※この表は、「MISTERジパング」のあらすじを歴史年表っぽく記述しつつ、実際の史実(右側)と「MISTERジパング」の展開(左側)を比較してみることを目的に作られました。
※歴史のできごとの方は、複数の歴史系サイトからそれらしい記事を検索して私が編集したものです。もし、明確な誤り等がありましたら、私宛まで連絡をお願いします。
年月 | できごと(MISTERジパング) | 話 | 年月 | できごと(歴史) |
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1534/ 5 | 織田信長生まれる。 | |||
1537/ 2 | 日吉生まれる。 一緒に生まれた双子の兄は生後すぐに死亡。 |
44 | 1537/ 2 | 日吉生まれる。 |
1542/12 | 竹千代生まれる。 | |||
1543/?? | 日吉の母・なかが再婚。 義父と日吉の仲は良くなかった。 |
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1547/ 9 | 加納口の戦いで、織田信秀が斎藤道三に敗北。 この戦い以後,信秀は道三と和睦し、道三の娘・帰蝶(濃姫)と信秀の長男・信長との婚姻が決定する。 |
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1547/10 | 竹千代、今川義元の元に人質として送られる途中で織田に奪われる。 | |||
連載開始〜天回編まで | ||||
1548/?? | 信長、稲葉山城に忍び込む際に日吉と出会う。 稲葉山城で斎藤道三、帰蝶姫、明智光秀と邂逅。 |
1 | ||
1548/ 2 | 武田晴信(信玄)、上田原で村上義清軍に敗北。 | |||
1548/?? | 武田忍軍の「予言者」ヒカゲが逃亡。 日吉、ヒナタと石川五右衛門に遭遇。 |
2-5 | ||
1548/?? | 日吉、蜂須賀小六と矢作橋で出会う。 蜂須賀対織田による、蜂須賀村の戦いが発生。 |
6-9 | 1548/?? | 日吉、蜂須賀小六と矢作橋で出会う(伝説) |
1548/?? | 日吉、織田信秀の命により「信長行状改方」として織田家に任官。 | 10 | ||
1549/ 2 | 帰蝶姫、信長に嫁ぐ。 道中、帰蝶姫の輿が今川方によって襲撃されるが、織田・斉藤方がこれを撃退。 |
15 | 1549/ 2 | 帰蝶姫、信長に嫁ぐ。 |
1549/?? | 尾張・伊勢国境付近で、「天回宗」と名乗る宗派が一揆活動を開始する。 | 20 | ||
1549/11 |
安祥城の戦いで今川軍大勝。安祥城主・織田信広が今川に召し捕られる。 竹千代は信広との人質交換で駿河に送られる。 |
20-24 28 |
1549/11 | 安祥城の戦いで今川軍大勝。安祥城主・織田信広が今川に召し捕られる。
竹千代は信広との人質交換で駿河に送られる。 |
1549/11 | 安祥城の戦いで日吉は今川義元家臣松下長則の娘・加江に捕らえられ、遠州頭蛇寺城に送られる。 | 24 | ||
1549/11 | 松下家でお家騒動が発生。 | 25-27 | ||
1550/ 3? | 信秀死去、信長が家督を相続。 | 28 | 1551/ 3 | 信秀死去、信長が家督を相続。 |
1551/?? | 日吉、石川五右衛門と出会う?(伝説) | |||
1550/ 3? | 日吉、信長の草履取りとして織田家に再雇用される。 この頃から「木下藤吉郎」と名乗る。 |
31 | 1551/?? | 日吉、今川義元配下の武将・松下加兵衛之綱に仕える。 |
1552/ 8 | 萱津の戦いで信長が坂井大膳を破る。この頃から一族同士の争いが激化 | |||
1550/?? | 平手政秀、織田信友の手により謀殺。 対外的には「信長の素行を憂えて自害」と公表される |
35 | 1553/ 1 | 平手政秀、信長の素行を憂えて自害。 |
1550/?? | 正徳寺にて斎藤道三と織田信長が会見。 | 38 | 1553/ 4 | 正徳寺にて斎藤道三と織田信長が会見。 |
1553/ 8 | 第一次川中島の戦いが始まる。 | |||
1554/ 3 | 武田・今川・北条の三国同盟が成立。 | |||
1554/?? | 日吉、織田信長に雑用に従事する小物として仕える。 | |||
1551/?? | 織田信友、尾張国守護の斯波義統を殺害。 | 39 | 1554/ 7 | 織田信友、尾張国守護の斯波義統を殺害。 |
1551/?? | 織田信長、織田信光・蜂須賀小六らと共謀して織田信友を謀殺、清洲城を奪取。 | 42 | 1555/ 4 | 織田信長、織田信光と共謀して織田信友を謀殺、清洲城を奪取。 |
1552/?? | 藤吉郎、草履取りからマキ係に抜擢される。 | 44 | ||
1552/?? | 藤吉郎、足軽長屋で「日野秀吉」と名乗る男に襲撃され、「予言者」ヒカゲが比叡山に捕らえられていることを知る。 | 45 | ||
1552/?? | 信長、藤吉郎をマキ係から解任。 それが元で藤吉郎は信長の元から出奔。 |
48 | ||
1552/?? | 信長、柴田勝家・滝川一益らを引き連れて上洛。 同時期に上洛した武田信玄(春信)一行、および出奔した藤吉郎と比叡山中で遭遇。 |
51 | ||
1552/?? | 織田・武田・今川連合軍、天回宗の本拠である比叡山延暦寺を奇襲。天回は戦死し、天回宗は壊滅。 | 74 | ||
1552/?? | 木下籐吉郎・ヒカゲの消息が不明に。 | 75 | ||
ヒカリの未来視に関連した出来事 | その他の歴史上の主な出来事 | |||
1555/11 | 織田信光、那古屋城で家臣の坂井孫八郎に謀殺される。 | |||
1556/ 4 | 長良川の戦いで斎藤義龍が斎藤道三に勝利。 斎藤道三戦死。 |
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1556/ ? | 斎藤義龍、美濃明智城を陥落。 明智城城主の家臣であった明智光秀が出奔。 |
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1556/ 8 | 稲生の戦いで織田信長が織田信行に勝利。 | |||
1557/?? | 織田信長に嫡男(信忠)誕生。母は吉乃。 幼名は「奇妙丸」。 |
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1557/11 | 織田信行が再度謀反。 清洲城で信長に謀殺される。 |
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1559/ 2 | 武田晴信、出家して徳栄軒信玄と号する。 | |||
1559/?? | 織田信長、岩倉城を攻略。 織田一族と尾張一国をほぼ統一する。 |
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1560/ 5 | 田楽狭間にて織田軍が今川軍に勝利(桶狭間の戦い)。 今川義元戦死。 |
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1561/ 8 | 木下藤吉郎とねねが結婚。 | |||
1566/ 9 | 木下藤吉郎が墨俣に一夜城を築城(伝説?)。 | |||
1567/ 9 | 織田・浅井間に婚姻成立。信長の妹・お市が浅井長政に嫁ぐ。 | |||
1570/ 4 | 浅井長政が織田信長から離反、織田軍は越前から撤退。木下藤吉郎が殿軍を勤める。 | |||
1571/ 9 | 織田軍、比叡山延暦寺を焼き討ち。 | |||
1572/10 | 武田信玄、上洛を開始する。 | |||
1573/ 4 | 上洛の途にて武田信玄病死。 | |||
1573/ 8 | 浅井家本拠・小谷城が織田軍により落城。浅井家滅亡。 浅井家に嫁いだお市は、娘達と共に救い出される。 |
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1575/ 5 | 長篠の戦いにて織田・徳川連合軍、武田軍に勝利。 | |||
1575/ 8 | 織田軍、長島・越前一向一揆を平定。 降伏を認めず、「皆殺し」を命じたとされる。 |
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1576/ 1 | 織田信長、安土城築城に着手。 | |||
1578/ 3 | 上杉謙信病死。 | |||
1582/ 3 | 織田・徳川の侵攻により、武田勝頼自刃。 武田家滅亡。 |
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本能寺編 | ||||
1582/ 5 | 徳川家康、信長に挨拶を述べるため安土に参上。明智光秀が接待役に。 | 76 | 1582/ 5/15 | 徳川家康、信長に挨拶を述べるため安土に参上。明智光秀が接待役に。 |
1582/ 5 | 秀吉、備中高松城攻略の為、信長に援軍を要請。 信長は明智光秀に出陣命令を下す。 |
76 | 1582/ 5 | 秀吉、備中高松城を包囲。毛利側の援軍と対峙する為、信長に援軍を要請。 信長は明智光秀らに出陣命令を下す。 |
1582/ 5/29 | 織田信長、本能寺に入る。 | 77 | 1582/ 5/29 | 織田信長、本能寺に入る。 |
1582/ 6/ 2 | 明智光秀が謀反。 織田信長、本能寺にて消息不明に。 |
78 | 1582/ 6/ 2 | 織田信長、明智光秀の謀反により本能寺にて落命。 |
本能寺後〜天下統一まで | ||||
1582/ 6/ 4 | 本能寺の変を知った羽柴秀吉軍が、毛利軍と講和。 | |||
1582/ 6/13 | 山崎の戦いで、羽柴軍が明智軍に勝利。 | |||
1582/ 6/13 | 退却中の明智光秀、小栗栖にて落命。 | |||
1582/ 6 | 清洲会議にて羽柴秀吉が推す織田三法師が世継ぎと決まる。 | |||
1583/ 4 | 賎ヶ岳の戦いで、羽柴軍が柴田軍に勝利。 北ノ庄城が落城し、柴田勝家は妻・お市と共に自害。 |
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1584/ 4 | 長久手の戦いで、徳川軍が羽柴軍に勝利。その後、秀吉と家康は講和。 | |||
1585/ 7 | 羽柴秀吉、関白叙任。 | |||
1587/12 | 羽柴秀吉、太政大臣に叙任。豊臣姓を賜る。 | |||
1590/ 8 | 豊臣秀吉、奥州を平定。天下統一なる。 | |||
1594/ 8 | 天下の大泥棒、石川五右衛門が京都三条河原で釜茹で処刑(伝説)。 | |||
1598/ 8 | 豊臣秀吉、伏見城で死去。享年54歳。 |
参考資料サイト:
完全戦国年表(越後 博之さん)