No.1 | 2001/01/13 12:13 | カテラン組合の書記長(hrihzen@mocha.ocn.ne.jp) |
No.2 | 2001/01/13 23:36 | 沼津市民 |
〉 年末年始の余波で、本誌購入が遅れてしまいます。
〉
〉 散弾銃とは!織田信長らしいです。
〉作品を別にして、史実では当時において短筒の散弾銃は実用可能だったのでしょうか?
〉この辺りは戦国時代に関する知識が豊かであれば更に楽しめるのでしょう。
歴史は知らないんですが、なんか展開が一辺倒ですね
殿を楽しむ時間なのかもしれんけど
信長も今は我慢のときだからしゃーないか
〉 藤吉郎、小六にも殴られて可哀相…。
いよいよ出番だ!がんばってくれ!(笑)
No.3 | 2001/01/13 23:57 | 笹蒲鉾(hayakawa@kamab.net) |
〉〉 年末年始の余波で、本誌購入が遅れてしまいます。
〉〉
〉〉 散弾銃とは!織田信長らしいです。
〉〉作品を別にして、史実では当時において短筒の散弾銃は実用可能だったのでしょうか?
〉〉この辺りは戦国時代に関する知識が豊かであれば更に楽しめるのでしょう。
〉
〉歴史は知らないんですが、なんか展開が一辺倒ですね
〉殿を楽しむ時間なのかもしれんけど
〉信長も今は我慢のときだからしゃーないか
粛々と話が進んでいても個人的には構わないのですが、今回については、
信長が守護代を撃ち殺した時に何を見たのかもうちっと描写が欲しかったですかね。
平手の敵を討った達成感なのか、それとも尾張統一への道なのか(はたまたその後に続く天下か)。
〉〉 藤吉郎、小六にも殴られて可哀相…。
〉
〉いよいよ出番だ!がんばってくれ!(笑)
日吉は・・・、使い方が難しいですね(笑)。あまりしゃしゃり出て来られてもいまいち感情
移入できないし。。。
No.4 | 2001/01/15 07:15 | NOZA(tnozawa@mail4.alpha-net.ne.jp) |
〉 散弾銃とは!織田信長らしいです。
〉作品を別にして、史実では当時において短筒の散弾銃は実用可能だったのでしょうか?
とっても無理だと思います(笑)。この時代、鉄砲そのものがバリバリの新兵器で散弾どころでは
なかったはず。先ごめ式の短筒にどうやって散弾仕込むのか、適当に拡散させるにはどうするか、
いろいろ考えねばならないでしょうね。
でもジパングですし、信長考えたかもしれません。格好良いからいいのでは………なんて。
No.5 | 2001/01/15 14:15 | 香月 葵(spirit-swind」er@docomo.ne.jp) |
〉
〉〉 散弾銃とは!織田信長らしいです。
〉〉作品を別にして、史実では当時において短筒の散弾銃は実用可能だったのでしょうか?
〉
〉とっても無理だと思います(笑)。この時代、鉄砲そのものがバリバリの新兵器で散弾どころでは
〉なかったはず。先ごめ式の短筒にどうやって散弾仕込むのか、適当に拡散させるにはどうするか、
〉いろいろ考えねばならないでしょうね。
〉
〉でもジパングですし、信長考えたかもしれません。格好良いからいいのでは………なんて。
弾を微粒にして何段かにして敷き詰めれば(細かく)、散弾は可能だと思います。しかし、一度使ってしまうと二度とその短筒が使えなくなるかもしれないですけど・・・。(玉詰りとか、無茶な使い方をしたせいで砲身が曲がったり、暴発率が上がったりはすると思いますけど)
分かるかどうかは分からないですけど、「スパルタン」や、有名な「マグナム弾」のような感じに弾を詰めれば多分・・・できる・・かな?(誰か教えてください)
No.6 | 2001/01/17 22:03 | knighthawk |
〉 年末年始の余波で、本誌購入が遅れてしまいます。
〉
〉 散弾銃とは!織田信長らしいです。
〉作品を別にして、史実では当時において短筒の散弾銃は実用可能だったのでしょうか?
〉この辺りは戦国時代に関する知識が豊かであれば更に楽しめるのでしょう。
〉
〉 藤吉郎、小六にも殴られて可哀相…。
散弾は鉄砲伝来時にはすでに実用品でした(でないと鳥は落とせません)火薬を詰めた後、
砲身と同じ直径の木の蓋(ワッズといいます)を詰めて、その上から散弾を詰めます。
さらにその上から蓋をして玉がこぼれないようにすればOK。
これは今日の散弾銃の仕組みと同じです。
元々銃で有れば散弾は撃てます。本編に出てきた紙の包みは早合といって玉と火薬を
ワンセットにした物です。散弾で有れば包んでおかないと非常に玉込め(装填)
がしにくいのでこうして持ってきたのでしょうが、火縄銃の場合は装填済みの銃で
渡した方が正解だと思うので、あれは再装填用の玉と解釈しましょうか。
(でも銃本体を捨てちゃったもんなあ)
散弾云々よりもタクシードライバーで出てきたような、からくりの方が・・ね
(信長が考えたんでしょうか、それともこの世界の忍者はこれを使っているんでしょうか。)
私はこういうのが出てくると驚喜するほうなんでとても気に入っているのですが
みなさんはどうですか?
No.7 | 2001/01/18 15:24 | カテラン組合の書記長(hrihzen@mocha.ocn.ne.jp) |
knighthawkさんご返答ありがとうございました。また今後も色々とご教授下さい。
あと「タクシードライバー」云々は申し訳ありませんが何を指しているのか分かりません。
No.8 | 2001/01/18 16:18 | knighthawk |
よく勘違いしてる人が多いようだけど、火縄銃は輸入された当時にすでに世界では時代遅れに
なりかけていました。
(そうでなければ、潜在的な敵に強力な武器を献上するはずもない)
殿の時代には、今週の殿が扉絵で持ってるパーカッション式がそろそる発明されていたころのはずで・・
(詳しい年は忘れたけど)
日本は鎖国のせいでパーカッションが出回らず明治維新の時代にいきなりカートリッジ銃に
なっていたりします。
(坂本龍馬のS&Wとか)
いずれにしても武器なのですから、聡明な大将は改良に知恵を絞っていたはずで・・・
で、先週号の殿が使っていた袖口から銃が飛び出すからくりもひょっとしたらありかな?と思います。
(このからくり、日本では映画タクシードライバーで有名になりました→レンタル店へGO!)
椎名先生を始め、サンデーの執筆者は博識の人が多く、逆に編集の知識が追いつかず、単行本になった際に
変な書き換えがしてある例が多いです。
GS美神でもメジャー・マイナー問わず映画ネタが結構多かったので楽しみでした。
駄文を重ねました、すいません。
No.9 | 2001/01/19 01:44 | 井汲 景太(ikumi-k@po.jah.ne.jp) |
〉で、先週号の殿が使っていた袖口から銃が飛び出すからくりもひょっとしたらありかな?と思います。
〉(このからくり、日本では映画タクシードライバーで有名になりました→レンタル店へGO!)
ちなみに、初代「元ネタ大作戦!!」でも解説されていました。→参考
そうか、現行の「元ネタ大作戦!!」では、初代のデータは検索できなくなっ
てるんですね。懸案事項が滞っており申し訳ないです。
「極楽」以外の作品をどういう形で取り込むか悩む所 井汲 景太
No.10 | 2001/01/25 04:12 | OceanBedMan8823 |
〉よく勘違いしてる人が多いようだけど、火縄銃は輸入された当時にすでに世界では時代遅れに
〉なりかけていました。
揚げ足取りのようで申し訳ないけれど、これは正確ではないですね。
燧石式発火の最初の形式であるシュナップハンス式の銃がオランダで発明されたのは1560〜1580年頃。
次のミュクェレット式の銃がスペインで発明されたのが1580〜1600年頃。
完成形のフリントロック式がフランスで発明されたのが1630〜1640年頃。
つまり、火縄銃は天文年間にはバリバリの現役銃ですよ。そうでなければ、種子島時堯が二千金もの大枚をはたいて買うわけがないでしょう。
ちなみに、ヨーロッパにはこの時期、火縄銃(マッチロック式)の他に歯車式(ホイール・ロック)の鉄砲もありました。ただし、こちらは構造が複雑で高価なので、王侯貴族しか持てなかったようだけれど。
ついでに、日本でも安政頃には歯車式の輪燧佩銃なるものが作られています。
江戸期の銃工は、例えば望遠鏡を作って太陽の黒点を観測した国友一貫斎など、オランダから入る知識も貪欲に吸収していましたから、燧石式を知らなかったわけではありません。
日本でフロント・ロック銃が作られなかったのは、発火に適した燧石が産しなかったのと、泰平の江戸時代に砲術が職人芸のようになって、発射速度や実戦での取り扱いより命中精度を追求するようになり、ハンマーの落ちる大きな衝撃が嫌われたためだろう、といわれています。
幕末にいきなり雷管式になったというのも間違いです。
幕末には、天保2年に鷹島秋帆がオランダからフリントロック式のゲベール銃を輸入したのを皮切りに、佐賀藩など西国雄藩がかなりの量を輸入していますよ。
もっとも、安政頃になって雷管式のゲベール銃が輸入されるようになると、フリントロック式の銃もほとんどが雷管式に改造されてしまったので、現在残っているものは希ですけどね。
No.11 | 2001/01/25 22:39 | knighthawk |
記憶だけで書くとこういう恥をかきます。反省
〉〉よく勘違いしてる人が多いようだけど、火縄銃は輸入された当時にすでに世界では時代遅れに
〉〉なりかけていました。
〉
〉揚げ足取りのようで申し訳ないけれど、これは正確ではないですね。
〉燧石式発火の最初の形式であるシュナップハンス式の銃がオランダで発明されたのは1560〜1580年頃。
〉次のミュクェレット式の銃がスペインで発明されたのが1580〜1600年頃。
〉完成形のフリントロック式がフランスで発明されたのが1630〜1640年頃。
すいません、完全に勘違いしていました。
〉日本でフロント・ロック銃が作られなかったのは、発火に適した燧石が産しなかったのと、泰平の江戸時代に砲術が職人芸のようになって、発射速度や実戦での取り扱いより命中精度を追求するようになり、ハンマーの落ちる大きな衝撃が嫌われたためだろう、といわれています。
〉
この辺は諸説有りまして、私は、フリントロックは良い石がなかったというより、日本の金属加工能力の
問題だと考えています(燧石がなければ、作ればよいわけですし)
火縄銃は、トリガーを引いてから、発射までのタイムラグに、かなりのばらつきが出るので命中精度は悪いです
(実際に撃ったことがあります・海外ですが)
フリントロックも良いとはいえませんが、火縄銃よりはばらつきが少ないそうです
・・自分で撃って確認したわけでは有りませんが
〉幕末にいきなり雷管式になったというのも間違いです。
〉幕末には、天保2年に鷹島秋帆がオランダからフリントロック式のゲベール銃を輸入したのを皮切りに、佐賀藩など西国雄藩がかなりの量を輸入していますよ。
〉もっとも、安政頃になって雷管式のゲベール銃が輸入されるようになると、フリントロック式の銃もほとんどが雷管式に改造されてしまったので、現在残っているものは希ですけどね。
大量輸入されたけど、国内で大量生産はされませんでしたよね、もっとも資料がほとんどないので
憶測の域をでませんが。
その点で火縄からいきなりカートリッジになったという書き方をしたのですが・・・文章が変でしたね。
いずれにしても、大恥でした、改めて・反省
年末年始の余波で、本誌購入が遅れてしまいます。
散弾銃とは!織田信長らしいです。
作品を別にして、史実では当時において短筒の散弾銃は実用可能だったのでしょうか?
この辺りは戦国時代に関する知識が豊かであれば更に楽しめるのでしょう。
藤吉郎、小六にも殴られて可哀相…。