 中村 守博(task17@mocha.ocn.ne.jp) |
No.2 | 2000/07/15 01:50 | 笹蒲鉾(hayakawa@kamab.net) |
どうもこんにちは。相変わらずテンション高いですナー(苦笑)。
〉 しかし、「嫁取り編」の次に繰り出したのが、
〉 ほのぼの濃姫&ぐったり信長ってのは、多少の清涼感を味わえました。
まあ、いくら戦国乱世といえど毎日戦争した訳ではなく、平和な日々も多かった
ということですね。こういう平和な日常を演出することで、戦争との落差を生じさせてくれますね。
〉 三河武士は、織田今川両方の顔を立てねば存立できない状態だった
〉 ので、まあ仕方がないでしょう。
元々「守山崩れ」に乗じた織田側に非がありそうですが・・・。まあそんな悠長なことを
言ってられないのが、この時代の宿命かあ。
〉 『落差』と言いますか、守るべき何かが存在するのだから
〉 最後に、信長が『明後日戦場(いくさば)についてこい』と、ヒヨシに
〉 告げるまでの流れの意味を、最初の3ページで補完しています。
ですね。
〉 すっかり、蜂須賀長屋に居着いて馴染んだ様子のヒナタさんですが
〉 二段ぶち抜きで『見返り美人』って構図がグッ!ときましたけども
〉 オバさんに『カレは如何?』で、タコ殴りの応酬ってのも可愛いんですけども・・・
〉 それと、次頁で『でもさ・・・―――』ってイキナリ場面が台所に移動するのも
〉 かなり映画的な演出でグッときましたが、やはり割烹着+リボン(若しくは手ぬぐい)は
〉 反則ですか?
まあ今回でヒナタの使い方が大体わかったような。根拠無く日吉を慕う様から見て、
単なる盛り上げ要員に徹するということですかね。どうも彼女の方向性が見えません。
ヒカゲの方が謎カードを保有していて、まだ使い道ありそう。
〉 ぶっちゃげた話、戦国時代は、『男色』(だんしょく)って言う
〉 武士の嗜みというか、社交というか、風習が根強くありました。
〉 ただ、現在の価値観で『男色』を切ってはいけません。
ははは、そうですね。こういう風習は中華ですと宦官置き換わるのかしら。
皇帝が幼い時から、側に居てくれるのが宦官ですからね。玄宗付きの宦官・
高力士は美男子だったそうな。やっぱ男も顔ですかい!(笑)
〉 この頃の女性の社会的権利は全く無さそうに見えますが、実は日本の歴史において
〉 女性が参政権を得たり、フェミニズム運動や、強い女性「キャリアウーマン」って
〉 追い風で女性の権利を主張している現在よりも、更に強く逞しく女性の時代だったのです。
〉 と言うか、我々の想像が「大河ドラマ」や「時代劇」等に出てくる、
〉 『家』を頑なに守る女性や、大和撫子的なほんわりした女性とかを見すぎているのが
〉 その元凶です。
そうですね、女性が過当に押さえ込まれたのが近代でした。理由として、当時産業革命に
より、安い労働力の需要があった為、女性が注目されたのですが、あまりに過酷な雇用状況
でした。それ故、彼女らを守るために仕事の規制を設けて、家へ閉じ込めてしまったのですね。
東洋サイドでは、宋時代に女性は自由の全盛を極めたようですが、それに反発した?儒教層が
纏足なるものを広めて、やはり家に閉じ込めたのですね。
〉 あの名シーンは両者が多分に江戸時代初期のまだ戦国の気風が残っている
〉 頃の女性である好例だと思います。 そして絶妙なタイミングでお互いが
〉 調和したとも言えます、この場合のお互いは、戦国時代の女性と封建体制の女性ってニュアンスで。
あの場面をそういうスタンスで見ることもできるのですか。
〉 それはさておき、とにかくこの時代の女性は「現代人の女性以上に凄まじい Power の
〉 持ち主で飽和状態であったと言えますし、事実夫に金を貸して金利を取った嫁もいたそうですから
〉 濃姫が以外とマジであったかもしれませんね、実際は夫である信長とバクチ打ちたい一心と
〉 思われますが。(笑えましい)
韓非子だったかなあ、へそくりし過ぎて離縁になった妻の寓話があったような(嗤)。まあ、それとして
帰蝶としては彼女なりに、夫に打ち解けたかったのかもしれませんね。
夫に金を貸す女かあ・・・、日野富子がそうだったかしら。そういや彼女が原因で(もちろんこれだけが
要素ではないけど)戦国の大乱が生じたのですね、皮肉なものですね。
『今週のトビラの元ネタは『パットン大戦車軍団』って言う映画の
最初のシーンで「パットン大将」がゴテゴテ勲章を付けて登場するシーンと思われます。』←知ったかぶり
と、椎名先生の映画の守備範囲って広いですね。(笑)
しかし、「嫁取り編」の次に繰り出したのが、
ほのぼの濃姫&ぐったり信長ってのは、多少の清涼感を味わえました。
それにヒナタさんが、袖まくりで出演なさってましたし!
割烹着姿じゃなかったけど・・・。
それはさて置き、織田方の三河方面である出城に
わらわらと、三河方の足軽部隊が突入とは!
確か、竹千代さんは未だ織田方の人質だったはずですが
三河武士は、織田今川両方の顔を立てねば存立できない状態だった
ので、まあ仕方がないでしょう。
その安祥の城の守備役(城主)が、信長のアニキの信広さんですが
これまた、無骨で汗くさいというか腰に黒帯シメて号令掛けている姿は
まあぁ〜腹違いとは言え、血は争えぬ程の闘将ですね。
信秀の『一本気』を強く遺伝子に刻み込まれたと思われます。
しかし、その判断力は信長の庶兄並ですね、ちなみにセリフの間の取り方も。
伝令の報告に『貴様の感想なぞ聞いておらん!』と一喝してるシーンでも
伺えるように、その鋭い眼光の奥には、『何かあるな』と武将のカンが働いています。
この様なテンポのいい展開は、大河ドラマや劇画漫画等では良くありますが、
少年漫画として次の『戦国時代何吹く風よ〜♪』と、ほのぼの蜂須賀郷のシーンに
上手く繋げるのは結構難しいと思います。
『落差』と言いますか、守るべき何かが存在するのだから
最後に、信長が『明後日戦場(いくさば)についてこい』と、ヒヨシに
告げるまでの流れの意味を、最初の3ページで補完しています。
閑話休題
すっかり、蜂須賀長屋に居着いて馴染んだ様子のヒナタさんですが
二段ぶち抜きで『見返り美人』って構図がグッ!ときましたけども
オバさんに『カレは如何?』で、タコ殴りの応酬ってのも可愛いんですけども・・・
それと、次頁で『でもさ・・・―――』ってイキナリ場面が台所に移動するのも
かなり映画的な演出でグッときましたが、やはり割烹着+リボン(若しくは手ぬぐい)は
反則ですか?
と、椎名流の間を下敷きに、「ひょっとしてそっちの気が―――」と
かなり動揺しているその背後に、問題の人が「にゅ!」と現れて「その悩みが」飛んでいく
ってテンポの良さは美神からの伝統ですね。(笑)
さて、ではこの時代は「その様な気が」ってのがどういう世情認知をされていたかを
一応書かねばと思います、つーか、ジパング自体かなりやおい的要素を持ち合わせている
と思いますし、その混乱を避けるためにも、民情史実的なお話をちょいと。
ぶっちゃげた話、戦国時代は、『男色』(だんしょく)って言う
武士の嗜みというか、社交というか、風習が根強くありました。
ただ、現在の価値観で『男色』を切ってはいけません。
その当時は、名のある年少の主武将(勿論男)に、可愛がれて出世する配下の武将は
大体、年少の頃から『小姓』として、その側近にたむろするものです。
だからといって、あれやこれやって訳ではなく、大体は「布団で一緒に寝る」
「その肉体美を愛でる」程度と考えて貰えればいいと思います。
事実、後に「前田犬千代」が、北陸戦のあと安土城で祝賀の会が催されたとき
信長が「真、利家は猛将ぞ、儂が年少の頃は良く一緒の布団で寝たものじゃ。」と
並み居る武将の前で発言した時には、諸武将は「まこと、利家殿は果報者ぞ」と
利家を羨む程でしたので、あとは説明の必要が無いと思います。
つーか、信長の小姓の話を続けると、小姓=美少年 て、構図が
以外と頭に浮かぶと思います。「森 蘭丸」を筆頭として後半信長の側近は
美少年だらけの様相を見せますが、信長自身「小性」(変換ミスではない)と、
公文書に書いているほどですから、だめ押しですね(笑)
しかし、この小姓ってお役目は、ただ美少年であれば良いって訳では
更々なく、その任務が現代の「社長秘書」以上であり仕事は沢山あり
次から次ぎにくる、部下からの報告書、各方面の密偵報告書等々・・・
それらを、「信長が次々に決裁できる状況を作り出す」って非常に難儀な
お仕事であったのです。
ゆえに、アノ方面でも実務でも『優秀でなければ』小姓失格であったのですよ。
後に甲斐方面の太守になった河尻氏も小姓出身ですが、彼は後に家康から
攻め滅ぼされたため、愚将の汚名を着せられましたが、実際は文武両道の優れた
将であったのです・・・が相手が海千山千の家康(当時四十路?)と、本能寺の変で信長が業死した
混乱で、あっけなくヤられたと見る方が相対的に正しいかも知れません。
閑話休題
ほのぼの蜂須賀長屋井炉端談義でヒヨシとヒナタをからかって楽しんでいる
現代風のおばちゃんの後方から、ぬっ! と擬音を出して
その話題の核心人物が登場するってテンポってやはり、グッとくるんですけど
これって、ノスタルジーですか?(汗)
さて、こちらも三段ぶち抜きで「浮かないツラ」の信長さんではありますが
既にグロッキーの様ですね! やはりマムシの娘はスゴイのなっ!
しかし、考えてはイカンと思うのですが、濃姫さんって印象深いですね。
と、賭場で庶民女の格好に扮装して、「独り勝ちですわ!きゃーぁぁぁ」と
大はしゃぎの濃姫さんですが、犬千代&堀?&小六 相手に大勝ちするとは
凄まじい強運ですね。(笑)
と言うか、信長が連れてきた時点で「箱入り娘で初心者だしぃぃ・・・ここは」
と、初めはビギナーズラックで勝たせていたと思われますが、どうやらそうでも
無かったようです。
賭場主(小六)がスッカラカンって状態で叫んでいる状態ではそのバクチ運は
相当なものでしょう。
しかし、気品漂うその姿から想像もつかないご無体なお言葉が
同じくスッカラカンの信ちゃんにかけられます。
「私の勝ち分をお貸ししますよ?低金利で!」
と、夫から金利?!と、信長は言い返しますがこの辺りの話もしてみましょうか?
この頃の女性の社会的権利は全く無さそうに見えますが、実は日本の歴史において
女性が参政権を得たり、フェミニズム運動や、強い女性「キャリアウーマン」って
追い風で女性の権利を主張している現在よりも、更に強く逞しく女性の時代だったのです。
と言うか、我々の想像が「大河ドラマ」や「時代劇」等に出てくる、
『家』を頑なに守る女性や、大和撫子的なほんわりした女性とかを見すぎているのが
その元凶です。
確かに、江戸時代に突入した時点でそうなりましたが、「家を守る&大和撫子」って
日本女性の概念が「武士階級」のしきたりがそのまま下々に広がったと見るのが妥当です。
民俗学の本を読めば、明らかにその当時の女性は「何者にもしばられない自由闊達な」
性格因子を持った人が多かったのです、好例が「女華姫」ですね。
何故か、GS美神の「スリーピング編」まで遡りますが、あの時、
おキヌちゃんが人身御供をかってでたあと、女華姫が「わらわと変われ」との
一幕があります。
あの名シーンは両者が多分に江戸時代初期のまだ戦国の気風が残っている
頃の女性である好例だと思います。 そして絶妙なタイミングでお互いが
調和したとも言えます、この場合のお互いは、戦国時代の女性と封建体制の女性ってニュアンスで。
ええと、脱線しました。 ・・・金利の話です。
つーか、濃姫さんって金持ってるのかってツッコミが必要ですが、この場合は
実は持っていた、いや持ちすぎていたとも言えます。
何故ならば、濃姫は仮にも斉藤山城の守道三入道の娘ですから(肩書きがながい)
そのご婚礼時に尾張の那古野城に持ち込んだ金子や家財道具は凄まじかったと
史書は伝えていますし、ジパングでの濃姫自身も利発で機知に富んでスゴイので
夫に隠れてへそくりの一つや二つっ!造ることは容易いでしょうね。(笑)
実際、あの「内助の功」の元ネタである、とある大名の嫁(正室)が、
いざっと言うときにへそくりして、夫(大名)に名馬を買ってあげたという逸話は
その事を如実に表しています。
それはさておき、とにかくこの時代の女性は「現代人の女性以上に凄まじい Power の
持ち主で飽和状態であったと言えますし、事実夫に金を貸して金利を取った嫁もいたそうですから
濃姫が以外とマジであったかもしれませんね、実際は夫である信長とバクチ打ちたい一心と
思われますが。(笑えましい)
すいません、第二部につずきます。