マトリックスはチョコレートの箱みたい
食べ終わってもニオイは残ってる
なんちて(挨拶)
っつうか、ここ最近は何故か映画観たい熱が突然熱くなってしまい、「マトリックス」を先行ロードショーで鑑賞してきたりとか、週末にわざわざ新宿まで出かけて「アルナーチャラム・踊るスーパースター」と「少女革命ウテナ・アドゥレセンス黙示録」を観るために映画館をハシゴしたりとかしている今日この頃なのですが、皆様如何お過ごしでしょうか。
こちらは、椎名高志ファンホームページ・C-WWW です。しかし、マトリックスの秘密は極めて巧妙に隠匿されているために、例えヒャクメであっても見透かすことは困難なのに違いないです。彼女も、やがて赤い薬を飲んで世界の真実を目の当たりにして驚愕することになるのです。多分。
それでこのマトリックスという映画は、よく「誰にも理解できるサイバーパンクの最高傑作」とか「ジャパニメーションの影響を受けたハリウッド映画」とか評価されていますが、個人的にはこの映画は基本的にはカンフー映画だと思いました。最初は何も知らない素人が修行や実戦経験によって強くなり、最後は超越した力を発揮して敵を倒すとか、そういう典型的なタイプです。
少年サンデー的な表現をすると、藤原芳秀氏の名作「拳児」がコミックス20巻を経てようやく到達した悟りの境地に、たった2時間ちょっとで達してしまうという感じでしょうか。しかも、最後には「拳児」どころか「ドラゴンボール」みたいに空飛ぶしな! 凄いぜキアヌ!(比較対象間違い)あと、パンフレットでは日本を代表するアニメーターである押井守氏や大友克洋氏が「こんな映画作られてキーくやしい!(大意)」というコメントを書いていたりして、この辺も結構面白いです。日本アニメも、ついにハリウッドに追いつかれたのかニャー?
次に「アルナーチャラム」ですが、これは日本で「マサラムービー」と呼ばれるインド映画を一気にメジャーにした「ムトゥ・踊るマハラジャ」の主人公・『スーパースター』ラジニカーントの最新主演映画です。
コレの内容は、もはやラジニカーントのインドでの偉大さっぷりが全面に押し出されたラジニカーント万歳映画であり、内容のバカっぷり(褒め言葉)では「ムトゥ」をも超越していると言えます。ストーリーには無駄が凄い多いというか、ハッキリ言って無駄ばっかりなので最適化しようと思えばいくらでも内容を削ることは可能なのですが、しかしこの無駄っぷりは主役であるラジニが発するマサラフェロモンの魅力を楽しむためには必要不可欠な要素なので、その無駄っぷりを含めて楽しめる映画と言えます。「ムトゥ」を面白く観られるタイプの人ならお奨め。あと、この「アルナーチャラム」のパンフレットには、映画の中でラジニ扮するアルナーチャラムをいじめる意地悪ばあさん役の人のコメントが載っていたのですが、それには「映画の中でラジニにヒドイ事を言ったので、ラジニのファンから脅迫されて怖かった」とか書かれており、やっぱり現実と空想の区別が付かない人がいるのは何処の国でも一緒なんだなぁ、とか思いました。
そして「少女革命ウテナ」なのですが、あまりに内容がブッ飛び過ぎており、正直言って私如きのレベルでは評価不能な映画でした。物語中盤でウテナとアンシーがレズビアンショーをする(間違い)までは何とかついて行けたのですが、その後にウテナがウテナカーに変身した後の展開は、もはやあまりにブッ飛び過ぎていてもうダメ。あれよあれよと言う間に話が進んでしまい、正気に戻ることなく最後まで突っ走ってしまいました。
この映画は、結局は「何か言いたいことはあるんだろうけど、それが何であるのか私には判らない」という、映画版エヴァンゲリオンと同レベルのものだった、と思うことにしました。とは言うものの、何も考えないで世界観の異常っぷりを観て楽しめるというバカっぷり(褒め言葉)は見事なので、そういう点では評価できます。一応ハッピエンドなので後味も爽やかですし。これも、TV版を面白く観られた人ならお奨めっつう事で。以上、タダの映画感想を書いてしまいましたが、それでもここは椎名高志ファンホームページ・C-WWW なのです。
何故気付かない?(マトリックス風オチ)
更新情報;
- 「煩悩の部屋」のイラストページに、匿名希望のiさんから寄せられた最終回記念イラストシリーズの最新作・「現世利益に生きた女」を掲載しました。美神のイラストです。
こういう雰囲気の美神は珍しいかも?
- 同じく「煩悩の部屋」のイラストページに、前回美しい美神イラストをお寄せ下さった nag さんの新作「A wonderful desk」を掲載しました。
初登場の頃の「妖怪」っぽい愛子のイラストですね。というか、むしろ不良少女と呼びたい雰囲気が漂っていると思います。
- 「煩悩の部屋」の創作文集ページに、久しぶりのまきしゃさんの作品『がんばれ!西条!!』を掲載しました。
端的に言って、西条がヒドい目に遭う話です(端的過ぎ)。
- ぽーさんという方から、コミックス32巻の折り返しの作者近況に描かれていたアイコンが投稿されたので、「煩悩の部屋」のその他のオブジェクトに掲載しておきました。TNX>ぽーさん
99/ 9/21
追加更新情報:
- 「煩悩の部屋」のイラストページに、匿名希望のiさんから寄せられた最終回記念イラスト、「愛に生きた女」および「優しさに生きた女」を掲載しました。同一のテーマに沿って描かれた、ルシオラとおキヌのイラストです。如何にも「彼女たちは、ボク達の心の中に永遠に生き続けるんだ!」といった趣が感じられる、美しいイラストだと思いました。美はエロを超越しますよ!
あと、このイラストはサイズ的にノートパソコンの壁紙に最適です。ぜひ、画像のおキヌやルシオラを左方向に横倒しにしてご利用下さい。このイラストは日曜日にメールで受け取っていたのですが、日曜日にメールをチェックしていなかったため、本日の掲載になりました。ゴメンネ>iさん
昨日の What's New の補足:
あと、昨日書いた What's New テキストですが、後日勤務中に読み直したところ、なんか私が「38巻に出てきたお色気シーン全てを否定している」と取られかねない文章になっていたので、ちょっと補足しておきます。
やっぱ、半分寝ながら酔っぱらって文章書くのはよくないですね。今もそうなのですが(ダメだ)。
――で、確かに私は「明らかに狙ったパンチラシーン」系の演出はあまり好まない方なのですが、だからと言っても全てのその手のシーンを否定している訳ではありません。
「チャンスは、パンチラのようなもの。偶然を待つか、神様のスカートをめくるか」という言葉が示す通り、あくまでチラリズムに徹したストイックなパンチラや、パンチラする事によって事態が好転するようなチャンスを伴う必然性のあるパンチラなど、「見せる必然性に拘ったパンチラ」はむしろ大歓迎するところなのです。
そこに必然性があれば、例えその影に大人の欺瞞が渦巻いていようとも、我々はそのパンチラに対して平伏し、「よくやった! これぞチラリズムの極み!」と感動の渦に巻き込まれてしまうのは必至です。このような視点に立った場合、コミックス38巻で最も評価できるパンチラは「守ってあげたい!」における、美神が横島にスカートめくりされたシーンのパンチラ(というか、パンモロ)であると思われます。何故なら、このシーンは、単に読者サービス的な需要を満たすだけではなく、美神のスカート(ボディコンだけど)をめくることによって事態が好転へと動き出したキッカケを作り出すという必然性が感じられるからです。
さらには、横島のえげつない方面での機転の速さを描くことによって、実に彼らしい成長の姿を読者に提示しているという要素も持ち合わせていますし、何よりもその後の山場である「横島のパンチラ」(というか、パンモロ)へのギャグの伏線としても機能している、というのも見逃せません。思えば、連載開始当初の頃は、横島にとって「美神のパンティ」とは彼の欲望を満たす象徴的な存在であり、それ故に「美神のパンティを拝むこと」が彼の行動のモチベーションを支える要因となっていたりしたのですが、それから長い星霜を経た現在では、本来は目的であったパンティが、事件の解決のための手段として使用されています。つまり、「目的から手段への変転」という、ある種のパラダイムシフトが発生しているのです。
ここで見られる「目的から手段への変転」というモチーフは、美神と横島の間の関係が大きく変化している事を意味しているのは明かです。そう――あのたった一コマのパンチラシーンは、実はこのような深い意味合いを持った、極めて玄妙なパンチラシーンであったのです。正に、今までの長い連載の間に積み重ねてきた設定や物語の裏付けがあるからこそ可能なパンチラ。「見せる必然性に拘ったパンチラ」の次元をも超越した、実に見事なシーンであったと言えましょう。
たかがスカートめくりに集中線を多用する執念深さと相まって、私はこのパンチラシーンを極めて高く評価しております。これでこそホンモノ! 一流の気配がしますよ!
それにしても、たったこれだけの文章の中に「パンチラ」という単語を14回も使うのは、いくら何でも止めておいた方が良いのではないかと思いました(手遅れ)。おわり。
今週のおすすめサイト:sci.skeptic FAQ in Japanese
超科学的な主張に対して懐疑的な人が集まり、様々な超科学的な事象などについて科学的な検証を行っているニュースグループ・sci.skeptic の FAQ(よくある質問集)の和訳が掲載されているサイト。
特に、この FAQ の第1章「科学的方法」は、「GS美神・極楽大作戦!!」コミックス1巻の作者コメントで椎名氏が提案している『科学的かつ論理的な物の見方』を養うためには、とてもに参考になります。
と、連載が終了したマンガのファンサイトらしく、プレイバック的な事を書きながらこんにちは。「GS美神」の連載が終了してから既に一週間が経過しましたが、皆様方におかれましては如何お過ごしでしょうか。
っつうか、カガク的な思考の基礎は「反証可能性」ッスよ「反証可能性」! 反証可能性を大切にな!(←よく判ってない奴)
で、それはそうと、今月の18日に、「GS美神・極楽大作戦!!」のコミックス38巻が発売されました。
この巻の特筆するべき特徴としては、事実上最後の長編エピソードとなった「GS美神 '78」が完結した点とか、「1エピソード=2話」形態の話の作り方をしている点などが上げられますが、何よりも最も注目するべき事項として、「1エピソード=2話」形式になってからのお色気シーンの過剰っぷりが上げられます。何しろアンタ、38巻のカバーイラストからしていきなり美神がパンツ見せてますし、中表紙はシロ・タマモの二大妖怪が水着姿でレズビアンショーを演じ、「呪い好きサンダーロード」「守ってあげたい」「もし星が神ならば」ではあらゆるシチュエーションを駆使して女性キャラのパンツを見せることに血道を上げるシーンが存在し、そして「史上最大の臨海学校」および裏表紙は有無を言わさぬ水着まみれと、なんかこう「我々はどうあっても読者に女性キャラのパンツというものを見せて差し上げたい!」という制作者サイドの意向を感じずにはおれません。
とある匿名掲示板に書き込まれていた情報では、「1エピソード=2話」形式になった辺りで椎名氏の担当編集者が変わった、という噂が流れていましたが、確かにそう言われてみればその辺の影響(作品の編集方針の変更、とか)もあったのかも知れないなー、とか思っています。いや、あくまでコレはインターネットで流れていた噂なので、信憑性に関しては確認しようがなんですけどね。しかし、個人的には、あんまりこの手の「明らかに狙った」パンチラ系のシーンは、有り体に言ってしまうとあまり好きではありません。私は「GS美神」で見たいモノは、別に美神令子のパンチラなのではなく、あくまで美神令子のスピリッツが見たいのです。即ち、スピリッツがないパンチラなどタダのパンチラ! オレ達はそんなパンチラなど見たくはないゼ! ショウユアスリピッツ! とか思ってしまう訳です。
ああもう、「パンチラやっておけば客は喜ぶ」的な発想で作られた、大人の欺瞞が見え隠れするパンチラなんて!(言い過ぎ)それにしても、この手のいわゆる「お色気」シーンって、本当に読者に対するサービスやアピールになっているのだろうか? と、常々疑問に思っている次第です。
私なんかは、昔からこの手のサービスシーンに対してはかなり冷めた反応を示す方であり、マンガの中で不自然なパンチラシーンが連発していたりとか、女性キャラが何故か知らないけど身悶えする系のシーンを見ると、「ああ、このマンガって、人気を取るためにはこんなコトまでしなければいけないのか……」と読みながら同情の念を抱いてしまうタイプなのですが(ちなみに、マンガを読んで初めてこの種の感情を抱いたのは、野部敏雄氏の「ミュウの伝説」が最初でした)、他の方々はどうなんでしょうか。どこかにこの手の「パンチラ系シーンの多用と、そのマンガの人気の相関」を調べた科学的なデータは存在していないでしょうか? 今後の研究が待たれるところです。
っつうか、サンデーは、せっかくだから(専門用語)一度この問題に対して読者アンケートを実施するべきです。「あなたはマンガの中のパンチラシーンについてどう思いますか」とか。文字にするとバカな設問ですけど(ダメ)。
あと、この38巻の巻頭の作者コメントでは、椎名先生がいわゆる「カルト」にハマる人間に対して苦言を呈する事が書かれていたりして、ある意味興味を惹かれます。コミックス38巻のマンガがサンデーに掲載されていた時期は、日本を代表するカルト教団・オウム真理教の活動が再びクローズアップされていたので、それの影響が大きいと見るべきでしょう。
で、今回の作者コメントに書かれている内容に関しては私も全面的に賛成したい所存なのですが、この意見にさらに補足すると(エラそう)、真にカルト集団がその「カルト性」を発揮し始めるのは、そのカルトが目標にしている「一発逆転」が起こるはずだった時期が過ぎ去ってしまった後からである、という傾向があるようです。
判りやすい例で言えば、ついこの間まで騒がれていた「1999年7月、恐怖の大王がこの世を滅亡させる」系の終末思想に基づき、その終末を生き抜いて新しい世界を構築することを目指していたカルト集団が「1999年7月を過ぎても何も起こらなかった」という現実を前にした場合、そのカルトの構成員は「終末などなかった」と気付いて目を覚ますのではなく、実際は逆にそのカルトな「活動」をさらに強化させる方向に向かう傾向があるそうなのです。
結局、自らのアイデンティティを維持するためには、カルト的にその信教にのめり込んでいないといけなくなってしまうのだ、というのがその理由だそうです。悲しい末路ですねトホホ。そして、その問題を我が身に振り返って考えた場合、「椎名高志ファン」とは、ある意味において「椎名高志を至高の神として、その出版物を聖典として崇め奉る、立派なカルト組織である」と言えなくもありません。そう、実は我々も、カルト的な考えに囚われたカルター(形容詞)だったのではないのでしょうか?
椎名高志ファンにおける終末とは、即ち聖典の最高峰「GS美神・極楽大作戦!!」が終了したという事を意味している訳なのであり、カルト集団・椎名高志ファンにとっては、今はまさに末法の世! 世紀末にハルマゲドン発生! 愛で空が落ちてくる! 指先一つでダウンさ! という事態に相当する訳なのであります。ユ−アーショック!(判る人だけ笑)さらに、カルト集団のカルト性が真に現れるのは「終末」が過ぎ去ってからである、という傾向に基づけば、なんか我々は今後どんどんカルト化する傾向が出てくるのではないか? と思われます。
果たして、このまま我々はカルト化してしまい、そのうちに「『GS美神』的な世界観からはずれるモノ=現実社会を、自分の世界から排斥する行動を取る」という方向にまで突っ走ってしまうのでしょうか。現実の女性をおキヌやルシオラと比較して「ああ、やっぱり! これだから現実社会の女なんか!」と叫んでしまったりするのでしょうか?(答え:もうしてます)
38巻の作者コメントには「将来カルトにはまりたくなければ、きちんと自分の人生を楽しみましょう」と書いてありますが、とりあえず我々の場合、このマンガに熱中するのも良いのですが、それと同時にこのマンガのダメな部分(例:大人の欺瞞が見え隠れするパンチララッシュ)を「ダメじゃん!」と言いつつ素直に笑い飛ばせるだけの余裕を持ちたいモノですね。
カルトのように特定の対象(我々の場合はマンガ)に自らのアイデンティティを埋没させることがないよう、常に余裕を持ってやっていきたいモノです。以上、こちらは椎名高志ファンホームページ C-WWW でした(挨拶)。
更新情報:
- 「煩悩の部屋」のイラストページに、初投稿の隆さん(たかさん、とお読みするらしい)からのイラスト「GS美神連載終了記念パーティー」を掲載しました。
最近は、連載終了を機に色々と投稿して下さる方が増えて嬉しいです。お知らせ:
近いうちに、このサイトの CGI 部分を別のサイトに移転させる予定です。
詳細が決定したら、また連絡します。
99/ 9/13 (更新情報へ)
「長い間ありがとう! 我が青春に悔いなし!」
(サンデー99年41号の目次ページの椎名先生のコメント)
という訳で、「GS美神・極楽大作戦!!」は、サンデー99年41号で無事完結致しました。
文字通り、このマンガは私にとっても青春の思い出でした。私がこうしてネットで文章を書くようになったのも、このマンガを読み始めたのがきっかけでした。ネットや Nifty-Serve を通して様々な人達と知り合えて充実した時を過ごすことができたのも、「GS美神」、そして椎名先生のおかげと言っても良いくらいです。私の人生に楽しい思い出を増やしてくれた椎名先生に、この場を借りて感謝したい所存です。
今までどうもありがとうございました。そして、これからも頑張って下さい。(挨拶)
……何はともあれ、私や皆様方に色々な意味で影響を与えてきた「GS美神」も、ついに終了の運びとなりました。
思えば、先々週のサンデーで明らかに最終回っぽい内容の「地上より永遠に!」が掲載されてからの二週間は読者の間で最終回熱がかなり高まっており、それ故に今回の最終回は「それなりの覚悟を持って迎えられた」という方も多かったようです。
これは、「地上より永遠に!」編を前に持ってくる事によって読者に対して最終回のサインを送っていたという事を意味する訳であり、これは即ちマクドナルドのハンバーガー半額セールのキャッチフレーズ『一年で一番おいしい二週間』的に言うところの、『一年で一番最終回な二週間』とも言うべき期間であったと思われます。事前に予測可能な状況に対してはパニックを起こさずに整然と行動することが可能な日本人の特性を、有効に活用したと言えましょう。もはや自分が何を書いているのか判りません(自爆)。その最終回ですが、もう Cna-BBS や「妙神山・裏門」で色々と最終回についての話題が上がっているので、もはや私如きが何を言う事もないと思います。
強いて言えば、先々週の What's New で書いた、「美神令子の持っている『白い鳥』をもう一度見せてくれることを期待している」的な観点から今回の最終回を読む限りでは、「それが貴様の信じる『白い鳥』か! よかろう! 汝の信じる生き様を進むがよい!」と、それなりに納得した気分になれる内容であった事は確かです。でも、その後で、「……でも、いいの? 本当にそれで?」と、かないみかヴォイスで尋ねたくなったことも事実なんですけどね。いやホント、ここまで変化を拒否してキャラクター性を頑として守り通すってのは、大したものだと思いました。
個人的には、横島の「いや、俺の言いたいのは――」の続きの台詞と、それに対する美神の返答を聞いてみたい気もするのですが、それはこれまでのやり取りに基づいて、我々の妄想でどうにかするべきモノなんでしょうね。妄想は私の得意分野の一つですので、努力したい所存です。(伏線)
で、まぁこんな感じでようやく連載が終わった訳なのですが、ファンとしてはやはり「次の連載作品がどんなモノになるのか?」という事が気になりますよね。気が早いと言われれば確かにそうなのですが、でも気になってしまうのが、欲深い人間の業というモノなのです。人間万歳!
幸い、今週のサンデーの読者アンケートには、長期連載が終了したマンガに対するお約束の設問――「あなたは椎名高志先生に、次にどんな作品を描いてもらいたいですか?」――がありましたので、この質問の選択肢を一つずつチェックしながら、「果たして椎名先生の次回作はどのようなジャンルが考えられるのか」という件について、現在のサンデーやマンガ市場の動向を考慮しつつ、妄想を駆使しつつ勝手に考えてみたいと思います。
妄想は私の得意分野の一つです(伏線回収)。
無難なジャンル
- スポーツまんが
サンデーには既にスポーツまんがが沢山存在しており、そのあまりのスポーティーっぷりに対しては「スポーツマンガのサンデー」と世間で呼ばれているくらいなので、当然の事ながらこの選択肢は有望株の一つと見ても良いでしょう。椎名氏には、一応「フォワード」なんていうスポーツマンガを描いた実績もあります。ただ、「スラムダンク」以降の現代スポーツマンガは、どっちかと言うと「如何にもマンガ的な必殺技の応酬」ではなく、「スポーツとしてのリアリティ」を要求されている方向にあり(少なくとも、今時「キャプテン翼」型のマンガが流行るとは思えません)、それ故に描き手の方にもそれなりの知識が要求されてます。
サンデーの新連載サッカーマンガ「ファンタジスタ」では、作者の草場道輝氏がサッカー経験者であることをトビラでそれとなくアピールしていますが、これは読者に対して「この作者はサッカーを知っている=リアリティのあるサッカーマンガを目指す」というサインの意味合いもあるのではないのでしょうか。そういう観点からすると、椎名氏は今時のスポーツマンガを描くのにはあまり適していないと思います。スポーツを支える体育会系なノリとは無縁、っつうかむしろ敵視して憎悪の念をたぎらせているような気がしますし。いやあくまで私の推測なのですが。
むしろ、そういうスポーツマンガの典型パターンを踏まえた上でギャグにするようなマンガを作った方が適しているかも知れません。「フォワード」も、どっちかと言えばそういう系統のマンガでした。
- ラブコメディ
「GS美神」もかなりラブコメ要素が高いマンガとして名を馳せましたが、元々椎名氏はラブコメ系のマンガを多く描いて来ており、いわばラブコメ畑で生まれたラブコメ部屋出身のマンガ家と言えます。そんな椎名氏にとっては、ラブコメディは最も適したジャンルであることに間違いはないでしょう。とは言うものの、結局「GS美神」は、ラブコメ的な方面では最終的な決着が見られませんでした。
あれだけ盛り上がったラブコメ的な展開に、何故決着が付けられなかったのか? というのは誰しも興