先日の ETV 特集で「日本 SF の 50年」ってのがあって、なかなか面白く見ました。初期日本 SF 作家の小松・星・筒井らの奮闘と、それが当時日本社会にどれほど大きな影響を及ぼしたか、という話がメインで、その後の鼎さんが仰るような「SF 冬の時代」は「浸透と拡散」というキーワードでちょろっと触れられただけだったので、何だか日本 SF がバラ色の世界であるかのような印象を与えるものでしたが(笑)。まあ、取り上げるからには好意的な側面を強調するのは当たり前のことではありますけど。
「冬の時代」か「バラ色の世界」かどうかは別にして、確かに SF 的要素は少年マンガの世界ではごく当たり前に使われるようになっていますね。私はヌルい SF ファンでしかなくて、SF「的」要素でしかなくても全然構わないんですが(笑)、おそらく鼎さんは「的」では物足りないのでこのような問題提起をされていらっしゃるんだと思います。それに対して本格的に答えるほどの素養は、私にはないですね。ごめんなさい。
なーるほど。アニメの世界では、「ヒップガールズ」………じゃなかった、「スカイガールズ」を初めとして、割とストレートな SF 作品が未ださんざめいているのも、ひとつには「話数が決まっているから」という事情もあるのかもしれませんね(←もうちょっとマシな例を挙げろ(笑))。おかげで、オペレーター役の当たった女性キャストの皆さん方は、ワケの解らない雰囲気ゼリフを大量に読まされるハメに陥るわけで、ご愁傷さまです(笑)。
ここからは SF からは離れた話になりますが、「少年読者が、自分を託して読めるキャラがおらず、話の面白さで引きつけるしかない」タイプのマンガっていうのは、少年誌上であっても、数は少ないながらもそれなりに存在はしています。例えば「ブラック・ジャック」とか、「アウターゾーン」とか、つい最近大ヒットした「DEATH NOTE」とか、えーと、今すぐ思いつけるのはそのくらいしかなかったんですけど、きっと他にもあったはず(まあもっとも、難しい路線には違いなくて、あの手塚先生も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はパッとしないまま終わってしまいましたが)。なので、椎名先生のように「文法違反」とまで強く否定する必要もないんじゃないかな、とも思うんですけどね。
完成原稿速報 48号
http://cnanews.asablo.jp/blog/2007/10/23/1866676
おおっ!? デザインが変わってますね。
ハロウィン仕様なのか、先生の心境を表したものなのか、判断に迷いますけどw
文章部分が整頓されてスッキリした感じカナ? 以前の方が見やすいと思ってしまうのは慣れ親しんだ時間の差カナ? とりあえず今の所、椎名百貨店で異彩を放つフロアとなっておりますw
>スケジュール回復どころか、事態が悪化してます。
…。 ……。 ………!!
あえて、言います。
先生、 落 と さ ず に お 願 い し ま す っ ! ! !
何と言いますか、ピンチに後退するよりも、ピンチで踏ん張って頑張ってる方が格好良いからです…!
先生、頑張って下さい………ッ!!!
ってか私が書き直したわけではありませんが。
問題の本の出版年がナオミちゃんの登場のはるか以前である事を指摘しただけです。
アキレスは亀に絶対追いつけません。
(原稿は必ず締め切りの前に上がる事になってますw)
ハロウィン仕様なデザインは、アサブロのテンプレを使われてますね。
色違いバージョンもあるみたい。
http://s.asablo.jp/css/common2r/ghost-fullmoon/sample2r-top.htm
http://s.asablo.jp/css/common2r/ghost-newmoon/sample2r-top.html
まぁ、アキレウスと亀で追いかけっこをされてる最中ですから、
自作のテンプレートを作る余裕はないかもしれませんよねw
鼎さん、ウィキペディアのノート拝見しました。おつかれさまです。
ワイルドキャットの本に椎名センセが寄稿されたかどうかは、
かなりのポイントになりそうですよねー。見てみたいなぁ……。
ただ、(自分のブログでもちょろっと書きましたが)ウィキペディアの絶チルの項は、
以前とはかなり編集方針が変わってるみたいに見受けられます。
まず、人物名の元ネタは消えています。
ワイルドキャットにしても、ナオミちゃんの「源氏物語」三十二帖「梅枝」や
「痴人の愛」の「ナオミ」といった記述がありませんよね。
また、不二子ちゃんの寝床(?)は「AKIRA」が元ネタ、
「サイコダイバー」は夢枕漠の小説が元ネタ、みたいな記述も、
以前はあった気がします(やや記憶が怪しいけど)。
いつごろから今みたいな感じになったのか、チェックを怠ってたのでわかりませんが、
元ネタについては書かない(たぶん煩雑になるのを避けるため?)、という方針に
転化してるとしたら、ワイルドキャットについても、消えたままになるのかなー、
と思ったりします。
>元ネタについては書かない(たぶん煩雑になるのを避けるため?)、という方針に
転化
その辺の事情は判りませんけど、言ってしまえばサスケさん御提供の「絶チル備忘録」で十分補完されてますしね (^^)
まあ実際のところ、元ネタだけでも結構なボリュームを取る様になってきてますし、ウィキペディアでは網羅し難くなったのでしょうか?
椎名先生側が公式に認めたネタ・設定関係は兎も角として、元ネタ系は専ら読者サイドの楽しみとして行われる性格のモノですし、余りボリュームが増して本編に関わる記述とのバランスを圧迫してしまうと、ウィキペディアの本来の性質ともズレてきかねないのかもしれませんね。
>アキレウスと亀のパラドックス
一瞬、何か記憶の隅をくすぐられたのですが…ああ、そう言えば最近読んだ『イマジン秘蹟』(本田透 著)でも使われてたっけ >「ゼノンのパラドックス」
まあ汎用性の高いネタですけど、それをマンガ家のスケジュールに咬ませてしまう辺りが椎名先生らしいと言うか、何と言うか… (^^;;;;
担当さんの消息が…
手元にあった「ブリザードアクセル」11巻のあとがきによると、
「金剛番長」の担当は「絶チル」の初代担当と同じ人である可能性が高いようですね。
(前作終了後に担当が変わっていない限り)
なんというか、メインストリームに喧嘩を売るのが好きな人なんでしょうか?
それとも、作品は作家さんが作るものだから、ただの偶然・・・?
同じく少年漫画のメインストリームに喧嘩を売った「絶チル」が
長い待機期間を余儀なくされたのに比べ、
鈴木先生が短期間で復帰できたのは、サンデー編集部で
何かが変わっている証拠なのでしょうか?
放置していたみたいな遅レスで失礼します。
しかし、「少年マンガのメインストリーム」が何なのかは少し煮詰めないといけないでしょう。
『金剛番長』に関するfukazawaさんのブログ
【http://whatsnew.c-www.net/comic/sunday/kongou_bancyou.htm】
と少年サンデーの次号予告を見ると、つい苦笑いになってしまいます。
というのも、あるマンガを思い出すからです。
SFマガジンに1979年から80年にかけて連載された吾妻ひでおの連作『メチル・メタフィジーク』の一編を思い起こすのです。
マンガ家志望の青年が持ち込みをします。
「スポコン物で わりと 自信作なんです」
と編集長に原稿をひろげると
「スポコン」
「スポコンか…」
「スポコンねー」
「スポコンじゃ…」
「ダメなんだ
スポコンじゃ
ダメなんだ」
「男! 根性!
すぐ こーゆー むつかしい スポコン用語が出てくる
ほらほらほら」
「なんなの この 番長とか つーのは
なんなの」
「いや だから 学園で…」
「ほら学園 ほらスポーツ部
子供が ついてけないんだよ!
なかま受けなんだよ!」
「SFを かきなさい!」
あーもちろん、当時の少年マンガ界におけるスポコンとSFの立場をひっくりかえしたギャグなんですが。
しかし、24年組の登場で少女マンガ界でもSFの企画は通らないとは、90年代まで言われていた事で、SFはそれだけで通らない風潮はその後まで続いていたのです。
しかし、ふと気付いてみれば、主人公が超自然な能力を持たない少年マンガはいつのまにか少なくなってますね。
少年サンデーの現在の連載でSF的設定のない作品は「クロスゲーム」「あおい坂」「MAJOR」「あいこら」「DIVE!!」「GOLDEN AGE」「ワイルドライフ」「お茶にごす」くらいですか。
23作中8作ですね。
で、ついにもっとも社会派であった「番長」物が、こんな事にw
(まぁ、少年ジャンプの「魁!男塾」があったので画期的とは言えませんが)
「男組」から思えば遠くへきたもんだ。
「メチル・メタフィジーク」から10年後、椎名先生がデビューするわけですが、
ジャンプの1984年の「ドラゴンボール」、いや「リングにかけろ」の78年頃からの暴走で変質は始まっていたのかもしれません。
「少年マンガのメインストリーム」とは何でしょう。
できれば解説してください。
椎名先生が自分でおっしゃる「絶チル」の「少年マンガとしては反則」という部分が何を指すのか、私はいまだに分からずにいます。
『絶チル』の本誌における位置づけを考える上で、SFマンガの少年誌における地位についてご意見をください。
理屈のついたSFはやっぱり人気を維持するのが難しいんでしょうか。
それとも、同じ人間離れしているなら、男子を主人公に据える方が受けがいいんでしょうか。
椎名先生はいそいそと購入されて、以前のようにバックステージで大はしゃぎなさったりするのでしょーか(笑)。
> 『絶チル』の本誌における位置づけを考える上で、SFマンガの少年誌に
> おける地位についてご意見をください。
> 理屈のついたSFはやっぱり人気を維持するのが難しいんでしょうか。
先日の ETV 特集で「日本 SF の 50年」ってのがあって、なかなか面白く見ました。初期日本 SF 作家の小松・星・筒井らの奮闘と、それが当時日本社会にどれほど大きな影響を及ぼしたか、という話がメインで、その後の鼎さんが仰るような「SF 冬の時代」は「浸透と拡散」というキーワードでちょろっと触れられただけだったので、何だか日本 SF がバラ色の世界であるかのような印象を与えるものでしたが(笑)。まあ、取り上げるからには好意的な側面を強調するのは当たり前のことではありますけど。
「冬の時代」か「バラ色の世界」かどうかは別にして、確かに SF 的要素は少年マンガの世界ではごく当たり前に使われるようになっていますね。私はヌルい SF ファンでしかなくて、SF「的」要素でしかなくても全然構わないんですが(笑)、おそらく鼎さんは「的」では物足りないのでこのような問題提起をされていらっしゃるんだと思います。それに対して本格的に答えるほどの素養は、私にはないですね。ごめんなさい。
> 椎名先生が自分でおっしゃる「絶チル」の「少年マンガとしては反則」
> という部分が何を指すのか、私はいまだに分からずにいます。
これはたぶん、サンデー編集部が「本来の読者層」として想定する「少年」(小学生~高校生の男子)が、自分を託して読めるキャラがいない、ということを指しているのだと思います。「(小生意気な)小学生女子」にも、「(甲斐甲斐しくその世話を焼く)スマートなエリート社会人男性」にも、ストレートな感情移入はできませんから、彼らに対しては純粋に「話の面白さ」でアピールするしかない。それは、道としては極めて難しい道なのだと思います。それを「ルール違反」という言葉で表現しているのではないでしょうか。
ですので、その発言に限定すれば、「絶チル」と SF との関わりは、直接は念頭に置いていないんだと思います。
(しかしあの番組って、実は栗山千明にコスプレ紛いのカッコさせて、秋葉原の等身大綾波の前で「綾波レイ。私の一番好きなキャラ」と言わせたかった(あるいは栗山自身がそう言いたかった)だけちゃうんかい?とも思ってしまいました(笑))
つまりは、浅倉南ちゃんに好かれたいとは思っても、
「チルドレン」たちに好かれたい少年は少なかろう。
ましてや、好青年皆本にいたっては
>早めに死んで欲しいタイプだよネ
というわけですか。
納得しました。
私も別に少年マンガのメインストリームにコアなSFが来て欲しいとは考えません。
そんな小難しい物を中心に据えたら、マンガの息吹が失われると思います。
私もSF「的」で十分と思います。
ただ、無闇にわけもなく強いとか、努力と根性で魔力がUPするとか、ばっかりなのもねぇ。
疑似科学的な装いもスタイルの一つとしては、雑誌に一本欲しいところです。
このごろのお気に入りのアキバ系の歌に『ギリギリ科学少女ふぉるしぃ』というのがあって、そのお気に入りのフレーズが、
>よくできた科学は 魔法と区別がつかないが
>よくできてない科学も 魔法と区別がつかない
です。
現実においてエセ科学が蔓延するこの時代、真に科学的な疑似科学の精神を少年に薫陶するのも、「教育的」ではないかと、思うしだいです(笑)
それに鼎さんの再レスで既に話としては区切りついてますけど、まあ私も少し咬ませて頂きたいなぁ、と (^^)
長レス投下になりますが御容赦下さい…いえ、まあ無視したって下されば重畳至極… (^^;;;;
で…
>「絶チル」の「少年マンガとしては反則」という部分
に関しては、井汲さんのご指摘に全面同意です。
名無しさんも暗に触れられてます(と解釈しましたw)が、特に『絶チル』の場合、企画段階でのサンデー編集長であった “三上氏が望む「少年マンガ」” との乖離がその難産状態を生み出したであろう事は想像に難くなく、その顛末を受けて椎名先生による「少年マンガとしては反則」と言う認識に至った部分も多分に有るのだと感じます。
(この辺りの水面下での編集との仁義なき駆け引き!wが察せられるのが当時の椎名先生の完成原稿速報だったのですが、既に連載以前の過去ログが落ちてしまっているのは資料価値的にも残念…まあ、アーカイブスを使えば、誰でも再チェックは可能ですけどねw)
三上政権以前の作品も含まれますが、その近辺のサンデー新連載の特徴として、トライアル作品が連載化するに当たって主人公の年齢設定が引き下げられ「少年」化されるというパターンが多々見られましたよね、『鳳ボンバー』『売ったれダイキチ』『十五郎』等々…また、それら以外の作品も圧倒的に「少年」主人公としてフォーマットされてました。
この辺りにも、“「少年マンガ」の主人公は「少年」であるべし” と言った編集サイドの思想が見えてきますし、或いは、そこには雑誌販売が低迷する業界内で「マガジン」と差別化して読者のニッチを得たいとする切実な意図もあったのかもしれません。
事例の極北として読切版『でんぢゃらすじーさん』がサンデーで掲載された事もありますが、これもコロコロ読者層からのサンデー層開拓って意味で、明らかに低年齢層をターゲットにしていた証ですよね…しかも、この作品の掲載が『絶チル』短期集中連載と期を同じくしていたのは、中々 “思わせぶり” じゃないですか? (^^)
三上方針については、個人的には批判的に思う所も多々あります(そもそも対象読者を限定し過ぎるのはナンセンス…そんな事してたら『デビルマン』他一連の永井豪作品や『北斗の拳』『男組』なんて名作は生まれる素地さへ出来ない。 名作『エスパー魔美』だって主人公は少女…それどころか、プロトタイプ版である『赤毛のアン子』は少女雑誌で掲載されてましたが、作品の基本構造は少年誌作品『魔美』と全く同じと言って良いのですよね)。
しかし、三上氏が雑誌“経営”の視点から王道少年マンガの至近の成功例である『ガッシュ』の再現を念頭に置いていたとしたら、それはそれで編集責任者としては有りだったのかもしれないな…って程度には理解したいと思っています(但し、この政権下での負の遺産が、現在のサンデーに“作品・作家層の薄さ”としてかなり深刻な影を落としているのは否めないですが…)。
そもそも「少年マンガ」もその定義自体が曖昧(ウィキペディアでも「具体的には少年漫画雑誌(少年雑誌)に掲載されていることで分類される。」などと記述されてますが、これじゃ「卵が先か、鶏が先か」みたいね… ^^;;;;)なのですけど、『絶チル』における「少年マンガ」性を考える場合には、こういった作品周辺の背景も考慮に入れていかねばならないのだろうな…私はそう思っています。
そんな風体で『絶チル』を眺めてるものですから、私個人にとっての「少年マンガのメインストリーム」は、その時々の趨勢って事以外には、それ自体を定義し難い曖昧な存在でしかないですね~、実際のところ… (=ω=.)
SFが少年マンガのメインストリームであった事は、“殆んど”無い…私はそう思ってます。
手塚治虫・横山光輝・石森章太郎、藤子不二雄(専らF作品)、永井豪…そんな各先生方により描かれた、少年マンガとしてコアなSF、尚且つそれが広範に認められ受け入れられた作品群となると、少年マンガの系譜の中では本当に一時的な過程として限定されてしまう様に思えます。
まあそんな中では、時代に縛られずにコンスタントにSF少年マンガを発信し続けた作家として、藤子F先生の存在感が突出してますけど…それでも、SFとしてコアで且つエンターテインメント性も高く、総合評価として名作と冠すべき『モジャ公』や『21エモン』(驚くべき事に両作品とも週刊誌連載作品!)でさへ連載当時は人気が出なかったとの事ですしね(溜息)
尚、井汲さんの表現によるSF「的」(これ、最高に的確な表現ですね! ^^)なマンガとしては連綿とした流れはありそうですが…その命脈を保ち、広く拡散させたって観点からも、藤子F先生の少年マンガ界で果たした功績は余りにも巨大だったと思います。
ご自身のSFへの造詣の深さを「すこしふしぎ」と言うキーワードで再フォーマットして、広く一般化させる事に成功させた才能の発露は、比肩すべき対象も無い、正に稀有なる天才としか言い様がない!
話を戻して…SF者とそれを取り巻く時代背景を描いた自伝的作品として、とり・みき先生の『あしたのために』がとても興味深いです。
この中で、とり先生はデビュー当事の打ち合わせで、担当編集から自身の吾妻ひでお先生からの影響の濃ゆさを喝破された上で、「(前略アレやコレやと)SFだけは絶対やらないよーに!!」と釘を刺されてるシーンがあります(w
吾妻先生に代表されるSFムーヴメントが起こったのが1970年代後半、とり先生のデビューが1979年、その一方で、鼎さんのご提示された『リングにかけろ』がやはりほぼ同時期に連載開始…それらを思えば、メジャー少年誌におけるSFの位置付けも憶測出来ようというものですね f(^^;
とり先生以外でも、やはりそういった打ち合わせの席上でSFを避ける様に言及されたと言う作家さんのお話は他でも(しかも複数)聞いた覚えがありますし…(どのマンガ家さんだったのかは失念しましたけど ^^;)…やはり、編集サイド視点によるSFの位置って実に微妙さを感じさせます。
まあ私も、コアなSFについての鼎さんの御意見
>そんな小難しい物を中心に据えたら、マンガの息吹が失われると思います。
には同意なのですけど、でも、たま~にでもいいから『コスモス・エンド』(トム笠原 著)※の様な作品が週刊少年誌の片隅に載ってて欲しいなぁ、なんて思ったりもしてます (^^)
>現実においてエセ科学が蔓延するこの時代、真に科学的な疑似科学の精神を少年に薫陶するのも、「教育的」ではないか
…もう全く、ぐうの音も出ませんです、ハイ (^^)
※ 作者ご本人によれば、『コスモス・エンド』は「当時のSF連載の例に漏れず、最初から回数が決まっていた」との事…これも少年誌におけるSFの位置付けとしては興味深い発言ですね。
すいません、だいぶ遅いお返事になってしまいました。
皆さんのおっしゃっている通り、最初の私の発言に関して言えば、「感情移入の対象が大人の男性で、活躍するのが生意気な女の子3人組」という部分に関して「メインストリームに喧嘩を売る」云々の表現になっているのであって、SFというジャンルについて言及したつもりはありませんでした。
一方の「金剛番長」が「メインストリームから外れた」と言ったのは、「番長もの」という完全に少年誌では絶滅したジャンルを(厳密には、チャンピオンでかろうじて生き延びてはいるのかもしれませんが)、今あえて持ち出してくるというセレクトに関して申し上げたつもりでした。
つまり、同じ「メインストリームから外れた」という言い方をしていますが、上記2作品の「外れ方」には違いがあるのだと考えております。
「絶チル」はキャラクターの配置が、当時顕著だった編集部の方針に真っ向から反しているという意味。「番長」はジャンル選びそのものがかなり奇をてらったものになっているという意味です。
もっとも、身長2メートル以上のほとんど喋らず何者かもわからない三白眼の大男が主人公というキャラクター配置も、「クナイ伝」「ダイブ」など、女性的な等身大の主人公が幅を利かせる現在のサンデーの中で、かなり異彩を放っているのかもしれませんが。
> そんな小難しい物を中心に据えたら、マンガの息吹が失われると思います。
> ただ、無闇にわけもなく強いとか、努力と根性で魔力がUPするとか、ばっかりなのもねぇ。
まあ、「コブラ」みたいに、両者のミックス的なやり方はまだ行ける余地がありそうな気もしますけどね。「009」や松本零士的なアプローチは、今日では困難であるとしても。
> 但し、この政権下での負の遺産が、現在のサンデーに“作品・作家層の薄さ”
> としてかなり深刻な影を落としているのは否めないですが…
さんざん言われてきたことだとは思いますが…何で野球マンガが3本もあるんだよ!(笑)
多くのレスをいただきありがとうございます。
いろいろ触発される所があり、ありがたいと思っております。
タイトルも触発されて思いついた事です。
コアなSFは、構成上精密なものです。
というのも、SFはその構成上、
『非日常的なイベントが、論理的な展開によって、非常識な結末に至る』
という特徴を持っていると私は考えます。(たぶん椎名先生の特性を良く表現できると思います)
これは、伏線とその収拾、緊密な構成を作品に要求します。
ところが、マンガ週刊誌という媒体では、これは不都合な性質です。
つまり、連載回数を変更すると、構成が破綻しやすい事を意味します。
「アンケート順位による回数決定」という「ジャンプ方式」は、SFを描く側にも載せる側にも困難をもたらします。
短縮はともかく連載が際限なく継続する事態は、SF作品には構成を破綻させるものです。
>「当時のSF連載の例に漏れず、最初から回数が決まっていた」
これはむしろ作者と編集の間のより良い妥協ではないかと考えます。
藤子・F・不二雄先生の作品も一話完結が多く、時系列に並べられる必要がないので、雑誌に載せやすかったのではないかと考えます。
その点、SF「的」作品はSF的要素を配置するだけにとどめるので、切りやすく延ばしやすいものになるのではないでしょうか。
もう一つ、『リングにかけろ』についてですが、
この作品はスポコンで始まり、最初の三ヶ月くらいは白戸三平あるいは梶原一騎的疑似科学的理論武装がありました。
たしか1978年くらいに「ギャラクティカ・マグナム!!」が出たくらいから、理屈もへったくれもなくなってしまいました。
疑似科学的からSF「的」に脱皮する瞬間に私も立ち会ってしまいましたが、思えばあれが少年マンガ誌における「ポストモダン」の誕生だったのかもしれません。
そうか!
スポコンや番長物(例えば『男組』とか『男一匹ガキ大将』)は「モダン」であり、SF「的」はポストモダンだったのか!w
ポストモダンなら切るのも延ばすのも「モダン」よりやりやすいわけです。
するとポストモダンの登場は「ジャンプ方式」の成功と密接な関係がある、と言えるに違いありません。
椎名先生はどちらかというと「モダン」なタイプ※の作家だと私は見ています。
「ジャンプ方式」では生きづらいかもしれません。
※キャラクターが近代的自我を有していて、ストーリーが構成的、の意
本当に事の本質を突いてくるなぁ (^^;;;; >鼎さん
>コアなSFは尺が決まらないと描きにくい
>これはむしろ作者と編集の間のより良い妥協ではないかと考えます。
実は、先に挙げた 「当時のSF連載の例に漏れず、最初から回数が決まっていた」 の引用文は、部分的な引用なんですよ。
元の文章の関係部分を抜き出すと…
「僕の初めての単行本です。週刊『少年ジャンプ』誌に、13回にわたって連載されたものをまとめました。当時のSF連載の例に漏れず、最初から回数が決まっていたので、じっくり全体の構成を考えながら描くことができました。」
…なんです、正に!
つ【http://www.h4.dion.ne.jp/~kasatosi/chosaku.html】
それにしても『風魔の小次郎』(これもポストモダン?w)と『コスモス・エンド』(モダン)、それに『コブラ』や『キャッツアイ』や『キックオフ』wwwなどなどが共存できた80年代始めの「ジャンプ」…この途轍もない間口の広さって何なんでしょうね? (^^;;;;
少なくとも、今の「サンデー」では絶対に望めないなぁ…(いえ、当の「ジャンプ」や「マガジン」でもそうなのかもしれませんが)。
>藤子・F・不二雄先生の作品も一話完結が多く、時系列に並べられる必要がないので、雑誌に載せやすかったのではないかと考えます。
この視点も本質的だなぁ… (^^)
『T・Pぼん』や『エスパー魔美』あたりには特に言える事かもしれません。
一方で、実際には『モジャ公』や『21エモン』は、1話完結よりも複数話で一エピソードが構成される連作的な趣が強いのですが…考えてみれば、これって椎名先生の作風に非常に近似しているんですよね。
そんな面から見ても、
>(椎名先生は)「ジャンプ方式」では生きづらいかもしれません。
と言うのは、実に正鵠を射ていると思えました。
…うーん、話の方向がスレ本来の方向とズレちゃいましたね… f(^^;
ゴメンナサイです m(_ _)m >名無しさん
>コアなSFは尺が決まらないと描きにくい
なーるほど。アニメの世界では、「ヒップガールズ」………じゃなかった、「スカイガールズ」を初めとして、割とストレートな SF 作品が未ださんざめいているのも、ひとつには「話数が決まっているから」という事情もあるのかもしれませんね(←もうちょっとマシな例を挙げろ(笑))。おかげで、オペレーター役の当たった女性キャストの皆さん方は、ワケの解らない雰囲気ゼリフを大量に読まされるハメに陥るわけで、ご愁傷さまです(笑)。
ここからは SF からは離れた話になりますが、「少年読者が、自分を託して読めるキャラがおらず、話の面白さで引きつけるしかない」タイプのマンガっていうのは、少年誌上であっても、数は少ないながらもそれなりに存在はしています。例えば「ブラック・ジャック」とか、「アウターゾーン」とか、つい最近大ヒットした「DEATH NOTE」とか、えーと、今すぐ思いつけるのはそのくらいしかなかったんですけど、きっと他にもあったはず(まあもっとも、難しい路線には違いなくて、あの手塚先生も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はパッとしないまま終わってしまいましたが)。なので、椎名先生のように「文法違反」とまで強く否定する必要もないんじゃないかな、とも思うんですけどね。
横レスですいません
本スレの内容を興味深く拝見していたのですが、
ここであげられている「SF」の定義について、現在、SFファンを
自認する方々からいえばどのような作品が「SF」の範疇に入るのか
個人的に興味があります。
藤子F作品や岡崎二郎、星野之宣あたりはまあだいたい
最大公約数的に認められるのではないかなという気がするのですが、
諸星大二郎あたりはどうなのかとか、松本零士や永井豪あたりは
読みきり短編を除くと、執筆スタイルからしてどっちかというと
行き当たりばったりで事前に綿密な構成を決めて書いている
わけでもないしなあ・・・などという感想を抱いています。
もしよろしければ、「自分の考えるこれぞSF」といった作品をいくつか
あげていただけないでしょうか?
自分の場合、過去に忘れられない衝撃を残した作品の中に
遠い呼び声:星野之宣
侵略円盤キノコンガ:白川まり奈
西から登る太陽:一峰大二
ザ・ムーン:ジョージ秋山
妖怪ハンター:諸星大二郎
といったものがあり、個人的にはこれらに「センス・オブ・ワンダー」
を感じたのですが、どうも「SF」というカテゴリとは微妙にズレが
あるんじゃないかと気がしてます(笑)
ランチをめぐる冒険(1)
ちさとちゃんボイスが脳内に流れた今週号… “皆本さんは悪くない” (ぉぃ
…いえ、深い意味はないです、お兄ちゃんネタのタイミング同期に思わず苦笑してしまっただけで、ハイ… (^^;;;;
ただ、実際の所、昨今の子供を巻き込んだ事件の多発ぶりは嘆かわしく悩ましい現実です。
また、先にFukazawaさんがWhat’s New にてアニメ版『こどものじかん』の放映中・休止問題を『絶チル』と対照させた形でのエントリをアップされてますが【http://whatsnew.c-www.net/mm/147980.htm】、それらも含めて椎名・『絶チル』ファン視点から思う所もあったりするワケですけど…それは今週号の感想からは逸脱してしまいますので今回はパス…もし時間が取れたら、後日書き込んでみたい話題なんですけどね…。
閑話休題。
ここんところは辛目のエピソードが続いていましたけど…そのせいか、遂に先生に “反動” が来ましたかっ!? (^^)
いやもう、何、この面白エピソード?www
重い本筋の縛りが無い日常(学校)パートの話も久々ですね、そう言えば。
3人娘(特に薫)のはしゃぎっぷりが素晴らしい!
パジャマ姿の葵の髪の結い加減が素晴らしい!
ナニゲに皆本にプレイを仕込む黒紫穂が素晴らしい!
東野クンに対して、既に異性的牽制を弄せる様になってる黒ちさとちゃんも素晴らしい!(くすっw)
そして、何より…
>憎しみで人を殺せたらネ
嗚呼、これだ! このセリフが出てこその椎名マンガ!!www
『味っ子』ネタやら(やっぱマンガ原作よりも、アニメ版の方が印象強いなぁ… ^^;)、何時にも増して豊かで生き生きとしたキャラの表情やら、p.367の様な5コマ目みたいな変に流れを腐したカットやら(w、ラストページ1コマ目でポッ○ー部分にまでモザイクかけてる芸の細かさやら…何だか悪乗り感も含めて色んな意味でリミッターぶっ切ってる感じがとても楽しかったです (^^)
取り合えず今週号の結論としては…『東野クンは確実に尻に敷かれそうね』&『嫁にするなら絶対皆本!!』ってことでオケー?
そして、次号はいよいよ薫版「その火を飛び越して来い!」な話か!?(←多分、違います
あと『さぷり』の2本目…朧さんネタですけど、これって連載初期の頃にファン間で囁かれていた朧さん疑惑説からピックアップされた気配を感じるのですけど…そうしてみると、やはり椎名先生はナニゲにファンの反応を把握してるっぽい?
何にせよ、こういう形で先生自ら(しかもベタにw)ネタ化されたって事は、朧さんには特に裏の有るプロフ設定は無いと見て良いのかな…???
いやホントに、壮絶な忙しさぶりをアピールしながら、あのポッキーにいちいちモザイクを掛けちゃう椎名先生の律儀さって何なんでしょうね!?これだから大好きだ!(笑)そして紫穂はどこまで腹黒くなるんですか…(笑)。
4コマも相変わらず好調ですねー。ドジっ娘の朧さんにトキメキました。
いや、違うって(笑)
それはともかく、今回は「超能力」を隠した(封じた)形での薫の行動を見る
いい機会だと思います。
普通のレベル2程度の力で、どこまで危機を回避出来るか、はてさて。
つか、隙をついて東野君をブン殴って気絶させると云う手も・・・(笑)
しかし、皆本がいそいそと3つのお弁当を作ってる姿って・・・
なんか微笑ましいかも。
椎名先生の欠点は頭が良くて、誠実な事。
と言うと、かなり語弊がありますが、
つまり、作品を描く時に、作者と同等の知性を読者に設定して描いているという事を言いたいのです。
良く言えば、読者を対等の相手とみなして全力で構成を作ってくると言えるのですが、
悪く言えば、幼かったり頭が悪かったりする読者には、「難しくてわかんな〜い」ものを描いてしまうということです。
なんでそういう事を思ったかというと、
今週号の最後の2コマ
>葵:雨の中では テレポート でけへん…!!
>紫穂:あの2人、ずぶぬれで 2人きり…!?
って、このコマだけで次回の展開を予想して期待を抱くって、普通無理です。
(特に紫穂の一言だけでは)
そこで爆担さんの出番。
>次号、友情が愛情に…!? P&D展開
と柱で解説してくれるので、次回がラブコメか?という興味が誘導されるわけです。
本誌がこの半年ほど従来のサンデー色とはちょっと毛色の変わった新人や新傾向の作品を投入してくる中で、方向性としてはわかりやすさが重要視されていると思います。
(たぶん転換点は『ハルノクニ』の終了頃のような感じで、それから模索が始まったように思えます)
ところが、椎名先生はほっとくと、マニアや「おっきいお友達」にばかりに人気が偏り勝ちです。(ってここで言っててどうする)
そこで「わかりやすさ」を背負ってくれてるのが爆担さんというわけです。
編集者というと、作者を売れる方向に鼻先を向けてくれる馭者的役割ばかり話題になりがちですが、爆担さんの場合、作品を適切に解説して読者の理解を進めてくれる役割をしてくれているように感じられます。
と、誉めておいて、次に貶します(笑)
今号の「前号まで」を見てください。
>皆本二尉は、おなじみ「ザ・チルドレン」現場運用主任として、日々いろんな汗をかいてるワケで…
問題はこの「いろんな汗」ですね。
これはほとんどネタバレに近いうっかりだと思います。
いろんな汗には、「流れる汗」「脂汗」「冷や汗」とあるわけですが、
この一言から、今エピソードが
「皆本が陰でどんな働きをしているのか、どんな風に働かされているか」
という話であろう、結局最後には皆本がひどい目にあうオチであろうと、考えられるわけです。
第1話で女の子中心に皆本の株が上昇している一方、男子には反感を買っているわけです。
これはもう、皆本の株をどう落とすかというオチしか考えられません(私の中では)。
今回さぷりめんとで桐壷局長の紹介がされていますが、チルドレンに対する局長の溺愛の結果、無理無体の尻拭いをさせられるのが皆本の定めと明らかにされているのも伏線と考えるべきではないでしょうか。
きっと、この遠足もバベルが陰で警備しているに違いありませんし、そこに皆本がいるのも既定の路線でしょう。
本編内の関係者の証言で、目伏せされているのにあって無きがごとき網かけになっていて目の表情がはっきり描かれているのがおかしいし、
しかもちさとちゃんも東野君も微妙に視線をそらせているのが絶対おかしい。
紫穂にいたっては、ポッキーかじるのはそらっとぼけてる時のお決まりです。
これは絶対、皆本変態説を強化する展開に決まってます!!
おぉっ、知らぬ内に妄想が暴走しているw
えっと、つまり爆担さんは、わかりやすさのためにがんばってくれてるのはわかりますが、作品の構成に関わっている分だけ、ウッカリネタバレをやっちゃう危険をはらんでいるわけです。
桃太郎をムササビとやってしまうウッカリさんのようなので、気をつけてがんばってください。
私の「サンデー」には話数とエピソード・タイトルが載っていません(涙)。単なる印刷ミス?
次回は、薫「暖め合うしかねーなー」東野「わー!俺にはちさとが-!」。
いや、これは3巻で1回あったやんか。
上田洋一さん wrote
>私の「サンデー」には話数とエピソード・タイトルが載っていません(涙)。
p360 (扉絵のある見開き右側のページ)
のフッタに書かれているんですが、印刷で切れてるんですか?
早速、落丁で交換に出しましょう。
お弁当が待ち遠しいあまり、何度も取り出しては矯めつ眇めつし、友人にも自慢する薫に、もろに感情移入してしまいました。
自分も、物心がついて初めてのお弁当の時はこんな感じだったなあ。今でも当時の事をしっかり憶えているという意味では、一生の思い出になるお弁当でした。その日のイベントが雨天延期となりお弁当の意味がなくなってしまったのは、実に悲しかったものです。……あれ、これがトラウマってやつ?(笑)
ともあれ、あんなに勢いよく転がってっちゃったら、中身は凄い事になってるだろうなあと頭の片隅で思いつつも、彼女のお弁当が無事に見つかる事を祈っております。(薫の物だけまだ中身が明かされていないのは、大した被害もなく回収される事への伏線かもしれませんけどね)
>柱で解説してくれるので、次回がラブコメか?という興味が誘導されるわけです。
とすると、登場人物紹介の東野くんの項で「薫とは友情関係?」とわざわざ疑問符を付けているのも、爆担さん(byるかるかさん)による誘導の一環のようですね。
最後の葵の「雨の中ではテレポートできへん…」のセリフですが、同じ雨でも9巻の「国王陛下のチルドレン(1)」では「こっそりテレポートしたらすむことやしな」と言ってますよ。
雨量の関係で差が出てくるのかもしれませんが、ちょっと説明不足…というか、話を面白くする事を優先した為に多少の設定は犠牲にした(または忘れた)んではないかと。
椎名先生はそういう作風みたいだし。だからこそ、自分も好きなんですけどね。
後は駄文です。
>Ms.味っ娘
>「何千年修行したら可能だ、そんなの!?」
「中華4千年、インド6千年、合わせてアジア1万年!」とツッコミを入れてしまった。先生の手の平で踊らされてしまったわけです(笑)。
薫のお弁当の中身は「おむすび」と見たね。お弁当が転がっていくところが昔話の「おむすびころりん」と掛かっているし、薫の言う「料亭の仕出し」と逆の簡素なお弁当だし。
そして最後は期待を裏切られた薫の怒りを買って皆本が絞められるオチになりそう。
さぷりめんと(4)
局長が登場☆ 溺愛っぷりが本当に素敵です。皆本は大変でしょうけど。
「ダメだ。我々は急いでいるのだ。」が妙にツボですw
「この国にあの子たちより大事なモノなどないわーーーッ!!!」は一理ありますので、税金と権力の使い方は間違っていないと思いますw 振り回される方は大変でしょうけど。
局長が『さぷり』に無事出演して一安心です。
朧さん疑惑再び。
結局判らずじまいな所が巧くて流石です。
いつか朧さんの家を訪問してほしいですねぇ~。
ともあれ、ラストの朧さんに萌えた! 朧さんに初めて萌えた!w
本編ですが、ティム君の事後処理とかをやるのかなぁ~と思っていたら、開始2ページで遠足気分になりましたw もう掴みはバッチリでした。
全ページ面白かったので細かく挙げられないのですが、僕的MVPには葵を選出したいと思います。お下げ髪がめがっさ可愛いのと、「茶色いのはイヤや~~」に萌え萌えなので☆ 次点ではやはり、東野君にお弁当を取られた薫の一連のリアクションですね☆
それにしても、皆本はスゴイですね…。僕はこんなお弁当作れません…。
そーいえば、皆本は別にバベルに出勤しなくてもいいんでしたっけ。3人と一緒にいるのが仕事みたいなものですもんね。
しかし…、なにか皆本の欠点を探したくなってしまいますね……w なにかこう…女の子ウケしないやつをw
展開的には軽く楽しめばいいと思うのですが、鼎さんのレスを読むと、確かに「証言VTR」がちょっと引っ掛かりますね…。何と言いますか、“当事者”もしくは“被害者”が出ていない感じでしょうか? 個人的には、学校パートなのでなるべく大人は出てほしくないのですけどネ…。
>「雨の中ではテレポートでけへん…!!」
おそらく、矛盾していないと思います。
第9巻ではきっと校内からテレポートするつもりだったのでしょう。それなら周りに余計な物は無いでしょうし。
「じゃあ今回は傘で雨粒を遮断してテレポートすればいい」と思うかも知れませんが、雨具はカッパしか用意していなかったのです…!(く、苦しい)
それはそれとして、最強の超能力テレポートにも短所がある所が巧いなぁ…と思いました。
>担当Mさん コードネーム:爆担さん へ
こーなったらもー、絶チル史に色んな爆言を遺しちゃって下さいっ!!ww
今週号の「雨の中ではテレポートでけへん…!!」と、「こっそりテレポートしたらすむことやしな。」(コミックス9巻、「国王陛下のチルドレン(1)」)の違いについて、私としては移動先に雨が降っているかどうかの違いだと解釈していますが、どうでしょうか。
以下、この解釈に基づいてこれまでの台詞の意味を探ってみます。
今週号の場合では、薫達を探そうとすればどうしても雨の降る山中へテレポートする事になるので「テレポートできない」。雨天の下校時には、皆本の部屋の中(小学生の徒歩通学を考えると数km先。これまでの描写から、おそらく葵にはテレポート可能な距離)へ直接テレポートすれば雨は関係ないから「テレポートすればすむ事」。
葵は短距離ながら水中から空中へのテレポートを披露しており(同1巻、「あたしたちは天使じゃない」)、自分の周りに雨があるかどうかはあまり関係無く、あくまで移動先の状況次第なのでしょう。
同主旨の台詞としては「これじゃテレポートができへん……!?」(同10巻、「とっておきの日(1)」)があります。雨ではなく、薫が三人の周辺に浮遊させている瓦礫が、テレポートを阻害しているようです。これは、瓦礫のある範囲から中長距離テレポートで離脱する事は可能でも、薫に接近したり、薫の周囲を短距離テレポートする事で撹乱したりするなどの積極的な行為ができないという意味なのだと思われます。
では、雨の中のテレポートが全く不可能なのかというとそうでもなそうです。「この吹雪やとちょっとな…/水とかゴミとか余計なモンがたくさんあるとうまくできへんねん」(同9巻、「スキャンダルの館(1)」)。この台詞の裏を返せば、やろうと思えばテレポートは可能と取れます。ただし、移動距離が非常に短くなるのか、「いしのなかにいる」のような事故が起こるのか、通常より余分にエネルギーを必要とするのか、ともかく効率が悪く実用的ではなくなるものと思われます。
また、目的地の屋敷内へ直接テレポートすればよいように思えますが、件の屋敷はEPS対策仕様(……EPS?)との事なので、外部から屋内へのテレポートはできないと考えられますし、皆本宅と違い、葵が屋敷の位置や内部をよくは知らなかった事も関係しているのかもしれません。
ここでさらに遡って調べてみると、こんな台詞がありました。「葵の瞬間移動は水中じゃ大幅に距離が制限される。/水面まではとても無理だ。」(同3巻、「瞳の中の悪魔(3)」)。
海の平均水深を考えると、一度のテレポートで十分水面まで行けるはず。つまり、移動元と移動先の間の物質も移動距離に関わってくる事になります。雨と比べると水中では移動地点間の物質の量は、テレポートの邪魔になるほど多いという事なのでしょう。
雨がテレポートを阻害する理由については、「移動先に存在する、雨や吹雪や浮遊する瓦礫のような移動する無数の小物体は、テレポーターが移動先を空間認識する際にノイズとなって作用する」という仮説を立ててみました。
上手い比喩ではありませんが、水中移動はプールの中を歩くのに苦労するようなものなのに対し、雨の中への移動は深い霧の中を手探りで歩くようなものであり、実は両者のテレポートできない理由は異なっているように感じます。もっとも、今の所は裏付けとなるものは何もなかったりしますけどね。
まとまりに欠けますが、とりあえずはこんな所でしょうか。尚、連載中における設定変更は敢えて考慮していませんので、あしからず(^^;
完成原稿速報更新 07/47号
http://cnanews.asablo.jp/blog/2007/10/16/1855269
ともかく、椎名先生、お疲れ様です。
更新時間から察すると、もしかして徹夜明け?
何だかスケジュールもカツカツ状態みたいですけど、お体にはくれぐれもお気を付けて…f(^^;
11巻でも「おまけ」ページは有る様で嬉しい限りです。
…いえ、ひょっとしたら11巻から体裁変えてくる可能性も有るかなとも思ってましたので…逆に言えば、これはもう『絶チル』コミックスの標準装備と受け止めてヨロシイのかな?かな? (^^)
『さぷり』もまだまだ続けて下さるようで…もうすっかり毎週の楽しみになってますので、これも嬉しい限り…先生はホンキで大変でしょうけどね (^^;;;;
アンケに『さぷり』効果は出ているのでしょうか…大いに気になるところです。
いや、「想像を絶する先生」の方が合ってますか…?
なんだか物凄い量の仕事をこなしていますね…!
「最近 寒くなってきたので体調管理 気を付けて下さいね。」と言おうと思ったのですが、もはや そんな事言ってられない状況みたいですね…。
「頑張って下さい。」も言い難い状況ですので、僕にできる事は熱く見守る事のみです…!!
>そんなこんなで11巻ではカバーの4色の他、おまけ4Pに本編追加2P、カット2Pと中扉を描きおろしましたんで、ぜひともお買い上げのほどよろしくお願いします。
僕は「本編追加2P」に注目ですっ! 僕のアンテナは引っ掛かってくれるハズ。楽しみです。
締切過ぎてまで これだけの描き下ろしをしてくれた椎名先生…!! 単行本を2冊買いたいと思ったのは初めてです…! …でも結局1冊しか買いません。スイマセン。
>本誌の4コマもここまで追い詰められてもやめずに続けてますんで
……………!!! …凄すぎます………!!
ふと思ったのですが、ひょっとしたらこの4コマは本編では紹介しきれなかった設定を紹介するのに丁度良い場所なのかも知れませんね。先生にとって負担ばかりではなく そういうメリットがあるのでしたら、嬉しい限りです。
個人的には、せめて局長が出るまでは続けてほしいです。
ところで…、『スカイガールズ』第15話を観てみました。
残念ながらお尻はOPのみでしたがw、面白い作品だと感じました。
何と言いますか…、画面に惹き付ける力がありますね。事前に公式サイトを大まかに読んだだけだったのですが、観てすぐに世界観に引き込まれました。ええ、もう毎週観ます! 例のコスチュームもちゃんと見たいですしw ベタな感情移入ですが、今の所 瑛花ちゃんがお気に入りです☆
ビー・マイ・フレンド(6)
出た、プルガサリ!しかし、足の裏にはしっかり「MADE IN CHINA」。すごいなあ、2011年の中国は。いや、「ちゅうごく」じゃなくて「なかこく」かもしれない。まあ、確かに「MADE IN NORTH(以下略)」とは書けませんよね。大人の事情があるでしょうから。私が観た北朝○がらみの作品は「金○成のパレード」(1988.ポーランド)だけですけど。すごいドキュメンタリーでしたねえ。「マンセー!マンセー!キム、イ○、ソン!マンセー!」と叫びながら・・・すいません、脱線が過ぎました。
ところで、サプリメントでマッスルと澪の持って来たのはビッグマグナムのレプリカだと思います。むろん、皆本あての!でも・・・あんな格好の配達員を入れる時点でバベルは絶対何かおかしいと思います。受付どうこう言う以前に。
えーと、本編の方は・・・パンドラ幹部のブロンド美女(推定)が「真木ちゃんがカンカンよ、少佐」と発言していたのが大変気になります。確かに、真木はこれまでやたら少佐とイチャイチャしています(間違い)ので・・・。彼は「少佐のお目付け役」なんでしょうねえ。それはそうと、このブロンド美女の名前は何というのでしょう?そろそろ明かしてくれてもいいんじゃないか、という気もします。あるいはまだ名付けられていないとか・・・。
で、某借金執事をはるかに上回る負債を抱えてしまった皆本。体で返すって額じゃないでしょうが・・・。「ナニワ金融道」の帝国金融が債権者なら皆本の親族全員まで資産差し押さえに追い込まれてるんじゃないでしょうか。とりあえず、来週は「Minamoto the kombat koumuin」ということで。何に戦うのか良く分かりませんけど。井上靖(故人)の短編歴史小説にあったように「洪水と戦う」とか。罰ゲームで女装させられて空自の宴会の華になるとか。GS美神の頃なら、夜間土木作業ぐらいですむんでしょうけど。
今週のサプリメントはいやがらせを楽しむ配達人がツボでした。澪もすっかり明るくなっちゃって。やっぱりこの二人はいいコンビです。なお、ピアスの場所は詮索しない方向で(笑)。
皆本が使用した携帯電話内蔵のECMは、ノートPC内蔵のECCMと同じく稼働時間は短いと思われますが、有効範囲や威力は軍用のECMと遜色なさそうな様子。絶チルの世界での最新技術の実用化、小型化のスピードはかなり早い、というより最前線で超能力研究ができる皆本だからこそと考えた方がいいのかな。
今シリーズではチルドレン三人の絆の深さを強調しつつ、一方で「何があっても独りじゃない」と誇らしく語るシーンでは、皆本らチルドレン以外のバベルの面々は当然として、消防やレスキューの皆さんもちゃんと仲間に含まれていたのが良かったです。皆さん、いい表情してるなあ。
オマケ4コマと言い、「あいこら」と言い、「女子体操着強化週間」でもやってたんでしょうか、今週のサンデーは(笑)。
ティム・トイ君の最後の変身した怪獣ですが、プルガサリだと考えるとなかなかに深いものがあります。
『プルガサリ』は1985年に北朝鮮で製作された怪獣映画ですが、監督のシン・サンオクは強く招聘されて北朝鮮に亡命し(拉致の疑いは強い)、北朝鮮の映画界に大きく貢献した人です。後の1986年に最亡命して2006年物故しています。
『プルガサリ』のプロデュースは、まだ総書記に就任前の金正日(キム・ジョンイル)氏が行なっており、この映画の内容も金正日氏の意向が反映されていると言われています。
でも、その内容が単なる娯楽映画でもなければ体制賛美にもなってないんですよ。
※注意!!以下、ネタバレあり
プルガサリとは「不可殺」と漢字で書いて絶対無敵の怪物なんですが、誕生から村娘に育てられ、鉄などを食べてどんどん強く大きくなります。そして人民を苦しめる悪い役人を追い払ってしまうのです。ここまでは「人民の勝利」を讃える単なる宣伝映画なのですが、その後、平和の訪れた村ではプルガサリを養いきれなくなってしまうのです。
しかたなく娘はプルガサリを死に追いやる事になるのですが…
この作品を北朝鮮の次期後継者が作らせ、おそらくはその意図を反映しているだろうという事がまず面白いのです。
北朝鮮は戦争し続ける事が存続目的の国です。
太平洋戦争後の極東は自由競争資本主義のアメリカと共産主義の中ソが衝突する場になりました。
米と中ソの代理が朝鮮半島における2つの政権であり、代理戦争どころか直接米と中ソが激突したのが朝鮮戦争です。
申し訳ありませんが、1980年代の韓国の民主化にいたるまで、両国ともに傀儡政権でしかなかったと言わせていただきます。
つまり、北朝鮮はアメリカが北上するのを阻止するために存在すると言ってもよい存在なのです。
だから、軍事政権なのであり、総動員経済を維持するための社会主義なのです。
北朝鮮は中ソの代理として戦争していなければ存在価値がない、戦争を続けなければ世界から相手をしてもらえない国なのです。
『プルガサリ』を制作していた頃に、金正日氏はそれに気付いていた。
国家の存在を支える軍が人民の負担になって、このままでは北朝鮮自体が自壊してしまうという認識を持っていたと考えられるのです。
ソ連が崩壊して冷戦が終結し、中国が市場経済を部分的にも導入して米からの投資を招いている現在、北朝鮮はその存在意義を失おうとしています。
だからこそ、周辺諸国と軍事問題を起こして関係を保つマッチポンプ的な行動を起こすのです。
こう考えてくると、ティム君の行動と北朝鮮の行動が同じ動機からであると言えるでしょう。
「戦っている間だけは、他人に相手をしてもらえる」
ティム君の名前がキムに似ているのも、クライマックスでプルガサリもどきに変身するのも、椎名先生の当初の構想の内だったと考えてよいと、私は考えます。
どうでしょう、深読みしすぎですかね?
それはそうとナオミちゃんのこのセリフ
>「頼りになるなあ この人は… ウチの主任とは だいぶ違う。 ……」
そうか、いよいよナオミちゃんも本性表してきたか(笑)
(不審な方は、谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読んでください)
さぷりめんと(3)
スパッツの理由が明らかに…w
単に薫の思惑だったのですね…w ブルマから妥協してスパッツって…隙の無い趣味ですねぇw あ、まさか、バベルのスク水とブルマも薫の希望!?
ところで、このイラストの完成原稿速報の時に僕は「スパッツは恥ずかしい」や「PTAの思惑が謎」など、なんだか椎名先生にとって絶好のリアクションを取ってしまいましたw 嬉しいような…うーん…フクザツな心境ですw
マッスルは相変わらずツッコミ所満載ですがw、澪がちょっと心配ですね。
マッスルと一緒だと一向に賢くならなそうで ちょっと心配ですw
で、本編ですが、またまた濃厚でしたので色々と反応したいと思います。
ECM
やはり完全には封じられないみたいですね。
そしてやはり、「黒い幽霊」側の仕掛けは解りません(汗)。
ECM内でも超能力が使える………、洗脳時に何か細工をしたのでしょうか?? それともQRコードが鍵でしょうか??
「他人の脳の中の化学物質をイメージ通りに変化させるのがヒュプノのメカニズム」…、ふむぅ……!
それと、不二子ちゃんは、ECMを切らせてテレポートでF22をティム君の目前まで持っていって距離感を狂わせて衝突させた…という解釈でいいのでしょうか? いえ、ちょっぴり判りづらかったので…。
ナオミちゃん
「うっさいわねーーー!! 別にいいでしょ!?」って、なんだか恋人に言うセリフみたいデスヨ…? ま、まぁ、ナオミちゃんは谷崎主任の事を特に嫌いという訳ではないですもんね。
ティム・トイ君の弱み
>「戦っている間だけは、他人に相手をしてもらえる」
しかし鼎さんの考察は凄いですね…! 僕はプルガサリなるモノを全く知らないのですが、それでも興味深い内容です。 個人的意見としては、国民の貧窮の上に成り立っている存在意義など要らない!! と思いました。
しかし…椎名先生はあらゆるパロディを含めてきますね…。何と言いますか…壮絶な感じです。
忘れてはならないのがdryさんですね。
>……ああ。表現する相手がいないと、ごっこ遊びも虚しいだけ。
以前からすでに看破していて凄いですっ。
トリプルブースト!!
さくっと使いこなしてますね…。いや、別にいいのですが…。
蹴ってる薫の表情、好きですw
ちゃっかり居たパンドラ
兵部の心境を推し測るに、「P.A.N.D.R.A」は(抑圧されている)エスパー解放の為の組織なので、限定的にでも皆本と目的が一致した事が、生意気だけど嬉しい…という感じでしょうか…。 な~にか良い雰囲気ですねぇ~。(そんなに変な意味ではなく)
逆・百万ドルの男
皆本、終身雇用決定っ!!w 僕の「皆本パンドラ入り」の妄想はこれで打ち砕かれましたね。しかし100億円って…(大汗)。宝くじ当たっても返済できないですね……。
締めの「ひとの人生をオモチャにすんなーーーーーーーッ!!」は、先生にとって規定事項だったと思いました。
今シリーズは、手に汗握るような…、心温まるような…お話でした。
サプリメントも付いて、お腹も心も一杯です☆
この辺の描写は畳み掛ける様に描こうとしている為か、テンポの良さが得られている代わりに、確かに少し判り難くくもなってる感じですね。
私の解釈は、割りとシンプルに “葵(と薫?)がゴッド消防ロボにF22をぶつけた” と思ってます。
・一端、ティム君の能力の影響範囲から離脱を図るチルドレン。それに対し、戦闘機と合体して追いかけるつもりのティム君。 …ここまでが前段(ノンブルp.2~5)
・ティム君の意図を察した皆本によるECM起動。(ノンブルp.6)
※ここで皆本の言う「射程能力を少しでも縮める」とは、ティム君の及ぼす能力圏を縮めると言う事でしょうから、ECM起動によってチルドレンが完全にその影響範囲から外れ、その時点で紫穂と葵が元に戻ったと思われます(ECM起動直前で、既に紫穂曰く「もうちょい」の状態だったのですから)。
・かくしてチルドレン復活!(w …ティム君の影響から離脱しフルに能力を使える状態になったチルドレンの逆襲開始(ノンブルp.7~)
さて、この流れを受けて蕾見姐さんがECMを切らせた意図なんですけど、これは復活したチルドレンが再びテレポートで戻って来る事を感知して、彼女らにECMの影響を及ぼさない為に切らせたと解釈するのが妥当かと思います。
特にこの一連の流れの中でちょっと読み取るのが面倒なのは、恐らくF22の衝突とECM解除行為とは、直接的には関係がないだろう、と言う点。
多分、チルドレン(特にここで能力を行使した葵)は、始めからティム君にぶつけるつもりで彼の至近へF22をテレポートさせたのでしょう(或いは、至近に出現したF22を最終的にぶつけたのは薫のPKによるかもしれませんが、それなら尚の事ECMを切らせた意味が強まります)…何しろ、手近にある物理的攻撃手段としては手っ取り早いものでしたし、合体してより強力な存在になろうとしていた2機をまとめて粉砕するのも合理的な判断です。
そして、これらが “チルドレン自身が意図して行った行為” だからこそ、F22のパイロットも “チルドレンと一緒に” テレポートしてきた(=パイロットの安全をフォロー出来た)のだと思います(ノンブルp.9の一コマ目)。
もしも、F22の衝突が蕾見姐さんの意思によって行われたとすると、チルドレンと姐さんとの意思の疎通があったとは考え難いこの状況下では、流石の葵でも瞬間的な判断を要したパイロットの安全確保への対応が出来なかった可能性がありますしね (^^)
まあ、往々にして椎名マンガではありがちな事なのですけど…これを(敢えて)椎名先生の欠点として上げる事も出来るかも知れませんね…多分、先生は頭が良すぎるのでしょう (^^)
恐らく先生ご自身の頭の中では整合された展開としてキチンと無駄なく組み上がっているのでしょうけど、描写レベルでの無駄も無さ過ぎて(結果的に読者側にはハショッタ状態になっていて)時には読者の側がそれについてゆくのが遅れ気味になってしまう…。
私自身も、今回のpeaceyさんの疑問から改めて流れを解体しつつ読み直して漸くキャラのセリフの一つ一つにも無駄がない事に得心が行った次第で… (^^;;;;
まぁそれにしても、ガウォーク形態を取れるとは凄いな、F22!…流石は国防省次期主力戦闘機!(←致命的に読み取りを間違ってます
はわわー、感想、さっぱり出遅れてしもうた f(^^;
何だか、今回は『さぷり』も含めて絡み易い(つか、絡みたいw)楽しいネタが満載だったのですが…遅刻者としてはもう皆さんに丸投げ(ぇー
取り合えずdryさんの…
>一方で「何があっても独りじゃない」と誇らしく語るシーンでは、皆本らチルドレン以外のバベルの面々は当然として、消防やレスキューの皆さんもちゃんと仲間に含まれていたのが良かったです。皆さん、いい表情してるなあ。
…に、激しく同意!!って事をおさえておきますデス (^^)
消防&レスキューチームの皆さんも現場で共通の脅威(ティム君)と戦った同士だったからこそ、エスパーやノーマルの枠を超えてこんないい表情で共に立つ事ができたんでしょうね。
かつて、災害現場で自分らは成す術も無くチルドレンの圧倒的な力を目の当たりにしているだけだった、そんな消防士さんたちがチルドレンに向けていた隔絶感ある表情を思い出すと、尚の事に胸が熱くなります…今エピソード、屈指の名シーンですね。
こんなシーンを見ると、エスパーとノーマルも共に生きてゆけるんじゃないか!って希望も感じてしまいますよ。
兵部の去り際に見せた心境の揺れも、皆本が単に言葉通りに「黒い幽霊」からエスパーを解放したって事だけじゃなく、エスパーとノーマルが共に一つの事態に立ち向かって解決した展開を受けての複雑さってのもあったのかもしれません…それを産み出したのは、間違いなく「敵も味方も(中略)全員救出する!!」と言う皆本の覚悟だったワケですし。
もしかしたら、兵部は皆本が未来を変えてくれる事を本気で(でも自分では意識し切れてない心の奥底で)願っているのかもしれませんね…。
にしても、「爆臨」には噴いたwww
こうなったらもう担当さんを「爆担」と呼ぶしかないな…(←それはドコのルギアですか?
おぉぅ…、るかるかさん、丁寧な考察どうもありがとうございますっ。
>“葵(と薫?)がゴッド消防ロボにF22をぶつけた”
これが正解なのでしょうね。決定的な裏付けとして、
>F22のパイロットも “チルドレンと一緒に” テレポートしてきた(=パイロットの安全をフォロー出来た)
がありますし。
いやぁ、ECM使用を「紫穂と葵をより早く元に戻す為」ではなく、「F22の変形合体を少しでも遅らせる為」と解釈して、別方向の思索をしなかった事が誤解の始まりでした…。いやはやオハズカシイ…。
…もし、…もしも、4コマを描かずに本編でもう1ページ使えてたら、もう少し細かな描写が入っていたのかも知れませんね…。まぁ所詮「たられば」で、今の時期はもう4コマをやっている時期なので、無意な思考ですけど。
しかし改めて考えてみると、この4コマの威力は凄まじいですね…!
名目は「あらすじ紹介」(最近の新規読者への簡単な紹介?)なのですが、内容は古参読者にも真新しい情報ばかりでガッツリ楽しめる仕上がりになっていて、さらに編集部にも大好評と、効果範囲がとても広いです。
とは言いましても、先生も相応の負荷をかけているんですよね…。4コマの1ページに6ページ分の労力、さらに17ページでの構成…。 願わくば、労力に見合った反響が先生の元に届いていますように…。
…おっと、だらだら書いてしまいました、すみません。
るかるかさん、見事な考察ありがとうございましたっ。
「ブルガサリ」の説明及び分析ありがとうございます、鼎さん。このような「読み」を残すのが優れた作品の証ではないでしょうか。
北朝鮮に関して言えば、「やっぱアチソン宣言がまずかったよな」と思ってしまいます。ただ、トルーマンが最終的にマッカーサーを罷免したのは正しかったのでは(以下脱線が続くので略す)。