00/ 3/27(更新情報へ)
エイプリルフールイベントを計画している Web マスターの皆さんへ:
4/ 1 に「このサイト閉じます」ネタを使うのは、今更やってもあまり面白くないので、止めておいた方が賢明です。
(挨拶)そうなのです。もはや暦の上ではもういくつ寝ると4月であり、春も間近なのです。そして春と言えば思春期であり、思春期と言えば色気です。皆さん、色気付いてますか?(突然) 今まで只の幼なじみだと思っていたあの娘の仕草や視線が急に気になり出したり、今まで只の後輩だと思っていたあの娘が放課後に貴方の事を木陰からじっと見つめていた事に気付いたりしてますか?
こちらは、椎名高志ファンホームページ C-WWW です。
というか、「MISTER ジパング」の日吉も、早いところヒナタとかを意識して色気付いてドキドキして欲しいですね。春だし。
一時期は「夜のお相手の経験が豊富なのではないか」疑惑が広がったヒナタでしたが、結局なんか今までロクに男子と話もしたことがなかったウブでネンネな健全女子であることが明らかになってしまい、前に書いたような『お姉さんが教えてアゲル! 何も怖がることなんかないのヨ!』系の妄想は、残念ながら抱けなくなってしまいました。
だがしかし、それでもまだ第2話の『誰もいない夜の神社に二人きり』のシチュエーションが魅力的であることに代わりはない訳であり、だからこそ! 何も知らない少年少女が! 恋とか愛とか性とかを何も知らない! 少年と少女が! 暗闇で! 二人きりで! 見つめ合って! ドキドキしながら! おずおずとお互いの手を触れあい! という初々しくてみずみずしくて微笑ましくてちょっとエッチなシチュエーションってのも、なんかこうこれはこれで! これはこれで! という感じなのであります! 春だしな!とか書いてる私は、春になって色気に目覚める以前に、この歳になってついに花粉に目覚めてしまいました。有り体に言って、ハナミズが止まりません。
この粘度の高いハナミズを集めて、何かに有効活用できないでしょうか?(できません)
そんな訳で(どんな?)、先週は「MISTER ジパング専門リンク集」を作成するため色々と Web を調べて回っていたのですが、その途中で偶然アシュ編(というかルシオラの扱い)に対する不満を爆発させているページを見付けたりしてしまい、なんかこう「まだ戦後は終わっていないなぁ」、とか思ってしまいました。
先週は冗談めかして書いた過去の遺恨こと「GS美神」のアシュタロス編が読者に与えた後遺症は、実際にはかなり根深い問題である事は確かです。アシュタロス編は、もはや単に「無視」したり「なかったこと」にして済むような問題ではなく、やはり椎名高志作品を語る上ではどうしてもはずせない要素の一つなのだ! という認識で行った方が、アプローチとしては健全だと思われます。とは言うものの、アシュ編に関してはおそらく作者の側も色々とマズイと考えている事項はあるはずですので(じゃないとコミックス35巻「ファイアースターター」編の冒頭で美神にあんな台詞を言わせないと思う)、新しい連載が始まった今になっても過去の作品のミスを論って必要以上に穿った見方をしてしまうのは、あまり良い態度であるとは思えません。ですので、アシュ編に拘る向きには、今回の「MISTER ジパング」を『アシュ編で作者が犯したミスを作者自身がどこまで把握しており、今後どうリカバリーするつもりなのか?』という、妙にエラそうな視点で読んでみる事をお奨めしたい所存です。
「作品を通して作者を観る」視点でマンガを読み続けることができれば、作者の成長をじっくり観察できる点に目覚める事ができ、結果として普通に読む以上に面白くマンガを読めるようになるかも知れません。まぁ、たかがマンガでそこまでする必要があるか? と申せば、全然そんなことないんですけど(台無し)。私がアシュ編を読んた時は、「椎名高志氏は、『うしおととら』や『犬夜叉』のようなタイプの長編マンガを作成するのには不向きなマンガ家だ。アシュ編はその限界を示した」という、なんか妙にエラそうな評価を下した覚えがありますが、「MISTER ジパング」ではその懸念を払拭してくれる事を期待しております。
まぁ、このマンガは最低でもあと10年は続くマンガなので、4〜5年くらい経てば「アシュ編」以後の椎名作品の変化みたいなものを余裕を持って考察できるようになるでしょう(無責任な上に悠長な意見)。
あともう一つ最近になって思ったのは、「ルシオラというキャラには、人を饒舌にさせる力がある」という事ですね。ルシオラはアシュ編の栄光と挫折を表す象徴的なキャラであり、彼女を語ると言うことは、即ちアシュ編を語ることそのものに繋がる訳です。今でもネットを検索すれば何本か「ルシオラ論」系のテキストを見付けることができますが、どれも結構興味深いです。
その昔、「新世紀エヴァンゲリオン」の評論本ブームが怒った時、評論家のどなたかが「エヴァそのものよりも、エヴァについて語っている人を観る方が面白い」と言っていましたが、それと似たような現象がルシオラやアシュ編でも起こっているのかも知れませんなぁ。ネットの効用の一つに「Web 上に存在さえしていれば、いつどんな所からでも簡単に検索・参照できる」ってのがありますが、現在ネットに存在している「GS美神」に関する文章は、そのまま「当時、このマンガがどう読まれていたのか」を示す、優れたドキュメントになり得ます。なので、アシュ編とかルシオラとかに未だに一家言ある方は、ぜひ Web 上にその思いの丈を綴って頂きたい! インターネットは空っぽの洞窟じゃねぇ事を、みんなのチカラで示すのだ! とか煽ってみたい所存です。
願わくば、「MISTER ジパング」が、ネット上で「GS美神」を越える盛り上がりを見せてくれますように。
でも、前みたいにネガティブな方面で盛り上がるのだけは勘弁な!(ドクロ)
「煩悩の部屋」のイラストコーナーに、緒理さんの作品・「いまにわかるわ いまに・・・」を掲載しました。「MISTER ジパング」のヒカゲのイラストです。
緒理さんのイラストを「煩悩の部屋」に掲載するのは久しぶりですね。めでたい。
「煩悩の部屋」の創作作品コーナーに、まきしゃさんの新作・『バブルの崩壊』を掲載しました。
今回活躍するのは小鳩と貧乏神の貧ちゃん。特に、貧乏神の方言にはかなり苦労させられたそうです。大阪弁は簡単そうで難しいです。奥が深いのでんがな(間違い)。
「煩悩の部屋」の創作作品コーナーに、西表炬燵山猫さんの作品・「insolence of like a angel」を掲載しました。
「横島が女になる」仕掛けを軸に話が展開するのは良い着目点だと思います。テーマも古典的ですが悪くないです。ただ、このテーマだったら、無理して「ビューティフルドリーマー」系のネタに持って行かなくても良かったのではないか? という気はします。
「MISTERジパング」コミックス未収録話一覧を更新しました。
先ほど名前を出しましたが、「MISTER ジパング 専門リンク集」を作成しました。これは、その名の通り、「MISTER ジパング」の感想や批評を行っているサイト、および戦国時代の歴史を扱っている資料サイトを集めてみたリンク集です。
個人的にオススメなのは、主に女性向け同人誌の創作活動を行っている「Edible Flower」というサイトにある、「ひよのぶ日記」です。デフォルトのカップリングが日吉×信長だったり、ヒカゲが未来(のカップリング)を予言して夏コミ向け同人誌を作るとか、信長の脚チラに猛烈な反応を示したりとか、もはや染色体がXYである私のような存在(=男)ではとてもできない発想に満ちあふれています。こういうのに耐性がある人にはオススメ。
00/ 3/20(更新情報へ)
「そりゃ忍者だとは言ってなかったけど、手裏剣とか構えてたやん」
(ヒナタに対する緒理さんの意見・メールより引用)
という訳で、皆さんこんにちは。
こちらは、フツーの巫女も物陰に隠れて手裏剣構える阿修羅バスターな世界観を持つマンガ・「MISTER ジパング」(略称として「ジパング」を推奨)の作者・椎名高志氏のファン達のファン活動っぷりを冷静な視点から観察できるサイトこと C-WWW です。
さぁ、よってらっしゃい! みてらっしゃい!(←夜店の見せ物小屋の呼び込みヴォイスで)そんな感じで、今回の「MISTERジパング」も、ヒナタの姉のヒカゲが実は「すすめ!パイレーツ」に出てきた沢村兄妹みたいな設定らしいことが明らかになったり(コミックス読者のための彎曲表現)、日吉が第一話以来二週ぶり二度目の「正論説教」モードに突入したり、伝説の大泥棒・石川五右衛門が40年くらい時代を間違えて登場したりと、正に色々な意味で大変にバラエティに富んだ内容で、とても楽しませて頂きました。
なんか「歴史パロディ」を標榜する割には回を追う毎にヒストリカル無視な内容になって来ているような気もしますが、でも私は「秀吉の立身出世マンガ」など15年以上前に学校の図書館から盗み出して飽きるまで読み倒してそのまま紛失してしまった経歴の持ち主であり(ダメです)、マンガに「正しい日本の歴史を解説してもらう」なんて役割を要求する年頃ではないので、今のハチャメチャっぷりは許容範囲内であります。
ヒストリカルな要素なんざ、マンガそのものが面白ければ、比較的どうだっていいのであります!とか思っている一方で、IRC(通称:裏チャット)で出てきた「日吉の言う『正論』って、アシュタロス編における横島のソレに似てないか?」という意見に対し、心の中で思わず賛同している自分に気付いたりしている今日この頃なのですが。
ああ、アシュタロス編! 「GS美神」のアシュタロス編! オレ達にとっての共通の戦争体験であり、そして「GS美神」という作品そのものにも大いなる痕(きずあと)を残したアシュタロス編の影が、こんなところにまで! もしかして、「MISTER ジパング」って、最初から最後までアシュタロス編みたいなノリで突っ走るマンガになるのですか!? オーノー! ノーモアウォー!……この前まで「過去の遺恨はそろそろ忘れて、もっと素直にマンガ読もうぜ!」とか言っておいてアレですが、私もまだリハビリが必要な身なのかも知れません。
※このサイトのビギナーの方へ:
「GS美神」のアシュタロス編(コミックス29巻〜35巻)が当時のファンに与えた影響を知る痕跡として、「ルシオラオンライン」の過去ログダイジェストをお奨めします。
不景気な話題ついでに、もう一つ不景気な話題を。
当サイト(というか、オレ個人)のメガプッシュコミックであった週刊少年サンデー連載の「歩武の駒」が、あえなくサンデー16号で連載終了と相成りました。連載期間は約1年ちょっと程度だったのですが、その終わり方(いきなり歩武と最上の名人戦が始まる)を考えると、事実上の打ち切りと考えて差し支えないでしょう。このマンガ、元々ジャンプで大人気の「ヒカルの碁」に便乗する意図で編集部主導で作られた感がありますが、結局まったく追いつくことなく終わってしまいました。巷では「打ち切りがほとんどない」「作者本位でマンガを作っている」と言われているサンデーで起こった、今回の打ち切りという名の悲劇。何故、「歩武の駒」はこんな運命を辿ってしまったのでしょうか?
今回は、マンガオタクの性であるゲスの勘ぐりチックな思考で、ちょっと考察してみることにしました。
ライバル不在
「歩武の駒」も将棋マンガとは言え、勝負に勝負を積み重ねて話を進める典型的な「格闘マンガ」の方法論が適応される構造を持っている事は明らかです。そして、この手のマンガに必須なのが、「ヒーロー、ヒロイン、ライバル」の三大要素です。「歩武の駒」がマンガとして最もマズかった点は、「ライバル」が連載開始段階で存在していなかったことに尽きるのではないか、と私は思っています。「ヒカルの碁」におけるアキラ、「月下の棋士」における滝川などを見れば判る通り、勝負の世界におけるライバルの存在は、主人公(ヒーロー)のモチベーションを高め、全体的なストーリーの牽引役となる大きな役割を背負っています。「ストリートファイター2」のリュウが「俺より強い奴に会いに行く」と言って夕陽に向かって旅に出たように、より強いライバルと出会う! 奴には負けたくねぇ! って思うのは人として当然な感情であり、逆にライバルが存在しないとヒーローが企業努力を怠りがちになり、最後には独占禁止法違反で告訴されてしまう事必至であります。意味の分からない例えで大変に申し訳ない(結局)。
「歩武の駒」にも霧島という魅力的なライバルキャラが途中になって登場しましたが、彼が登場した頃にはマンガの構造そのものが「ヒーローとライバルが切磋琢磨しながら競い合う」という展開ができないくらい固まってしまっていた感があります。もしも霧島が最初から登場しており、彼の妹の樹を軸に歩武が霧島と関わっていくような展開になっていたら、このマンガの運命は大きく変わっていたはずです。
というか、ライバルであるはずの霧島よりも、ポニー黒伏親子の方が出番が多いってのはどういう事ですか! あんなステレオタイプの嫌がらせキャラ、こっちはもう「ダンドー!」とかで嫌になるほど見てるんだよ! あんなキャラを出すんだったら、ンもう樹樹樹! 樹を出せ! ムジャー!(手遅れ)
ヒロイン不在
「歩武の駒」のヒロインは一応桂子ということになっていますが、彼女が真の意味で「ヒロイン」足り得たのは、第1話だけではなかったか? とか思っています。彼女のマンガ内での役割は「歩武を奨励会に入れるきっかけを作ること」でしたが、その目的は第1話であっけなく達成されてしまい、いきなり彼女のマンガ内での存在価値は薄まってしまいました。
それ以後の彼女は典型的ラブコメの女子キャラ的な位置に納まってしまい、本来の彼女の姿である「棋士」としての活躍はほとんどなかったような気がします。ヘボい将棋を霧島に責められて泣かされたくらいでしょうか?(それは活躍じゃない)彼女の悲劇は、やはり歩武と霧島を巡るストーリーの軸に絡めない設定のキャラであった、という事になるのでしょう。さらに悪いことに、彼女がヒロインであったが故に、ストーリー上の重要キャラである樹があんまり目立てなかった(目立つと桂子の影が薄くなるから)という弊害まで出てしまいました。
まるで、ルシオラを巡るアシュタロスと横島の争いに絡めなかった美神令子みたいですね(不吉なメタファー)。
マンガとしてのギミック
「ヒカルの碁」がマンガとして成功した一番の要因は、何と言っても佐為というキャラの存在に尽きるでしょう。主人公に碁に接するキッカケを与え、主人公の成長を指南しつつ、過去の因縁や「神の一手を極めたい」という願望も持っている。しかも、幽霊なのに感情豊か。この設定を考えついた時点で、もう「ヒカルの碁」はマンガとして成功を約束されたも同然だったと思います。
まぁ、さすがにこれに匹敵するギミックを他のマンガに要求するのは酷だと思いますが、せめて「月下の棋士」における「この者は将来の名人なり!」みたいな、主人公が最初から強い理由を与えるマンガ的なハッタリは欲しかったところです。
主人公
そして、歩武本人のキャラ設定の薄さが否めないのも、マズい点の一つに上げられるでしょう。歩武は最初から最後まで無類の強さを発揮して並みいる男性キャラを攻めまくって身も心もメロメロにしまくっておりましたが(やおい誘発因子インクルード表現)、「何故彼はこんなに強いのか」「何故彼はそんなに将棋が好きなのか」という理由は、結局判らず終いでした。将棋のために妹を捨てて鬼と化した霧島や、歩武との約束を果たすために奨励会に入った桂子とは違い、歩武自身には将棋をやるための明確な動機付けというか、「背負っているモノ」が欠けているように思えるのです。
とりあえず、彼は「桂子と別れて将棋から6年間離れていたが、情熱は失われていなかった」という事になってはいますが、6年も将棋やってないのに情熱だけでいきなり奨励会に入れるほど強くなっているってのは、流石にちょっとマズいのではないかと思われます。14年間ぶりにバンドを再結成していきなり紅白に出場したゴダイゴとはブランクの訳が違うのです(比較対象誤り)。この手の「中身の薄い主人公」を肉付けする手法としては、「うる星やつら」で確立され「ラブひな」でもその有効性が実証されている『新キャラをガズガス出して主人公と絡ませてエピソードを積み重ねる』ってものがあります。「歩武の駒」もこの手法を採用していました。
が、「うる星」にしろ「ラブひな」にしろ、主人公には初期状態でそれなりの核となるものがあった(女好きとか東大目指してるとか)からこそこの手法は有効なのであって、主人公が最初から強い上に単なる将棋バカに過ぎないこのマンガではあんまり有効じゃなかったような気がします。逆に、対戦相手がみんな歩武のバカっぷりに感化されてしまう始末。「主人公が最初から強い」系のマンガの成功例としては「修羅の門」「グラップラー刃牙」辺りが上げられると思いますが、このマンガに出てくるライバルは、有り体に言ってみんな奇人ばっかりです。これくらいの奇人を揃えられないと、マンガとしての成功はない、と言うことなのかも知れません。
私が何故「歩武の駒」に注目していたかというと、表では「樹の小さな尻と小さな胸が!」とか「やおい同人女子にモッテモテ!」とか浮かれた事を言ってはいましたけど、あれはあくまで表層的な事であり(強調)、その裏では「何らかのキッカケさえあれば、コレはもの凄く面白くなる要素があるんじゃないか?」と思っていたからに他なりません。その可能性の芽が出ないまま終わってしまったのは残念無念であります。
インターネットの噂によれば、最近になって少年サンデーの編集長が交代したらしいのですが、確かに今年に入ってからの「風の伝承者」「歩武の駒」の相次ぐ打ち切りは、サンデー編集部の方針転換を示す兆候なのかも知れませんね。しかし……
その「歩武の駒」があっけなく終了してしまったその裏で、「デビデビ」がまたも無節操な路線転換による連載の更なる延長に踏み切っていたりする辺り、なんか週刊連載マンガの悲哀を見る思いです。
志半ばにして連載が終了してしまった「歩武の駒」と、明日をも知れぬ無茶な展開で強引に連載を続行している「デビデビ」。果たして、どちらのマンガの方が幸せなのでしょうか?
「煩悩の部屋」の創作作品コーナーに、西表炬燵山猫さんの作品・「four square enemy,sing my country song」を掲載しました。
今回は、文珠を使って横島大暴れ!(エロい方向に)というお話です。
緒理さんから、久しぶりにイラストが届きました。
「おまけイラスト扱いでお願いします」との事ですので、こちらで紹介します。
記念すべき、本サイト初の「MISTER ジパング」イラストです。→「ひんへふはふほふほーほ、ひぇーんひ!!」(jpg,27K)
本編では一益にいきなり取り押さえられてしまいましたが、
"己の全てを凶器とする"忍び(ううっ)として、近接格闘と
なればあの巫女装束で戦うはムリ!
というわけでスゴいコスチュームに変身すると見た!
ちなみにCVが一刻堂さんだと、このセリフは
完璧に発音されます。
「MISTERジパング」コミックス未収録話一覧を作成しました。
00/ 3/13(更新情報へ)
他にすることはないのですか?(軍師風挨拶)
というか、ゲ−ム世代のワタシとしては、やはり「織田信長」と言えばそのまま光栄の名作ゲーム「信長の野望」に連想のリレーションが繋がっているんですよ。
で、このゲームに代表される昔の光栄の国盗りゲームには伝統的に兵士を鍛えて練度を上げる「訓練」コマンドがあったのですが、このコマンドは実際問題として実行しても兵力がちょっと上がる程度の効果しかなく、要は1ターンを無駄に過ごすに等しい行為なのです。なので、コマンドを実行しようとすると軍師とかから「他にすることはないのですか?」とわざわざ確認を求めて来るんですよ。 諸葛孔明から竹中半兵衛まで、歴史上の名だたる軍師が揃いも揃って「他にすることはないのですか?」とわざわざ聞いて来るんですよ? このオレに! バーチャル一国の主であるこのオレに!
アンタちょっと、兵士鍛えないとこのゲームはバトルで負けるっての! そんな事言うんだったら、最初からこんなコマンド作るなっての! ムキャー!……これで、少しは戦国時代マンガファンサイトっぽい雰囲気になったでしょうか?(なりません)
こちらは、椎名高志ファンホームページ C-WWW です。能力値は気合で目押し。
そんなこんなで、ハデに生きるぜ戦国乱世マンガ「MISTER ジパング」も連載第二週目に突入しましたが、今のところは毎回毎回ホントに楽しく読ませて頂いております。
私が見た範囲ではネット上での評判も上々であり、特に普段はマンガに対して容赦ない意見がガンガン流れるような匿名掲示板でも好意的な意見が多いのには、個人的にはビックリしています。現段階で好意的な意見が沢山出ているってのは、即ち作者・椎名高志氏をマンガ家として高く評価しているが故に読者が期待している、という事の現れだと思いますが、こういうのを実際に見ると「GS美神」や「椎名百貨店」で長年培ってきた信頼と実績はダテじゃなかったんだよな、と感心しきりです。
むしろ、この作品に対して懸念を表している読者の意見が読めるのは、このサイト近辺(チャットとか)だけ! といった感じがしないでもありませんが。みんな、過去の遺恨はそろそろ忘れて、もっと素直にマンガ読もうぜ!それで、この前サンデーに掲載された第2話には、期待の萌えキャラ・ヒナタなる人物が登場しました。
このキャラ、見てくれからして「巫女装束+ショートカット、オプションとしてポニーテールを装備」という、なんつうかこう我々の嗜好を知り抜いた者だけが選択できる絶妙なコスチュームを標準装備している上、顔のテクスチャ(まだ言うか)が椎名マンガの数少ない「活発で利発な女の子」系を象徴する小田切あゆみ@ポケットナイト系なものであったため、その筋では早くも人気が出そうな雰囲気です。ですので、今回は、この期待の新人・ヒナタことヒナたん(愛称)に関して、ねちっこく考察してみることにしました。
ヒナタちゃん登場記念・ヒナタ考察企画
ラブヒナタ(←タイトル)第1回 「渡り巫女」・男には向かない職業(巫女だから)
「仕事熱心なご婦人は美しいねぇ」と、今は亡きルパン三世がカリオストロ公国で申しておりましたが、特にマンガのような虚構の世界においては、女性キャラの「職業」はそのキャラを把握する上で極めて重要な要素であります。
「女学生」「団地妻」「女教師」「美人秘書」等、職業からそのキャラクターのイメージが沸いて出てくる例は沢山ありますが、虚構世界における職業とは元々コンセプチュアルな要素を内包しているものなのです。即ち、個々の職業にはそれぞれステレオタイプと呼ばれる「該当する職業が持つイメージ」というものがあり、その職業に就いているキャラは必然的にステレオタイプな要素を持ち合わせている、というケースが多いです。
上で出した職業の例でも、「女学生=エロい」「団地妻=エロい」「女教師=エロい」「美人秘書=エロい」と、それぞれ固有のステレオタイプを持っていることがよく判りますね。ウソです。全然判りません。
前置きはこのくらいにして本題に入りますが、まず彼女の職業は「渡り巫女」という事になっております。
「渡り巫女」は、一般的には「歩き巫女」と呼ばれるのが普通で、(マンガの中でも解説されていますが)特定の神社に属さずに諸国を巡って歩く巫女のことを指します。古くから実在した職業の様で、「歩き巫女」は平安末期の歌集『梁塵秘抄』にも出てきます。歴史的に一番有名な「歩き巫女」は、歌舞伎の起源と言われる江戸時代初期の日本舞踏の始祖・出雲のお国でしょうか。で、この「渡り巫女」(歩き巫女)の設定から、ヒナタというキャラは以下の特徴を持っていることが判ります:
放浪
元々特定の拠点を持たないで各地を放浪する「渡り巫女」は、日本の何処にいてもおかしくない、という事を意味しております。今後このマンガがどんな展開を辿るのかは謎なのですが、仮に舞台がどこに移ろうとも、「渡り巫女」である彼女はその舞台に移動して活躍させる事が可能となります。このマンガの事実上の主人公である(と思われる)日吉も、既に第一話で『家族を失って帰るところがない』という設定になっており、おそらく今後しばらくは尾張各地を放浪して商売する(で、トラブルに巻き込まれて信長が介入する)行動を取るのではないか、と思われます。ヒナタはそんな日吉と行動を共にするには最適なキャラですね。
というか、今のところは、他に日吉の相方になれそうなキャラはいないでしょう。この二人がコンビを組む可能性は、十分に考えられます。
忍者
時は既に戦国時代であり、そんな時代には忍者に代表される諜報機関は必須の存在です。何処にいてもおかしくないという「渡り巫女」の設定は、裏を返せば情報収集するための変装として最適である、という事が言えます。史実でも武田信玄の下には(歩き巫女を含めた)優秀な忍者軍団がおり、信玄の偉業の裏には彼らの功績があった、と伝えられています。デキる武将は、友達に差を付けるため、みんなコッソリ忍者を使っていたのです。
今回、ヒナタはその「武田信玄の忍者組織を抜けたことになっちゃった忍者」だという事が明らかにされましたが、少なくともここしばらくは、彼女とその姉を巡るドタバタが物語の中心になることは間違いないでしょう。まぁ、それより何より「忍者」というのはマンガの世界ではお馴染みのキャラであり、そのキャラが「忍者」であるというだけで超人的な体術をいくら披露しても矛盾が発生しない、という事になっております。例えば、ARMSに出てくる涼の父親なんか、「なに、忍術を少々…」とか言ってるだけなのにも関わらず、ニューヨークのハーレムに巣くったマフィア組織を壊滅させちゃうくらいの実力を持っているのです。それくらい、マンガの世界での忍術はスゴイのです。
ですので、あのヒナタも、忍者である以上はなんか凄い技の一つや二つは持っているに違いありません。小田切あゆみみたいなかわいい顔して、実は彼女は凄いテクニシャンですよ! ビバ忍術! ヤフー!あと、今週出てきた新キャラ・滝川一益も、元々は甲賀出身の忍者であったという設定になっています(史実もそうだったらしい)。彼くらいのレベルだったら、おそらくマンガに出てくる忍者なら誰でも持ってる究極の超必殺技・ダイナマイトいずな落としを「ワシの勝ちじゃあ〜〜」と叫びながら繰り出すくらいのことはできるはずです。いや、できなければなりません。
つうか、イズナ落としの一つや二つくらいできないと、マンガの世界じゃ忍者とは言えねぇ! やれ!(無茶)
妄想誘発
上記の二つはどっちかと言えばマンガの構成要素としての設定面において重要なのですが、さらにもう一つ読者の妄想面を満たさなければ、真の少年マンガとは呼べません。少年マンガ的な妄想の代表格と言えば、これはもう「エロ妄想」で決まりですね。エロ。幸いにして、前述の「渡り巫女」には、金のために夜のお相手をする遊女的な要素も内包されているって事になっているので、とりあえずこの設定だけでも男子読者の妄想を刺激するには十分でしょう。「実際にヒナタがそういう事をするのかどうか?」は、もはや我々の妄想の前では大した問題でないのであります。現実と妄想の区別がキチンと付けられる我々だからこそ、我々は妄想の中で真の自由を得られるのであります!
今週の話の中には、ヒナタが日吉を人がいない古びた神社に連れ込むというシチュエーションがありましたが、ここを読んだ純で多感な男子読者はンもうドッキドキ! であり、何も知らない日吉をヒナタが手取り足取り! 大丈夫、何も怖いことなんてないワ! お姉さんが教えてアゲル! って妄想がモリモリ浮かんでいたに違いないのです。
この辺の演出の巧さは以前「GS美神」で小鳩やルシオラが出てきた時とかにも垣間見せていましたが、まだまだこのセンスは健在だと思いましたね。ただ、エロっぽい要素で「GS美神」と大きく違うのが、主人公であるところの日吉にそのケがまったく見られない点です。
これが前作の「GS美神」の横島だったら、「暗闇でねーちゃんと二人きり!」という台詞の一つ二つが出てきて次のコマでねーちゃんに飛びかかってカウンターパンチを食らってギャフン、というお約束の展開が繰り広げられていたのは間違いないのですが、この辺の違いが日吉と横島のキャラクター性の相違なのでしょう。
日吉は、まだこの戦国時代を生き残ることで精一杯な状態なのです。あともう一つヒナタの妄想誘発関係での強み(やな強みだな)を上げるとすると、彼女は歴史に縛られないまったくのオリジナルキャラであるが故に、人間関係面でのしがらみがほとんど皆無であるという事でしょうか。つまり、今後彼女がどんな行動をして、誰とどんな関係になるのかという事を、読者が(あるいは作者も)想像して楽しむ余地が与えられているのです。
「MISTERジパング」は登場人物のほとんどが歴史上に登場するキャラであるので、人間関係は当然の事ながら歴史上のソレを意識せざるを得ず、そのために「キャラの将来」を想像する余地があまり与えられていない、という欠点があるのですが、ヒナタはこの拘束から逃れることができる、今のところ唯一のキャラです。私がヒナタに一番期待しているのも、実はこの「想像する余地をこちらに与えてくれる」要素だったりします。ラブコメ要素の観点では、第1話に出てきた帰蝶姫も重要と言えば重要ですが、彼女の場合は「信長に対する心情の変化」の過程を描写するのがメインになるでしょう。これも「MISTERジパング」の話の軸の一つになる事は間違いないですね。
一応信長の対抗馬として明智光秀が用意されてはいますが、彼はもうフラレるのか決定しているので、妄想する余地は少なそうです。残念だったな、明智君。また会おう。フハハハ(明智間違い)。
と、以上のようにヒナタなる新キャラを分解して見たわけですけど、端的に言えば見てくれから設定に至るまで極めてよくできたキャラだと言うことができます。
「GS美神」でも、コミックス3巻までに登場したレギュラーキャラの完成度の高さと、そのキャラが活躍するシチュエーションの作成能力には驚愕するべきものがありましたが(基本設定をほとんど変えずに8年間も連載を引っ張ってこられたのは、レギュラーキャラの設定がしっかりしていた点が大きい)、今回の「MISTERジパング」でも、少なくとも序盤の2〜30話くらいまでは、大まかな話の流れと、その話のシチュエーションにマッチしたキャラクターは事前段階で作り上げているはずです。当分の間は、今の面白さのクオリティは保てると思って間違いないでしょう。だからこそ! 故にこの大老知久! 大安心で悠々と、この「MISTERジパング」を見守るものなり!
と、突然「覚悟のススメ」チックにまとめてみたがどうか。他にすることはないのですか? エロ。
更新情報:
「煩悩の部屋」の創作作品コーナーに、まきしゃさんの新作・『リゾート気分』を掲載しました。
今回は横島と冥子のお話です。この組み合わせは常に横島がヒドイ目に遭うことになっていますが、まきしゃさんの世界でもやっぱりヒドイ目に遭います。これでこそ!
あと、密かに冥子が「うぐぅ」と言ってませんか?
GS-Mikami Cool Sites Link(要はリンク集)に、以前イラストを「煩悩の部屋」に投稿して下さっていた鍋島 茂直さんのサイト「猫も杓子も」を追加しました。一応、以前から「煩悩の部屋」の著者紹介からはリンクを張っていたのですが、せっかくですので正式にリンクを張ることにしました。
というか、リンクを張るのが遅れて大変に申し訳ない>鍋島さん。
00/ 3/ 6(更新情報へ)
織田信長〜歴史に学ぶリーダーの条件!(インチキビジネス書系挨拶)
というか、こんにちは。
新連載「MISTER ジパング」のおかげで、今まで美少女キャラ萌え萌えサイトだったのになんか一気に歴史モノ萌え萌えサイトに雰囲気を移行させなければいけないプレッシャーに駆られている私こと深沢が管理運営を行っている、椎名高志ファンホームページ C-WWW へようこそ。でござるよニンニン(←間違った歴史モノ要素)。
そんな訳で、ついにサンデーで椎名先生の新連載が始まりました。尾張が生んだ味噌カツと並ぶ特産物・織田信長と愉快な仲間達のおもしろおかしな戦国時代の生き様を描いた、「MISTER ジパング」というマンガです。
それでこの前サンデーに掲載された第一話は、日頃から「椎名高志マンガの肝はガキとオヤジである」と主張している私としては、とりあえず歴史に名高いイカすオヤジ・斎藤道三の三段ブチ抜き+仁王立ちショットが出てきていたり、竹千代(=家康)がヒストリカル無視のボケ担当の関西風マセガキだったりしたので、ンもうそれだけで大満足だったのですが、でも斯様にオヤジやガキキャラ見て喜んでいるような奴がこの世の中にどれほどいるかと申せば、圧倒的に数が少ないのは必至であります。
例えるなら、水曜日午後6時に「無限のリヴァイアス」じゃなくて「おにいさまへ…」を敢えて見ているアニメファン並みに少ないでしょう。相変わらず判らない人には全然判らない例えで大変に申し訳ない。というか、斯様にオレ的主観のレアな意見ばっかり取り上げていては、本来世間一般のマンガ読者の素朴な意見を汲み上げて紹介して「その時、椎名高志氏のマンガがどう読者に受け入れられ、読まれていたのか」をライブで記録するのがこのサイトの存在理由であり使命なのだ! そういう時代をオレ達は生きた! というカッコ良い趣旨で作られたこのページの運営方針に反する訳であり、あんまり個人的な主観でオヤジオヤジガキオヤジと書き連ねていたんじゃ、ファンサイトの名折れであります。
と深く反省したので、今回は私周辺の人とかネットやチャットで聞かれた「MISTER ジパング」に対する素朴なご意見ご感想のいくつかをここで紹介してみよう、という方針でつかまつりたい所存です。
「椎名さんの連載が始まってちょっと嬉しい」
私の知り合いの何気ない言葉。「ちょっと嬉しい」という辺り、素朴な喜びに溢れていて良いですね。胸に染みました。
本来、マンガの新連載ってのは、「ちょっと嬉しい」って言葉に象徴されるように、「日々の生活にちょっとした潤いをもたらすものが増えて嬉しいな〜」程度に捉えるべきものなのだ、と思いました。日頃オタクっぽく掲示板やチャットでマンガに関してギャーギャー言ってる我々も、初めてマンガの面白さを感じた時のような、こんな素直な感性をもう一度思い出すべきでは