00/ 5/29(更新情報へ)
「すっ、すみませんですぅ〜」
(うっかりよろめいたためにお尻を男の子に押しつけてしまい、赤面しながら挨拶)
というか、この前発売された週刊少年チャンピオン27号に掲載されていた、可愛くて優しくてちょっと天然ボケ入ったヒロインが、事あるごとにうっかりオッパイやお尻を主人公に押しつけちゃう系の読み切りラブコメマンガ「神の御心のままに」を読んでいたく感動した今日この頃です。どのくらい感動したかと言えば、別に欲しいプレゼントもないのに、読者アンケートにこのマンガの感想書いてウッカリ出したくなる程でした。
ホント、オレってこういうの好きな!で、「ゲッチューまごころ便」や「NUDE」などのライトな絵柄+雰囲気なマンガが掲載される辺りから顕著になって来ているのですが、ここ最近の週刊少年チャンピオンは、昔からの看板マンガであるところの硬派路線な「ドカベン」「バギ(グラップラー刃牙)」が順調に連載を続けているその裏で、徐々に連載マンガのカラーをソフトな方向にシフトしつつあるように思えます。
実際、前述の「神の御心のままに」や、最近連載が始まったファンタジー要素入りラブコメマンガ「ぐる輪ぱ」なんかを読んでいると、なんかチャンピオンじゃなくて、「うる星やつら」「タッチ」の二強ラブコメを中心に数々のラブでコメってるマンガが集っていた80年代の週刊少年サンデーを読んでいる気分になって来ますよ。以前、「ラブひな」がマガジンで連載が始まった時には、「何故、こんな10年前のサンデーに載っているようなマンガが、よりによってマガジンに!?」とかいう意見をネットで見た覚えがありますが(私も当時はそう思いました)、ここ10年間のサンデーは、この手のベッタベタなラブコメ要素を徐々に切り捨て、より爽やかなスポーツマンガ方面に路線を転換させる歴史を歩んで来たと言えます。
実際、おっぱいムニュ☆とかお尻でムニュとかいうお色気要素をマンガの主軸に据えたマンガは、「GS美神」「なぎさMe公認」が終了した以降、既にサンデー誌上にはもはや存在していません。「軟派な雑誌」と思われがちなサンデーですが、もはや軟派マンガの最右翼であるラブコメマンガとは縁遠い雑誌になってしまっているのです。数々のラブでコメってるマンガが集っていた80年代のサンデーの栄光は、今はもう遙かな過去の物語になってしまいました。
かつてはサンデーのお色気担当マンガだった「GS美神」が、連載末期では形骸化したパンチラを連発するようになってしまった様を見て、「ああ、古き良き80年代のサンデーは死んだ……」と涙した古株のサンデー読者も多かったに違いありません(ウソ)。しかし、当のサンデーが切り捨てたベッタベタなラブコメマンガは、80年代にそういうマンガを読んで育った現代の現役作家に大きな「種」を残していたのも確かです。その種の芽は、「ラブひな」やチャンピオンの新連載ラブコメマンガなどの形で、現代のセンスを取り入れて変容しつつ確実に育ち、徐々に人気を博しつつあります。
サンデーにとっては、ある意味皮肉な結果とも言えますなぁ。
そんな感じで、「おっぱいムニュ」ってノリでラブでひなってる少年マンガ界からやや離れた位置にいる感がある我らが少年サンデーなのですが、そんな中でも今特に異彩を放っているマンガがあります。
その名は「デビデビ」。今、サンデーで(色々な意味で)最も面白いマンガの一つです。このマンガ、元々は「人間の兄弟(双魔・神無)の中に、ひょんなことから仲の悪い悪魔(ソード)と天使(イオス)が憑依してしまった」って設定がベースの、割と普通のファンタジー要素入りラブコメマンガだったのですが、それが連載を重ねるうちにどんどん変な方向に話が走り始めました。
今では、「魔界の主・サタンを滅ぼした真四元魔将(「神の使い」の天使)を倒すため天界に乗り込もうとするソード達が、巨大学園『神聖鳳凰学園』に通学しながら武闘大会を戦い抜く」という、ハッキリ言ってかなりおかしい(頭が)展開を繰り広げています。普通のストーリーの作法においては、この手のストーリーの迷走は厳禁であると言われています。実際問題として、80年代に栄華を誇った少年ジャンプが「次週の展開がどうなるのか、作者にすら判らない」ような行き当たりばったりなマンガを乱発した結果、90年代中盤に主軸の連載マンガを次々と失い、発行部数で手痛い損失を被ったのは記憶に新しいところでしょう。
また、いわゆるラブコメマンガも、必要以上に連載を延ばすことは作品のクオリティを保つ面からすると非常に危険な行為となります。ラブコメの名作と言われる「めぞん一刻」でさえ、連載後期になると「新キャラを出す→五代 or 三鷹がモテる→響子が嫉妬する→ドタバタ発生」を延々と繰り返すパターンになってしまい、それのおかげで響子さんの性格がどんどん悪くなってしまったばかりか、再婚する時はもう三十路に突入してしまってたじゃないか! これじゃ「やっぱ結婚するなら、響子さんじゃなくてこずえちゃんだよな!」って主張する七尾こずえファンに対抗できないじゃん! と叫んでいだ往年の「めぞん一刻」ファンの皆さん、お元気でしょうか?(挨拶)だがしかし、この「デビデビ」の素晴らしい点は、このような連載長期化に起因する作品の劣化の問題を、「突飛で唐突な展開の繰り返し」という強引な手法でクリアしている(というか、むしろ超越している)事です。
試しに、手元に資料として積んであるサンデー14号(「MISTER ジパング」連載開始号)以降の「デビデビ」の展開の変遷っぷりを、ダイジェストでお送りしてみます:
120話 神の刺客〜121話 約束
浮遊要塞編クライマックス。サタンを殺した真四元魔将からサタンの魂を奪い肉体が復活したソードだったが、「神の使い」を自称する真四元魔将=天使達が、墜落しつつある浮遊要塞を人間界に落下させようとしたため、ソードは自らの肉体を犠牲にする必殺技「魔王破滅拳」で浮遊要塞を粉砕。世界は救われた(らしい)が、ソードは体を失い、双魔の中に戻ってしまう。
結局、何も解決していない。122話 マンモス
このまま天使を追って「天界編」に突入するかと思われたこのマンガだが、しかし舞台はいきなり日常生活に戻る。
日常生活に戻ったレギュラーキャラ達が通う学校は、知らない間に「神聖鳳凰学園」というマンモス学校に併合されていたのだった。
ヒゲ親父の校長がソード達を見ながら「おもしろい生徒達が集まったようだな」と高いところから含み笑いをし、黒幕度をアピール。123話 お祓い
実家が神社の新キャラ・神楽坂ひろみは、実家が教会でエクソシストの薬味みずのに、変な置物に取り憑いた悪魔祓いを頼む。
そこに居合わせたソードはその悪魔にパンチを入れたが、魔力が使えなくて全然ダメージが入らずピンチ。124話 魔王の紋章
神楽坂が学校で拾ったアイテムは、実はソードが一定時間だけ魔力を使えるようになる能力を秘めた、大サタンから(知らない間に)渡された変身アイテムだったのだ!
それを察知したヒゲ校長は、「ククク、おもしろくなってきたなぁ」と含み笑いをして、黒幕度をアピール。125話 コンテスト
ヒゲ校長が、何の脈絡もなく「制服コンテスト」を実施!
その裏では、ヒゲ校長が培養していた魔物の実験体が暴れ出し、イオス大ピンチ!
この辺りから、このマンガの本格的な暴走が始まりますよ!
126話 緊急事態
制服コンテストに実験体が乱入して大ピンチ! ソードが変身アイテムを使って実験体を撃破!
「オ〜、発表にあわせたアトラクションか〜!」
ンな訳ねぇだろ!127話 普通の生活
たまたまヒゲ校長が培養していた魔物を見てしまった七海達。
七海「私は普通の生活がしたいの!」
校長「この学園で行われる地下武闘大会に参加すれば、普通の生活を保障してやるぜ!」
ついにトーナメント編に突入、大人気間違いなし。(@神聖モテモテ王国)128話 出場資格
ソード/双魔に危ないことさせたくない七海は、双魔に悪魔を封じる力を持つ「封印のメガネ」をかけさせ、戦力ダウンに成功。
武闘大会は5人チームで参加しないといけないので、メンバーが足りません。どうしよう。
なんか、「すごいよ! マサルさん」にもこんな展開がありましたよね(勘違い)129話 ガマン
ヒゲ校長と乱封(傘小僧)が「武闘大会の優勝者には人を越えた力を与える」と話しているのを聞いたコウモリネコ(「デビデビ」が道を踏み外すキッカケを作ったロリキャラ)が、「あちしがメンバーに入ってやるニャ!」とか言いながら参加。さらに、七海を騙してメンバーに加えて5人組を強引に結成。
あと、第一回戦の前に封印のメガネを取ろうとした七海だが、都合良く取れなくなってしまいました。どうしよう。130話 降参
第一回戦は、双魔が裏暗黒魔闘術(変な武器を作り出す技)を発動させて勝利。
双魔の手の甲にある悪魔の卵からチビソードが出てきて戦闘を援護。
かわいいソードの出現に、女子読者はもうメロメロ!(社交辞令的に)131話 敵情視察
第2回戦の相手は、メカを操る理系マニア軍団。しかもヒゲ親父の一存でトーナメント形式が急遽1対1の闘いに変更、このままではおミソで登録した七海も闘うハメになってしまう。先鋒のコウモリネコもあっけなく破れ、主人公チームピンチ! しかし!
「ソードさん達が魔界に行っている間、私だって何もしていなかったわけではありませんよ!」
みずのがそう叫び、突如として脱衣! その下からは、どう考えても校則違反のSM女王様チックなレザースーツが!
「なんだぁあのカッコは!」
こっちが聞きたいよ!
このように、わずか12回の間に、「魔界での壮絶なバトル」→「真四元魔将の登場」→「学園編開始」→「制服コンテスト」→「校長が魔物を培養」→「校内武闘大会開始」とめまぐるしい展開を見せています。ちなみに「MISTER ジパング」は、この12回のうち10回を消費して日吉が信長の家臣になるまでを描いているのですが、それと比較すると如何に「デビデビ」の展開ペースが早いかがよく判ります。もはや、伏線という概念がこのマンガに存在するのかどうかすら判らない程のパワーとタフネスを抱えて突っ走っているこのマンガを止めるモノは、もはや誰もいません。
というか、もうここまで来ると、逆に「暴走を止めない方が面白いよこのマンガ! ゼッタイ!」って気になってきますね。連載作品というものは、本来はどう成長するかが作った側にも予測できない「生き物」として定義されるされるべきものであり、元々予定していた展開から大きくかけ離れて話が暴走するのは、日本でもいわゆる大衆娯楽として「小説」が読まれるようになった江戸時代以降、よくある事なのです。
勿論、当サイトでは、あくまで「作品は、事前に練り上げた方が質が良くなる」と日頃から主張しており、事前のブラッシュアップこそが作品の質を高める――連載前に半年の準備期間をかけた「MISTER ジパング」に私が期待を寄せている論拠の一つですが――と思ってはいるのですが、しかし「物語」というのは、諸般の事情によって作者のコントロールを離れて独り立ちしてしまう事が往々にしてある事も、また事実です。「もっと主人公の活躍を読んでいたい」と望むのは読者(及び、版元の出版社)の当然の要望であり、それ故に作者は物語を先に引き延ばすって事は昔からよくある事だったのですが、その引き延ばしの部分こそが「生き物」となり得ると言えましょう。
このような現象が起こるのは、人気によって掲載期間が左右される連載作品の宿命と言えます。連載作品の作家は、この「生き物」を自ら産み出すのみならず、それを育て、そして最終的にケリを付けて当初予定していた最終回に話をつなげる管理運営能力も、また必要になるのです。
「デビデビ」は、今まさにその能力を試されている! と言えましょう。
キャラクターを無尽蔵に消費し、何本も普通の連載マンガを作ることができる設定を大量に投入しつつ、見えない明日に向かって突き進む「デビデビ」。このマンガは今、「連載マンガは生き物である」という命題を証明しつつ、「突飛で唐突な展開の繰り返し」という技を常に繰り出して「生き物」をどんどん育成させています。
この調子で行けば、この「生き物」はもう作者自身もコントロールできないモンスターに成長する事は必死の有様のように見えるのですが、しかしこのマンガの成長は、もはや誰も止める気がないようです。即ち、この「デビデビ」の圧倒的なアレでナニなパワーを前にした我々読者は、もはや「来週のこと考えてないだろうこのマンガ」とか、「先週までの設定を台無しにするムチャな展開するよなぁ」とかいう凡庸な思考を巡らせることすら叶わないのです。ただ、毎週毎週圧倒的な勢いでもって邁進するこのマンガを鑑賞し、その勢いっぷりに感動するのみであります!
この、「物語が急激な勢いで膨張しつつある」様を眺めるのは、個人的にはかつて「GS美神」コミックス31巻辺りの話がサンデーに掲載されていた頃以来であり、今私は「デビデビ」を読むにつけ、話がリアルタイムでダイナミックに転がって行くというあの頃の高揚感を、再び感じずにはいられません!という訳で、走れ「デビデビ」! 我が前に敵なし!
毎週楽しみにしてますよ!(マジで)
創作作品コーナーに、今回初投稿となる桜華さんの作品・「Flower message」を掲載しました。現役の学生さんからの投稿です。
タマモからの視点で横島を見つめた、趣深い作品に仕上がっています。「タマモが横島の『良さ』に気付いて行く」様子を描写するという着眼点も良いですし、何よりもしっかりとした文章が書ける方だと思いました。今後に期待。
にしても、やっぱ横島ってモテる要素が揃ってるのな!
「煩悩の部屋」の創作作品コーナーに、こちらはお馴染みのまきしゃさんの作品・「『嵐を呼ぶ女!』」を掲載しました。
今回は解説通り、冥子を巡るお話です。というか、冥子に対して余計な事をするとヒドイ目に遭うって事を改めて認識していただきたい所存。
00/ 5/23(更新情報へ)
近況:
供養の意味も込めて、「歩武の駒」コミックス最終巻となる5巻を買いました。(挨拶)
サンデーで連載されていた時は当サイトでも色々とネタにさせて頂いた「歩武の駒」でしたが、こうして最終巻を手に取ってみると、何というかあの頃の思い出が次々に甦って来て、妙に感慨深いモノがあります。
柘植 樹が登場した週には「尻だ! 樹の尻がいいんだ!」「いや、あの控えめな乳が!」とチャットで議論したり、マイクが登場した週には「だから、マイクを巨乳で頭が足りてないアメリカ人女子にすれば!」「いや、奴の抱える問題はそれどころじゃ解消できねぇ!」とチャットで議論したり、打ち切りを食らって最終回を迎えた時には「歩武の駒」に一家言ある連中が集って「このマンガのどこがまずかったのか?」とチャットで議論したりしていたあの頃が懐かしいですね。
要するに、ただチャットで「歩武の駒」をネタにダベってただけなんですが。この「歩武の駒」5巻には、このマンガのダメな部分の象徴である「マイク編」、このマンガの最良の部分の象徴である「霧島対歩武の決戦編」、そして作者自身が持っているラブコメ創造能力の高さを証明した短編エピソード「ホワイトバレンタイン編」の3つが収録されており、「歩武の駒」が如何なるマンガであったのかがこの一冊に全て濃縮されている、と言えます。
「歩武の駒」の栄光と挫折、夢と現実、愛と哀しみがこの一冊! この一冊に込められているのよ! と申しても過言ではありますまい!(←過言です)このマンガ、ネット上ではサイトのリンク集である「歩武の駒ウェブリング」が作られるなど、同人女子を中心にカルト的な人気はあったと思われるのですが、でも100万部以上刷られて世の中にバラまかれるマンガとしての立場上それだけじゃダメだった、という事になるのでしょう。100万人以上に読まれるマンガが同人女子にだけカルト的な人気を得ても、営業上ちょっと困るのは理解できます。
「歩武の駒」は、最後は松浦聡彦氏の新連載「ブレイブ猿's」が場に出る時のコストとして支払われる生け贄クリーチャー(専門的表現)みたいな形でバタバタと終了してしまいましたが、作者の村川和宏氏には、これに懲りず(失礼)ぜひ何らかの形でまた連載を持って再起して頂きたいと思います。
個人的には、樹が「お兄ちゃん…」って台詞を連発する、樹と大の許されない恋愛を描いた本格将棋ラブロマンスなんかどうかと。だって、あの最終回の二人の様子ってそうやん? 大の名字が最後に柘植に戻ったのは、大が樹と結婚して柘植家に婿に入ったからってことやん? 兄妹同士の恋愛って、なんか「ママレードボーイ」みたいで萌え萌えですなぁ!(←例えが古い上に不適切です)
あと、このサイトは一応村川和宏氏ではなく椎名高志氏のファンサイトですので、「MISTER ジパング」の話題を少し。
前回の What's New では「信長ヒロイン説」をでっち上げてみたので、今回はその相方である日吉について触れてみたいと思います(ダメな方向に)。連載開始以来怒濤の展開を繰り広げてきた「MISTER ジパング」ですが、サンデー24号(「信長行状改方」編)でとりあえず「連載を続けるための体制」は整った様子です。サンデー25号からは、話のノリがどことなく「GS美神」に似ているインターミッションっぽいエピソードである『殿と野獣』編が始まりました。
この話では、信長のキャラ特性をギャグ方面に大きく振って笑いを取る形になっており、このマンガの中での「信長」というキャラに新しい要素を積み上げることに成功していると言えます。エピソード全体に流れる『UFO特番』っぽい独特のインチキ臭さの演出も絶妙であり、久しぶりに「GS美神」の頃の椎名氏のギャグセンスが出てきたな、という感じがしますね。ただ、今回の話で唯一疑問なのが、225ページに出てくる日吉の信長評の存在です。
ここでは、日吉が信長の事を「誰にも判ってもらえないが、やっぱり凄い人なんだ」と評価していますが、読者の側からすれば別にそんな事はこのマンガの第一話から繰り返し提示されている事実に過ぎない訳であり、ここであえて話のテンポを殺してまで『分かり切っていること』を挿入する必要があるのかなー、という気はしますね。
『心に常駐』内の「本能寺が変」で Turbo さんも仰っていますけど(いつも無断でリンク引用して申し訳ない>Turbo さん)、「同じことを何回も言われて鬱陶しい」って感じてしまうんですよ。
今回の話はあくまでインターミッションに過ぎない(と思われる)ので、ここは内面描写よりはテンポ重視で突っ走って頂きたかった所存です。まぁ、今回の内面描写に関しては、日吉が「徐々に信長の考えに対して肯定的になりつつある」という事を提示するのが目的であった、と捉えるべきでしょう。日吉の信長に対する評価は、信長が何か行動を起こして「信長様ってスゴイ!」と思った直後にヒドイ目に遭い、「ああ、やっぱりダメじゃん!」と思い直すパターンを繰り返しているのですが、それでも徐々に日吉の評価メーターが「スゲエ」の方に振れつつある様が伺えます。
この評価の背景には、勿論信長がそれだけいろいろな意味においてスゴイ事をしており、日吉がそのスゴイ事の意図を正しく評価しているから――というのが優等生的な理解の仕方になるのですが、しかし本当にそれだけなのでしょうか。まだ出会って日が浅い上に身分も生い立ちも思考パターンも違うし、何よりも今では超法規的な権力によって信長の側に強制的に置かれる立場となった日吉が、本当に正しく主君である信長の素性を見抜くことが可能なのでしょうか?この疑問に対しては、今の日吉の精神状態を説明できるキーワードが存在します。
一般的に「ストックホルム症候群」と呼ばれる、特殊な環境下で発生する心的相互依存症です。
「ストックホルム症候群」とは、強盗などで人質に取られた被害者が、長期に渡る犯人との監禁生活の中で、やがて被害者が犯人に対して必要以上の同情や連帯感、好意などをもってしまうことを指します。
元々は、1973年にストックホルムで発生した銀行強盗事件で、1週間に渡って人質に取られた女性が、事件解決後にその犯人グループの一人と結婚した――という事件が起こったことから名付けられました。今では、ストックホルム症候群はPTSD(心的外傷後ストレス傷害=いわゆるトラウマ)の一種として認められています。
1993年に発生したペルーの日本大使公邸人質事件でも、監禁されている人質達が自分を監禁している年若いゲリラ達に対して理解を示すようになり、やがて彼らに日本語やフランス語などを教えるという、ある種の文化交流まで発生していたそうです。で、この「ストックホルム症候群」が発生するためには、以下のような状況設定が必要になると考えられます:
・監禁状態にあること
・犯人が人質に対して「殺意」を持っていること
犯人との接触を避けることができない状況下では、人質は犯人としかコミュニケーションを取ることができず、結果として人質は犯人に対して常に何らかのコミュニケーションを取る必要性に迫られます。そして、コミュニケーションを取ることによって、犯人と人質は「共同体」を形成するようになります。
何故犯人が人質を取っているかと言えば、それが犯人にとって有利に働くからであり、当然自らが不利な状況下に置かれないためには「警察が踏み込んできたら人質を殺す」という選択肢を残しておく必要があります。
逆に言えば、人質にとっては自らの生命剥奪の権利を犯人が握っている事になります。警察が踏み込む=自分の死、という状況を理解した人質は、犯人よりもむしろ警察が踏み込んで来ることを恐れるようになります。・監禁期間が長期化すること
犯人は人質をいつでも殺せる立場にはいますが、自らにとって有利な状況を作るためには人質を最後まで「生かして」おく必要があります。人質に食事を与えたりトイレに行かせたりといった行動を取らなければなりません。
しかし、人質の側から見ると、この犯人の行動を見て「いつでも自分を殺せるのに、犯人は自分を生かしてくれているんだ」と思うようになります。また、事件が長期化すればやがて犯人と人質の間でコミュニケーションが生じますので、やがて犯人が何のためにこんな事件を起こしたのか、犯人が今までどんな生活をして来たのか、などの事情も理解できて来ます。
犯人に対する安心感と理解は、やがて犯人に対する近親感に変化します。・犯人が何らかの「怒り」を持っていること
政治犯などに顕著ですが、社会とか権力機構とかに対する怒りが犯行動期になっている場合、犯人と深くコミュニケートしてしまった人質も、やがて犯人と同じような怒りを持つようになってしまう事があります。
俗に「同じ釜の飯を食った仲間」とか言いますが、警察権力と戦っている犯人との共同生活が長くなるに従ってこの論理が働き始め、やがて人質は犯人に共感し、警察などを犯人と一緒に憎むようになるのです(この現象をトラウマボンドと呼ぶらしい)。
では、これらの条件に信長と日吉の関係がどこまで一致するのか、検証してみます:
・監禁状態にあること
日吉は、現段階ではまだ木曽の蜂須賀家に居住しているという設定になってはいますが、信長の側近という立場上、信長と一緒の城に住み込むことになるのは確実です。彼の行動の自由は、徐々に奪われつつあります。
それより何より、まだ信長から逃げられる可能性があった段階で、彼を理解している(はず)の蜂須賀小六やヒナタが、揃って「信長との監禁生活」を勧めた事は、日吉にとってかなり大きな精神的負担を与えたはずです。小六やヒ