未来

No.12000/09/07 06:18 沼津市民

「未来は先の見えない高速道路」みたいな表現が初代ターミネータのエンディングに
あった気がするけど、ヒナタの言っていた「未来が見えないのがこんなに〜」を
椎名高志氏の新連載に対する意気込みと受け取るのは間違ってますか?

GS美神だって先が見えないといえば見えなかったけど・・・

No.22000/09/14 00:23 中村 守博(task17@mocha.ocn.ne.jp)

 ども、中村です。

 41号のサンデー買ったのは、月曜日でした。

〉「未来は先の見えない高速道路」みたいな表現が初代ターミネータのエンディングに
〉あった気がするけど、ヒナタの言っていた「未来が見えないのがこんなに〜」を
〉椎名高志氏の新連載に対する意気込みと受け取るのは間違ってますか?

 「未来が見えないのがこんなに〜」のセリフのときの描写は、はっと思うと
 極楽の『 GS美神 78 』での、吾妻公彦氏が 37巻 150ページの
 シーンに極めて酷似しています。

  この場合も、吾妻氏は、制御の効かないテレパスとして
 人の心がみんな見えてしまうって言う「状況に堪えられない」キャラとして
 描かれていましたが、
 
  ヒナタの場合は、心と時間の差はあるにせよ、
 「未来が見えることによっての精神的重荷を感じていない。」フシがあります。
 ヒナタとしては、未来が揺らいで、もはや予測不可の世界(歴史の流れ)って
 状況になりつつあっても、なんらそれに対する積み重ねによる
 重荷を感じてないのですね。

  積み重ねって言う言葉の真意は、ヒナタヒカゲの擬似的未来予測が、
 ジパングで、『そうなのか、この女子キャラは斯様なしがらみで
 この様な能力を得て(持っていて)キャラ立ちしているのか!』

 と、唸らせる仕掛けを読者に十分認識させる努力若しくは、エピソード
 が語られていない事を指します。

  故に、彼女は重荷として感じることはなく、むしろ作者サイドが「既存の歴史」 を
 意図的に切り離すことに『苦悩する』事を、させないことを意図したのではないか?

  吾妻公彦氏の場合は、それまでのGS美神シリーズで壮大なバックボーンが
 読者に語られており、それ故、美神令子の親父である、公彦の外伝的なアプローチ
 シリーズをリリースしても、読者は『今まで謎であった令子の父の!!』って
 感じで実に愉しめたのですが・・・。


  椎名先生の意気込みは、どうも不可解に感じます、私は。


  と言うのも、何らかの事情で意図的に『ジパング』という漫画の
 構造というか質が、どこかで変わった感じがします。
 未だ26話の連載で既に終末点が見えつつある妄想にも囚われます。
 
  変わった と言う感じを受けたのは、天回衆って集団による
 『歴史の意図的操作』が、初めて露見した、濃姫輿入れの
 嫁取り物語(その4)ですね。

  SFとしても、たといファンタジーとしても、性急に
 その展開にシリーズを流したのはいただけないとおもいます。
 GS美神では、誰為編に至るまでに十分に
 その『GS美神・極楽大作戦!!』 世界を読者に
 馴染ませ且つ感情移入させる為に主要キャラ達に深みを
 持たせるエピソードを繰り出しましたが、

  ジパングでは、主要キャラの大半が「日本人によく知られている」
 の為か・・・なんとなく説明が少ないです。
 
  美神では各キャラが『何故にその様な行動をとるのか』
 『ああ、だからコイツはこういう考えで動くのか!』等のキャラクタとしての、
 深みというか、ポテンシャルが極めて自然に感じられる環境であったと考えています。

  しかし、ジパングは、それらの積み重ねを余り考慮されず、
 なにか、歴史のイベントを消費する為にキャラが動いているって感じや
 ジパングのストーリー(多分史実の亡霊)としての流れを最優先にした感じを
 多分に受けます。

  それゆえ、キャラも何かふらふらして定まらず
 日吉の考え方モノの見方がどういうプロセスで行われるかって言う
 具体的なエピソードを展開せず、イキナリ戦場に駆りだされ
 何故か信長と切り離されてしまい松下加代に出会ってしまいました。

  で、加代から「私は強くなりたかった、自分の足で・・・」と言う
 セリフで、このシリーズを決められても、私としては「・・・良く解りません。」としか
 言えないです。何故ならば、たとい松下家が史実にあったにせよ
 その導入が非常に安易であり、加江さんが今川氏に輿入れするに至り
 日吉が「危ないよ」と、こられても、どうにも『その話のテンポの
 加速度』に付いていけない状態です。

  裏町さんが言われる様に

 >史実との違いを楽しませる

  と言う点ですが、どうもそれさえも十分なお話の積み重ねが足りず
 なにか「日本史の有名なところだから」って言う感じで話を進め、
 強引に天回衆と言う、オカルト集団を登場させて、シリーズの変貌を図る
 感じです。

  歴史サイドの人間から言わせて貰いますと、
 ジパングは『どうしてもこの時代のフィールド』を借りなければ
 ならなかった漫画とは思えません。

  かえって、完全にオリジナルな・・言うなれば、椎名ワールドとしての
 整合性と、連続性を持った独自の世界を創出しても良かったのではないか?
 いや、おこがましく言わせて貰うと、『 作者が今まで築いた世界観と哲学』を
 どこかに置いてきてしまった漫画と思えてしまします。

  一読者である私が、作者の創造する漫画に不平を言うのはアレかもしれませんが
 私が思うのは、『椎名先生は本当にこの漫画を面白く描かれているのだろうか?』
 のこの一点に尽きます。

  椎名百貨店から遠大なGS美神ワールドを創出した椎名先生にしては
 このジパングという作品は、「GS美神の漫画をスルメのように味のある漫画」
 では無く、「『チューイングガム』の様に、かみ終わったら味が無くなった」
 って酷評してしまいそうです。

  その訳は、歴史を舞台にした小説及び文学ってのは、
 一度普遍的なお話がうち立てられると、それに続くには(創作として)
 どうしても、それに対しての「負い目」感じつつ書き上げてゆかねばならない
 宿命を持ったものなのです。

  よい例が、吉川英治の「三国志」であり、その後日本では三国志関係の
 著作は、どうしてもこれに見比べられてしまうって事がありました。
 で、長い年月を重ねると、三国志通史としての「吉川本」があり
 その後の著作は、なんらかのオリジナルな切り口でこのシリーズを
 展開せねば、読者に受け入れられず、忘れ去さられてしまうのです。

  私が、Cna-BBSに「歴史との安易な妥協は難しい」と書いたことがありますが
 実は、そのキモはここにあります。
 誤解して欲しくないのは、有名漫画があって、その情景がよく似た亜流漫画が沢山出ると言うのとは
 この仕組みは本質的に違います。

 「のめり込む様に読む」漫画ってのは、
 やはり、作品(作家)が持ちうる『何か』が、読者の『ツボ』を
 痛し痒しのバランスで震えさせるテンポとバランスを
 持って初めて成立するとおもいます。

  いや、それ以前にこんなに細々書かなくても直感的に分かるとおもうんですよ。

  椎名百貨店や、GS美神での、輝きが余り感じられないのが
 現在のジパングストーリー展開と感じています。 
    
〉GS美神だって先が見えないといえば見えなかったけど・・・

  多分、本質的に「GS美神」での、先が見えない と言う『雰囲気』と
  ジパングが持つ 先が見えないと言う『雰囲気』が違うのではないかって思うのですが。
  
  加代編読み終えた段階での危惧が押さえられずに
 腹の中ぶちまけましたけど・・・ちょっと手厳しかったでしょうか?

  加代と濃が相対キャラって言うのは分かるのですが・・・。

                 文章が非常に手厳しかった事をお詫びします。 中村@Palm中       

No.32000/09/15 00:08 TOMO.KIN(ktomo@cosmos.ne.jp)

〉 ども、中村です。

  やぁ、TOMO.KINだにょ

〉〉「未来は先の見えない高速道路」みたいな表現が初代ターミネータのエンディングに
〉〉あった気がするけど、ヒナタの言っていた「未来が見えないのがこんなに〜」を
〉〉椎名高志氏の新連載に対する意気込みと受け取るのは間違ってますか?

 んー?、そのセリフは「ヒカゲさん」だったのでは?

〉  椎名先生の意気込みは、どうも不可解に感じます、私は。

〉  と言うのも、何らかの事情で意図的に『ジパング』という漫画の
〉 構造というか質が、どこかで変わった感じがします。
〉 未だ26話の連載で既に終末点が見えつつある妄想にも囚われます。

 「途中から変更した」と言うより
  そもそも第一回での日吉・信長の出会い→美濃へのお忍びからして
  「まっとうな歴史もの」ではなく、「暴れん坊将軍」「水戸黄門」のような「時代劇(*1)」を目指してたんじゃないかな?
(*1、ここで言う「時代劇」とは「現代と通じる問題点を姿を変えた芝居で演じてる」って意味)

〉  変わった と言う感じを受けたのは、天回衆って集団による
〉 『歴史の意図的操作』が、初めて露見した、濃姫輿入れの
〉 嫁取り物語(その4)ですね。

 でも早い段階で「ヒナタ・ヒカゲ」と言うキャラを登場させてますが...

〉  SFとしても、たといファンタジーとしても、性急に
〉 その展開にシリーズを流したのはいただけないとおもいます。
〉 GS美神では、誰為編に至るまでに十分に
〉 その『GS美神・極楽大作戦!!』 世界を読者に
〉 馴染ませ且つ感情移入させる為に主要キャラ達に深みを
〉 持たせるエピソードを繰り出しましたが、
 
 「性急か?」と言う意見に関しては同意

〉  それゆえ、キャラも何かふらふらして定まらず
〉 日吉の考え方モノの見方がどういうプロセスで行われるかって言う
〉 具体的なエピソードを展開せず、イキナリ戦場に駆りだされ
〉 何故か信長と切り離されてしまい松下加代に出会ってしまいました。

 そもそも信長より先に松下家に関わるのですが...>日吉

〉  で、加代から「私は強くなりたかった、自分の足で・・・」と言う
〉 セリフで、このシリーズを決められても、私としては「・・・良く解りません。」としか
〉 言えないです。何故ならば、たとい松下家が史実にあったにせよ
〉 その導入が非常に安易であり、加江さんが今川氏に輿入れするに至り
〉 日吉が「危ないよ」と、こられても、どうにも『その話のテンポの加速度』に付いていけない状態です。

 「加江さん」に関しては別の項目で論じたいと思います

〉  歴史サイドの人間から言わせて貰いますと、
〉 ジパングは『どうしてもこの時代のフィールド』を借りなければ
〉 ならなかった漫画とは思えません。
〉  かえって、完全にオリジナルな・・言うなれば、椎名ワールドとしての
〉 整合性と、連続性を持った独自の世界を創出しても良かったのではないか?
〉 いや、おこがましく言わせて貰うと、『 作者が今まで築いた世界観と哲学』を
〉 どこかに置いてきてしまった漫画と思えてしまします。

 ここで「ファンタジーの定義(*2)」をとやかく言うのも野暮かもしれないけど
 バブルがはじけ、今までの前例とか過去のデーターをそのまま当てはめるのが困難な現在
 例えて言うなら「機会次第でのし上がる」「時を見るに敏」「終身雇用の崩壊」など
 一種の「戦国時代」とささやかれてだいぶなります
 安易な発想で「過去の○○に学ぶ」など経済雑誌の企画に乗ったとは思えませんが
 主な読者の対象は「満員電車で通勤するオヤヂ」でないことは確かです(笑)
 さっこんの青少年が「もやもや」を通り越して「むかつく」と言う言葉を気安く発するのは
 【いままでこうすれば大丈夫=マニュアル・手本】が導く未来→【気楽だが刺激も無い】
 そういった「安心できるレール」も、土台や枕木がボロボロで
 もはや「電車に乗れば(他人にならえば)目的地に無事着ける」とは言えないのです
 そう、ネガティブに振れれば「やってられないよ、コンチクショー」ですが
 ポジティブに考えれば「自分次第で未来は切り開ける」
 そう、「歴史を語る者は観察者」「物語を作り上げる者は当事者」ではないでしょうか?
 ヒカゲ達は「介入した事」で「観察者」から「当事者」となりました
 見ている事とその渦中で生きる事
 物語はまだ始まったばかり...
(*2、純粋な異世界物語である「ハイ・ファンタジー」とくらべ、
 「我々の世界との接点」を持ちそこへ行って、何かを得て「帰還」する、
 成長だったり財産だったりさまざまですが、
 何度も読み返すたびに新たな発見が有るのが良質なファンタジーとされています)


〉                 文章が非常に手厳しかった事をお詫びします。 中村@Palm中       
     「急いては事を仕損じる」とも「慌てる○○は貰いが少ない」とも言うね/TOMO.KIN     

No.42000/09/15 03:03 中村 守博(task17@mocha.ocn.ne.jp)

〉  やぁ、TOMO.KINだにょ

 やほー、中村だにょ!

〉 んー?、そのセリフは「ヒカゲさん」だったのでは?

  はい、その通りですー。

〉〉 構造というか質が、どこかで変わった感じがします。

〉 「途中から変更した」と言うより

  ぬっ!そう来ますか。

〉  そもそも第一回での日吉・信長の出会い→美濃へのお忍びからして
〉  「まっとうな歴史もの」ではなく、「暴れん坊将軍」「水戸黄門」のような「時代劇(*1)」を目指してたんじゃないかな?
〉(*1、ここで言う「時代劇」とは「現代と通じる問題点を姿を変えた芝居で演じてる」って意味)

  確かに、その方向性で持っていくって要素が存在し得ることには、浅はかながら考えが及ばなかったです。
 そうかー、つまり 『 現代の状況そのまま語る(描く)』のではタダの世評漫画になってしまいますね。
 それを、『芝居』 の要素を与えつつ、戦国時代の、『時代劇』として
 絡めて、ジパングを描写する手法と考えてよろしいですか?

〉〉  変わった と言う感じを受けたのは、天回衆って集団による

〉 でも早い段階で「ヒナタ・ヒカゲ」と言うキャラを登場させてますが...

  いや、私が『変わった』 と感じた要素は、ヒナタヒカゲの時の
 『この物語の根幹を提示した』 変わったではなく。

  麿ろーん(今川義元)の後方で、三目が通る 的な爺が
 出てきて、『あ、コイツでしばらくバトルのか。』ってその回では
 やや「ヒナタヒカゲの対極に位置する」って認識したんですが。

  その後の『戦場の猿たち』で、彼らが安易に『未来』の変更を画策している
 って感じられる描写を見たからです。

  Cna-BBS でも提起された人が居ましたが、
 『未来を変える』 と言うのが、彼らにとってはどの様に
 利益なのか?が、不明瞭だったために、『話が変わった』と感じたのです。

  確かに、そうそう最初から彼らの野望が何かが語られるわけがありませんが
 彼らが喋るセリフから伺える要素が『 最終的には信長には死んで貰う』
 『信長の天下統一の妨害工作』『未だタダの一雑兵』 等の、
 
  戦国時代の流れを具体的には、『秀吉の消失』よる『信長の天下一統の妨害』って
 使い古された、IF に沿ってしまったセリフだったためです。
  
〉〉  SFとしても、たといファンタジーとしても、性急に
 
〉 「性急か?」と言う意見に関しては同意

   了解。

〉〉 何故か信長と切り離されてしまい松下加代に出会ってしまいました。

〉 そもそも信長より先に松下家に関わるのですが...>日吉

  そうですね、確かに。(笑)

  しかし、松下家での元ネタは、日吉があまりにもキレ者なので
 それに嫉妬した松下家中に松下城主が庇いきれず、日吉を解雇したエピソードだったですね。
 有名なセリフとしては

『私は殿からクビになるのではない、殿が人を纏めるトップでないので、私が(日吉)殿を解雇するのです!』
  
〉〉  で、加代から「私は強くなりたかった、自分の足で・・・」と言う
〉〉 セリフで、このシリーズを決められても、私としては「・・・良く解りません。」としか
〉〉 言えないです。

〉 「加江さん」に関しては別の項目で論じたいと思います

  分かりました。

〉〉  歴史サイドの人間から言わせて貰いますと、
〉〉 ジパングは『どうしてもこの時代のフィールド』を借りなければ
〉〉 ならなかった漫画とは思えません。
〉〉  かえって、完全にオリジナルな・・言うなれば、椎名ワールドとしての
〉〉 整合性と、連続性を持った独自の世界を創出しても良かったのではないか?
〉〉 いや、おこがましく言わせて貰うと、『 作者が今まで築いた世界観と哲学』を
〉〉 どこかに置いてきてしまった漫画と思えてしまします。

〉 ここで「ファンタジーの定義(*2)」をとやかく言うのも野暮かもしれないけど
〉 バブルがはじけ、今までの前例とか過去のデーターをそのまま当てはめるのが困難な現在
〉 例えて言うなら「機会次第でのし上がる」「時を見るに敏」「終身雇用の崩壊」など
〉 一種の「戦国時代」とささやかれてだいぶなります

  これは、私と同意見ですね。

〉 安易な発想で「過去の○○に学ぶ」など経済雑誌の企画に乗ったとは思えませんが

  まさかっ!その様なことは無いと思うけど。(汗)

〉 主な読者の対象は「満員電車で通勤するオヤヂ」でないことは確かです(笑)

  しくしく、オヤジにはなるものではないの!(笑)

〉 さっこんの青少年が「もやもや」を通り越して「むかつく」と言う言葉を気安く発するのは
〉 【いままでこうすれば大丈夫=マニュアル・手本】が導く未来→【気楽だが刺激も無い】

  実は、そう言う世界が一番安全で幸せだと思うんですよ。
 死と隣り合わせの修羅場を若人に味わわせるには、今の若人には酷かと・・・。(汗)

〉 そういった「安心できるレール」も、土台や枕木がボロボロで
〉 もはや「電車に乗れば(他人にならえば)目的地に無事着ける」とは言えないのです

  私的に、この場合のレールとは、既存の『戦国時代の流れ』 と定義します。
 その手法でジパングを切れば、意外と新しい発見かも。
 つまり、今までの戦国漫画(ここではそうしておきます)という普遍性を
 ボロボロのレールと枕木とする・・・うみゅ。

〉 そう、ネガティブに振れれば「やってられないよ、コンチクショー」ですが
〉 ポジティブに考えれば「自分次第で未来は切り開ける」

  それをテーマに『ジパング』をリリースしたと思います。

〉 そう、「歴史を語る者は観察者」「物語を作り上げる者は当事者」ではないでしょうか?

  同意します。

〉 ヒカゲ達は「介入した事」で「観察者」から「当事者」となりました
〉 見ている事とその渦中で生きる事
〉 物語はまだ始まったばかり...

  そこも条件付きで賛成したいです。
 条件とは、その当事者の視点のキャラであった、ヒカゲヒナタが
 読者に『グッ!』っとくるようなエピソードを語られなかったことと、
 それによる、当事者にシフトした時点での『説得力』が非常に軽いと感じている
 ところです。
 
〉(*2、純粋な異世界物語である「ハイ・ファンタジー」とくらべ、
〉 「我々の世界との接点」を持ちそこへ行って、何かを得て「帰還」する、
〉 成長だったり財産だったりさまざまですが、
〉 何度も読み返すたびに新たな発見が有るのが良質なファンタジーとされています)

  と言う訳で、サンデーから切り離したジパング連載を全て読み返しつつアリ!
 
〉「急いては事を仕損じる」

  うみゅ!しかしこの押さえられぬ「もやもや」を、椎名先生が
 十分に語って癒してくれるか不安であったのよー。

) とも「慌てる○○は貰いが少ない」とも言うね/TOMO.KIN

  『諌言は耳に痛し』と、対抗してみてみました。(笑)

  故に、それによって頭をリフレッシュし、来週(43号)ジパングを待ちたい所存。
  あと、今日は敬老の日なので、平手政秀こと、政じいを労って欲しいですよ、信ちゃん!

          追伸・どうしても『五右衛門がに見えてしょうがないのですが!』                                  


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