鼎 元亨 2006/03/30 23:04
井汲 景太様

『電化製品に乾杯!』でスタインベックの『二十日ねずみと人間』が出て来る理由について、私の意見を述べさせていただきます。話題がずれますので別のスレッドを立てさせていただきます。ちょっと長過ぎますが、ご容赦ください。

『二十日ねずみと人間』の主題は、プラグマティズムによって人間性が疎外される、という一文に集約されると考えます。つまり、役に立つか立たないかで価値が判断されて親近感とか愛情が顧みられなくなる、という意味です。
キャンディ老人の犬は老いて役に立たないという理由で撃ち殺されました。キャンディ老人の犬への愛情は有用性を失った事実の前に敗北せざるをえませんでした。
巨漢のレニーはねずみを愛していましたが、彼の怪力を受け止めるにはねずみの肉体はもろく、結局ねずみの死体は捨てなければなりませんでした。子犬もそうでしたし、カーリーの妻(ひどい事に彼女の名はついに明らかにならない!)もそうでした。けっしてレニーは虐待を楽しんだのでなく、彼なりにかわいがろうとして殺してしまいます。肉体の脆弱さという物理的条件がレニーの愛情を疎外したわけです。
結局、純朴なレニーは怪力ゆえに害をなすものとされて、彼を最も愛していた主人公ジョージの手で撃ち殺されてしまいます。その上ジョージの悲しみは、カーリーやカールソンのようにジョージとレニーを労働力としてしか見ない人間にはついに理解される事がありませんでした。

さて『電化製品に乾杯!』の最後で、保証期間の過ぎたミソッカスは律儀にも壊れてしまうわけですが、主人公は製品の機能よりその存在自体を愛していたのでミソッカスの今際の際で手を握って泣いています。
当人達の側では機械の持つ運命に負けて愛情を捧げた対象が喪われていく悲しみの中にあるわけですが、一方第三者としてみれば、機能を失った機械に愛情を感じるとは良く言っても感傷、悪く言えば滑稽なわけです。『電化製品に乾杯!』はギャグマンガですから、この最後のコマは滑稽という枠組みで捉えられるべき表現です。

しかし、このコマに『二十日ねずみと人間』という本が置いてある事でこのマンガ全体の意味が変わってきます。
もとよりこの作品全体がアンドロイドに対する愛情を変態性の愛情ではなく、むしろ新しい形態の心的関係、能動的インターフェイスのある機械に対する理解の形態としての「愛情」として好意的に描いた作品ではあります。
でも最後のコマに『二十日ねずみと人間』がなければ、「やっぱりそういう感情って滑稽だよな」という感想を読者は抱いて終わりです。
ところがこの本が置いてある事の意味を正しく捉えるならば、「そういう感情って、アリなんじゃない?」という作者の主張になるわけです。
椎名氏が描きたかった事は、まさに「有用性の前に愛が否定される疎外感」と「有用性を超越する愛の勝利」ではなかったでしょうか。

「本人には悲劇。他人には喜劇」という言葉がありますが、ギャグマンガには自己を客観視する視点がなければ成立しません。
椎名氏は自分を外側から客観視して冷笑するという立場に留まりたくなかったのだと思います。
だから、最後のコマで主人公のミソッカスに対する愛情の正統性を示すため、正統な文学作品である『二十日ねずみと人間』を置いたのだと思います。


『電化製品に乾杯!』は掲載は後ですが執筆時期が最も早い作品と私は推察しておりますが、みなさんはどうお考えでしょう。絵柄がまだ安定してなくて、あだち充のペンタッチとか士郎正宗のデザインとか柴田昌弘の表情表現とか、あろうことか椎名崇の髪の表現とか混じってますね。
単純に滑稽という解釈を許さないという作者からのメッセージがこんな初期から表現されている事に改めて気づかされて自分でも驚いています。
「有用性の前に愛が否定される疎外感」から有用性によって世界から愛を勝ち取ろうと試みる主人公、「有用性を超越する愛の勝利」の予感って『絶対可憐チルドレン』の皆本光一そのものだと思うんですが。
井汲 景太 at 2006/04/01 (Sat) 23:43:24

「読み」のままならぬ「周回遅れ」の読者相手に、丁寧な解題ありがとうございました。とても参考になります。

読んだのが結構以前で人名やストーリーの細部はもうだいぶ忘れ去ってしまっていた(笑)ので、いずれご教示いただいたポイントを念頭に再度読み返してみたいと思います。

> 「有用性の前に愛が否定される疎外感」から有用性によって
> 世界から愛を勝ち取ろうと試みる主人公、「有用性を超越する
> 愛の勝利」の予感って『絶対可憐チルドレン』の皆本光一その
> ものだと思うんですが。

この見解も興味深いです。「絶チル」の世界に新たに筋が一本通ったような気がします。

web 上での椎名作品の論考については、ご存知かもしれませんが、あしのまことさんの「『GS美神』私注」http://www3.plala.or.jp/asinom/hikkei/gstyuu.html が一歩抜きん出た存在かと思います。よろしければ、あしのさんとも一度コンタクトをお取りになってみてはいかがでしょうか。

鼎さんの椎名高志論が実り多きものになることを祈っております。それでは。

るかるか at 2006/04/06 (Thu) 03:21:58

既に4月に入ってますし、この掲示板は後どれ位もつんでしょうね? f(^^;
でもまぁ、消える前にご質問関連でのレスを試みてみます。

>『電化製品に乾杯!』は掲載は後ですが執筆時期が最も早い作品と私は推察しておりますが、みなさんはどうお考えでしょう。

質問の御主意をどう受け取るべきかと悩んだのですが…以下、考え得る2択の範囲で。

(1) 「掲載は後」が、コミックス上でのソレを表すと言う場合。

この場合は、(ほぼ)ビンゴです。 コミックス上で『電化製品~』に先行して掲載されている『ポケットナイト』シリーズは、『電化製品~』の翌年に発表されたものですから。
サンデーコミックスにせよ、そのワイド版にせよ、作品末頁に初出記載されてますので自分なぞが改めて言うまでもない事なのですが… (^^;;;;
その辺りの初出順に関しては、ASK-YOUさんのサイトを御参照(更新は止まってますが、コンテンツが残っているので使わせて頂きます…一応自分でもリスト化は試みているんですけど、ヒトサマに見せられる状態ではないので…^^;)
【http://homepage3.nifty.com/~askyou/cnainfo.html】

るかるか at 2006/04/06 (Thu) 03:24:09

(2) 「掲載は後」が、雑誌初出と言う意味でのソレを指す場合。

この場合、『Dr.椎名の教育的指導!!』が3回、『電化製品~』に先行して発表されてますが(上記リスト参照)、画柄が固まっていないと言う点ではそれらも同様で、『電化製品~』が『Dr.椎名の教育的指導』より先に執筆されたと判断できる材料は無いですね。
但し、以下はあくまで私見ですが…『電化製品~』が掲載された雑誌が通常のサンデー増刊号(=月刊誌)ではなく「8月スペシャル増刊号」と言うイレギュラーな雑誌であった点や、椎名先生自身がデビューしたての新人の立場だった事も思うと、その発表時期のタイミングから、或いはここで使用されたネームは先生がデビュー前に担当編集氏との間で詰められていた幾つかのアイディアの内から(部分的にでも)採られた可能性は有るのではないか…とも考えてはいます。
まあ、それはさて置いても。 ストーリー物としては事実上最初のプロ作品となりますし、何れにせよ椎名作品としては最初期のモノとしてカテゴライズ出来ます。
(そう言った作品の立ち位置からも、本作はより趣味性に走っていると言う部分が感じられますし、これはこの数ヵ月後に発表された『オール・ザット・ギャグ』との差として見ても興味深いなと思ってます)


末筆になりましたが、『二十日ねずみと人間』に掛かる解釈、とても共感できました。
鼎さんの椎名高志論、ますます楽しみになっております (^^)

鼎 元亨 at 2006/04/06 (Thu) 18:41:12

るかるか様

『電化製品に乾杯!』の初出について、確認したいのですが、
教えていただいたページでは1989年の4月スペシャル増刊号となっております。
私の持っている『[有]椎名百貨店1』1991年初版第1刷では、同作の掲載はと書かれております。ということは1990年初夏ですよね。
私が作った年表では『ポケットナイト2』と同時期と考えていたのですが。

後々の事もありますので、どなたかご確認いただけますか?

鼎 元亨 at 2006/04/06 (Thu) 18:47:13

すいません。肝心な所がタグと認識され消えてしまったようです。
消えた所はこうです。

私の持っている『[有]椎名百貨店1』1991年初版第1刷では、同作の掲載は週刊少年サンデー平成2年8月スペシャル増刊号と書かれております。

いろいろ資料を集めておりますが、『パンドラ』が重要な作品とされているようで、どうにか入手できないか苦心しているところです。
書けましたら、ぼちぼちブログで公開していきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。

井汲 景太 at 2006/04/06 (Thu) 22:55:43

当方の所持しております少年サンデーコミックス「[有]椎名百貨店」第1巻 1993年7月初版第7刷、及び少年サンデーコミックスワイド版「(有)椎名百貨店」2000年1月初版第1刷では、「電化製品に乾杯!」の初出は「平成元年8月スペシャル増刊号」となっています。おそらく、鼎さんのお持ちの第1刷で「平成2年」となっているのが誤りで、後になって修正されたのではないでしょうか。

「パンドラ」につきましては、お譲りすることは(少なくとも単行本発売までは)できませんが、郵送にてお貸しすることなら可能です。ご希望の場合は、本記事に付帯します電子メールアドレスまでご一報ください。

るかるか at 2006/04/07 (Fri) 03:07:18

>鼎さん
>私の持っている『[有]椎名百貨店1』1991年初版第1刷では…

成る程、その様な情報の齟齬があったんですね。
お陰で先般のご質問の意図がようやく把握出来ました f(^^;

また、その関係情報の補完をして頂き有難うございました m(_ _)m >井汲さん


>いろいろ資料を集めておりますが、『パンドラ』が重要な作品とされているようで

ソコに行き着かれたのは流石ですね!
私も、将来的に椎名先生の作品譜が語られる時には『パンドラ』は絶対欠かす事が出来ない位置に在ると思っています。
恐らく、長く椎名作品に接してきたファンなら同様な感慨を持っているのではないでしょうか。
↓は既にチェック済みの情報かもしれませんが、公式サイトのログは既に消されていますので、念の為に参考として上げておきますね。
【http://web.archive.org/web/20041013000733/www.ne.jp/asahi/cna100/store/news/030302/030302.htm】
 →作品を創り始めた当初の様子が窺えます。 この時点では“何時もの通り”な椎名先生“らしさ”が読み取れるに過ぎませんが… (^^)
【http://web.archive.org/web/20041028080250/www.ne.jp/asahi/cna100/store/news/030426/030426.htm】
 →で、最終的な感慨。先生御自身が、『パンドラ』が特別な位置付けに在る事を自覚された様子が興味深いです。 ここから先生の漫画家としての再生が始まったと、私などは思っています(実際、読切版『絶チル』は、この直ぐ後に産み出されたのですしね)。

鼎 元亨 at 2006/04/07 (Fri) 23:35:20

井汲 景太様
初出の情報いただきありがとうございます。
この月に2本掲載で片方の絵柄だけ旧作っぽいなぁ、と疑問に思っていたのですが誤植でしたか。

るかるか様
「パンドラ」に関するご紹介いただいたログを拝見しました。

うぁ〜〜〜〜〜〜!
僕が書こうとした事、本人はとうに自覚してるかもしれない!
すると覚悟の上か?いや、そんなに往生際が良いとも思えないなぁ
「GSホームズ」で観念したように見えたけれど、「パンドラ」がその後だから居直って腹を据えたのか?

というわけで、これはぜひとも「パンドラ」を読まねばならなくなりました。
そうでないと「絶対可憐チルドレン」の意図を読み違えるかもしれないからです。
井汲 景太様、のちほど当方よりご連絡いたします。よろしくお願いいたします。

ここから先は宣伝になりますが、早川書房のSFマガジン2006年5月号に私の文章が掲載されております。もとより発行部数の少ない雑誌ですので、お目に留まる可能性は少ないと思いますが、もし見かけましたら立ち読みでもしてやってください。

fukazawa at 2006/04/09 (Sun) 11:18:13

 掲示板が盛り上がってきましたね。
 終了アナウンス効果はすごいなあ(まちがい)。

>既に4月に入ってますし、この掲示板は後どれ位もつんでしょうね? f(^^;
 移転作業が終わり、pos.toネットとの契約が切れるまではこのまま残します。
 4月中は稼働します。多分5月ぐらいまで伸びると思う。

>パンドラ
 もし読めましたら、2話までと3話目のノリの違いに注目して頂きたいと思います。
 私は、「空から降ってきた人間じゃない女の子サイコー!」という台詞に、覚悟を決めた椎名高志の本気を見ました。

 あとパンドラ絡みでは、構想段階ではヒロインは(成人女性ではなく)少女だったという裏話もあります。今考えると興味深いです。
 当時の椎名氏は萌え萌えな少女キャラをデザインすることを恥ずかしく感じていたフシがあるのですが、その感覚が「裏返った」のがパンドラ3話だったのかなと思いました。
 → http://cwww.pos.to/hihou/comic/index.html#pandora