小竜姫ファン 2005/10/05 22:41
前々から、小竜姫様の大ファンだったのですが、ある日ふと疑問が浮かび、ここに書き込みをさせて頂きました。
小竜姫様は仏門に帰依した神様だと原作で言っていたのですが、何派の仏教なんでしょうか?
仏教と言っても色々な宗派がありますよね。
こんなくだらない質問で済みませんが、どうしても考えてしまって(笑)
よろしくお願い致します。
なんと at 2005/10/13 (Thu) 11:45:52

僕は仏教はよく知りませんので推測のしようもないのですが、
(なら出てくるなって。いや、コメントがなかったので)
あまり推測できるような要素も劇中にはなかったような。

そもそもそんな裏設定ってあったのでしょうかね。
椎名氏って、けっこう勢いというかその場の面白さを優先して、
設定はそれにあわせてどんどん変更するタイプだと思っています。

カナタの時も、ワネットが天才というのも唐突だなあと思った記憶が…。
完成原稿速報でもご自身で「設定をいじった」と言ってましたけどね。

今の絶チルでも兵部京介の過去はまだ大枠だけで、詳細はこれから
と見てます。

るかるか at 2005/10/15 (Sat) 00:07:17

最近、ちょっと疲労困憊状態なもんで、取り扱いがナーバスな宗教関係には、お話しに噛む精神的な余裕なかったんですが… f(^^;;;;
なんとさんが足場築いてくれましたし、私もレスをば(あくまでマンガをネタにした私見なので、薄い目で読み流して頂ければこれ幸い…いえ是非とも ^^;)。

実は、小竜姫ファンさんのご質問には一つ大きな盲点があります。
「宗派」(基督教的には「教派」ね)と言うのは、その成因は多岐に渡りますが(教えに対する解釈の違い、地理・地域的な問題、場合によっては宗教内での権力闘争の結果等々)、詰る所はその宗教の開祖(ここでは仏教ですから、お釈迦様になりますね)より後の人間によって作り出される分立した流れ…誤解を恐れずに言ってしまえば“人の都合”で生じたものと言えます。 それは仏教とて同じ…釈迦の入滅後僅か100年程度で「根本分裂」し、そんな分裂の流れは以降も様々に続きます。
俗世とは無縁なはずの宗教ですが、一方でかように“極めて人間的”な存在とも言えます。
ここで答えが出ますね…仮にも神族に連なる小竜姫さまが、たかが人間の都合で作り出された何処かの「宗派」に属する事は有り得ない…のではないでしょうか? (^^)

じゃあ、仏門に帰依したってのはどう解釈するのか…って事になりますが、これはもう各読者の解釈に依るしかないのですが。 但し一つ大事な事…『極楽』の中の宗教観は、あくまで現実のそれとは似て非なるもの、現実的な意味をまんま当てはめるのは極めてヤバイって事は念押ししときマス(汗、汗
 で、私の場合は、SSC第25巻における神魔二大巨頭会談で示された『極楽』世界の上位構造を根拠にして解釈してます。

るかるか at 2005/10/15 (Sat) 00:12:54

(続きです)  『極楽』ではアシュタロス編を通して、人間より上位の存在である「神」と「魔」の両サイドが実は絶妙な勢力抗争によって下部構造である人間界のバランス維持に勤めている…と言う様子が描かれてます(ある意味、『幻魔大戦』シリーズに似てますね ^^)。 そんな中、この第25巻の会談で示唆されたのは「神」側にも複数の“柱”(ぶちゃけた話、キーやん、ブッちゃん、アッちゃん…<汗)が並存してバランス維持が細密化されてる可能性です。 ここで会談してる二柱が各陣営の最高指導者とはされてますが、両者の口ぶりから、他の二柱(ブッちゃん&アッちゃん)へのリスペクトは伝わってますので。

ですから、この場合の帰依とは…小竜姫さま(個人と言うより竜神一族の事かな?)が、“神側における「ブッちゃん」が構成する勢力の門下に入った”…その程度の意味で受け取るに留めるめきだろう…と。

なんて、まあ大マジメに解釈を試みてみました(w
一応、仏教関係ではコチラ【→http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AB_%E4%BB%8F%E6%95%99#.E9.83.A8.E6.B4.BE.E3.83.BB.E5.AE.97.E6.B4.BE】で基礎はおさえられますが…リアルな話しに成る程、『極楽』のそれとはドンドン遠ざかっていきますヨ… f(^^;;;;


>椎名氏って、けっこう勢いというかその場の面白さを優先して、設定はそれにあわせてどんどん変更するタイプだと思っています

あくまで椎名先生に関する評とした場合、私は異なる見解を持っていますが…それは機会と余力があればいつかカキコんでみたいです (^^)
但し、一般論としては、椎名先生に限らず週刊誌連載をしている以上はどの作家さんにも掛かって来る“現実”ですよね、これ。
連載が続く間は産み出し続けられる(いえ、続けねばならない)アイディアと、それらがアンケートという名の人気投票によって毎週毎週フルイをかけられ続けるのが“現実”ですから、そんな厳しい過程で作品のプロットにも様々な付加や省略、変更・転向が強いられるのが当然ですし。
そう思って見ると…私たちにとって馴染み深い週刊マンガ連載って、商業誌と言う意味も超えて、実は極めて特殊な創作環境なのかもしれませんね (^^;
もしも完璧に作者本位のプロットだけで作品が完遂し得る可能性が有るとしたら…それは皮肉な事ですけど、極めて早い「打ち切り」しかも「テコ入れ」を拒否した場合だけじゃないかなって私は考えてます(少なくとも、週刊マンガ誌の置かれた現状では)。

なんと at 2005/10/17 (Mon) 10:38:16

> 但し、一般論としては、椎名先生に限らず週刊誌連載をしている以上はどの作家さんにも掛かって来る“現実”ですよね、これ。

 あー、そういう意味での設定変更であれば、誰にとってもおおむね当たり前のことだとは思っています。
 ただなんというのかな、椎名氏の場合は連載途中での設定のいじり方が、かならずしもてこ入れとかいう外的理由だけではなく、ご自身の考えとかエンターティナー的性格に由来するもののように思えるなと。他の作家に比べて際だっていると言うほどでもないと思いますが。
 その意味では「その場のいきおい」というのもちょっと語弊がありましたね。

 描かれる作品もゴールとそこまでの大まかな道筋を定めておくタイプのものではないですしね。自ずとアイディアを時々で盛り込んでいくことになるのでしょう。
 たとえば藤田和日郎氏の作品は、あきらかに後で一生懸命つじつまを合わせているとおぼしき部分も多々ありますが、それでも大きな流れと到達すべき点を最初に作ってあってそれを語ることが基本的な姿勢になっていると僕には思えるわけです。それと椎名氏の作品は違うなと。
 そう考える理由はいろいろありますが、たとえばアシュタロスの扱いというか性格というか、それも時々でずいぶん変わってきてたようにも見えたりとか。

 今回の例で言えば、小竜姫様の流派まできっちりと設定していそうな作者さんとそうでなくさらっとセリフを作る時に思いつきをつぎ込む作者さんとがいるとすれば、椎名氏は後者かなと思ったわけです。

 まあ、読み方は自由で、あくまで僕の見解に過ぎませんが、るかるかさんの見解もぜひ聞いてみたいです。機会と余力を作っていただいて、ぜひ(^^)。

トヨアキ at 2005/11/02 (Wed) 18:48:07

はじめまして!小竜姫様の話題と言う事でレスさせていただきます!
仏教の世界では、悟りを開いた如来、 その修行中の菩薩、 
教えを守護する為の明王、と階級のようなものがあるのですが、
その下に位置するのが天部と呼ばれる神々です。

他の宗教や民間信仰から取り入れられたもので、
”仏教の教えに感化されて仏教神になった”と言う事で
つじつまを合わせているのですが、 小竜姫様はヒンドゥー教の
流れを汲む竜神辺りをモチーフに作られたキャラクターじゃないかなあ、
と思います。

>仏門に帰依した神様
と言うのは、そういうことじゃないかと。
椎名先生はそういう様々な分野のモチーフをさらっと使うのが得意なので
凄いなあ、なんて思いますよ。
長々とした説明ですみません(汗)

るかるか at 2005/11/05 (Sat) 02:11:17

>なんとさん

えと、実は時間みては自分なりの“見解”をまとめてみようと試みていたんですが…現況、ちと断念いたしました _| ̄|○
何だか上手くまとまらないままに、やたら文章のボリュームだけが膨れ上がって、ヒト様が運営する掲示板に投下するには適切とは思えない状態になってきちゃって…ただでさへ長文化傾向の強い私ですが、流石にこれはなぁって感じでして… f(^^;;;;
この辺、文才の無さを自覚中(トホホ)…で、その代わりと言うか、補足レスさせて頂きますと…

なんとさんのレスを読ませて頂いて、現在は(最初のレスで受けた印象とは裏腹に)なんとさんの椎名先生に関する見解と自分のそれとは、実はそんなに離れて居ないんじゃないかと考え直しています。
私自身も、決して椎名先生がガッチリとした設定の枠組みの中で作品を展開させるタイプとは思っていませんし、特に今回話しに上がっている『極楽』の場合は、(もともとギャグに傾倒した作品として始まった)連載開始時から、(ストーリー性の高さで場を引っ張る)連載超長期化の課程で、設定面の細かな変遷は結構、散見されますしね (^^)
また、ご指摘の「アシュタロスの扱い」に関しては、私も全く同意なんです。
アシュ様の扱いの系譜をまとめてみると、案外面白いかもしれませんね…キャラの位置付けが結構変化してるのが見えてきそうで。

一方、『絶チル』の場合はどうかとなると…これは『極楽』や他の連載作品とは違う受け止め方をすべきだろうなと思ってます。
何よりも連載に至る準備期間が(必要以上に)長かった分、先生の中で相当に作品の方向性が練り込まれている様子が窺えますし、恐らくクライマックスの状況も既にある程度は先生の胸の中にあるのかもしれない、と推測してます。
その意味では、なんとさんが例として挙げられた藤田作品に近いスタンスになっている可能性が高いんじゃないかな、って思うのですが…これに関しては、これからリアルタイムで作品に付き合って見極めていきたいですね、椎名ファンとして。

…と、まぁ今回はこんなところでご勘弁を (^^;
これだけでももう長過ぎって感じですよね…他の皆様、長々と申し訳ないです m(_ _)m

るかるか at 2005/11/05 (Sat) 02:16:12

>トヨアキさん

おぉ…より専門的な見地からのご指摘、感謝です!
そう言えば、仏教とは異なるケースの話しになりますが…アシュ編のエピローグ部分で、ワルキューレが「おしつけられた秩序」に対する忸怩たる胸の内をこぼすシーンが(これまたサラッと)描かれてましたけど、あの辺りにも先生のモチーフの広さが窺えて面白かったです。
キリスト教がその版図を拡大する中で各地の土俗宗教を併呑していった“結果”への言及なんですけど、作品内に登場する魔族たちに、そんな現実の部分も反映させているのかぃ!って思いながら作品を読み返すとまた違った趣も味わえますよね (^^)
全く持って侮れない作者さんです(←モチロン感心してます)