感想 一覧

バンダイの科学力で「はじあく」のネコ耳化メガネを商品化できませんか的サンデー30号感想

7/1追記:

神のみぞ知るセカイ

 久しぶりにダメな桂馬が見られたのでファンとしては満足です(ダメ)。

 今回登場した天理は桂馬の「幼なじみ」という設定ですが、桂馬が彼女のことをほとんど覚えていないということは、逆に言えば単に忘れてしまっていただけで当時は本当に仲が良かった可能性も考えられます。なので、最終的には彼女は桂馬が言うところの「TOYOTAが作る信頼の幼なじみ」っていうシチュエーションに全て当てはまってしまいそうな気がしないでもないです。
 少なくとも最後の「立場が全然変わって再会」には確実に当てはまると思う。明らかに天理ちゃんおかしいし。頭ではなく態度が。

電脳遊技クラブ

 ニシン君がゲームを逆アセンブルして動的に解析しているシーンは、かつて「絶チル」で紫穂がゲームを一瞬にして読み込んだシーンをものすごく派手にするとこうなるのかなと思いました。
 ただ、ニシン君はゲームのマシン語を逆アセンブル→それをC言語に変換→それを解析というステップを踏む必要がありますが、紫穂の場合はマシン語を逆アセンブルで翻訳することなく、ゲーム構造そのものを読み取ってそれを直接理解しているように見えます。英語を日本語に翻訳して解釈するか、英語を英語のまま解釈できるかの違いみたいなものですね。よってこの勝負は紫穂の勝ち(勝負してません)。

 そしてシューティングゲームの場合、二人プレイをするとソロプレイよりも多めにアイテムが出てくるものもあるので、そういう場合は一人にアイテムを集中させ、もう一人は影のようにその後を付いて行っておこぼれに授かる戦い方が割と有効です。「コバンザメ戦法」って言ったような気がする。ダライアスとかで有効だったような(例えが古い)。

 逆アセンブルで出てきたソースが、それなりにゲームの座標系の処理っぽい雰囲気だったのは良かったです(フォロー)。

アラタカンタガリ

 革とコトハが風呂場で半裸でどっきどきするというせっかくのけしからん展開だったのですが、革が「コトハのおっぱいを見て鼻血を垂らす」という持ち前の初心っぷりというか童貞っぷりを発揮して台無しに。女の子の裸を見て鼻血を出すだなんて20世紀的な演出だと思ってましたが、意外と現代でもイケるものだなあと思いました。
 何にしろコトハは現在のサンデーにおける横乳チラ見せ型ヒロインとして貴重な存在である上、「俺が俺であるという理由だけで俺のことを一方的に好きでいてくれる異世界の女の子」というボンクラ男子垂涎の属性も持ち合わせているたいへんにいい子なので、今後もこの調子で革に鼻血を吹かせてやって欲しいです。彼女の恋が報われるかどうかはともかく(ひどい)。

 あと今回は序盤でカンナギ様がヘタレずに活躍していたのですが、「オトナ」に捕まってヘタレていたところに限って革に見られてしまうとか、相変わらずヘタレ方がツボに嵌ってるなあと感心しました。さすがカンナギ様。

魔王

 ついに最終回。やはり最終的にこのマンガは第一部のメインテーマである「考えろ、考えろ、考えろ、マクガイバー」的なところに回帰して行くんだなと思いました。現実社会でもまもなく政治の季節が始まろうとしていますが、そういう意味でもこのマンガはこのタイミングで終わるのが相応しいのかも知れません。

 最終回でのサプライズは、「魔王」きっての最萌えキャラであるところの「バッカジャナイノー?」兄弟が実はこの作品内で最強の力を有しており、かつて犬養を狙撃から「救った」地震を起こしたのも彼らだった(そして潤也はそれを見越して彼らを雇っていた)ってところ。
 これによって犬養狙撃の時に残された伏線が回収されたと同時に、「犬養は潤也の画策した『兄の復讐』を果たすための筋書きに乗せられていたのでは?」という憶測が可能になります。今回潤也が行った行動は、まさに彼の兄が当時やるはずだった「犬養に扇動された人々の熱狂を解く」ことそのものでしたからね。

 何にしろ、連載おつかれさまでした。月刊サンデーでの「蝉」を主人公にしたスピンアウト作品にも期待させて頂きます。

お坊サンバ

 「ほとんどの視聴者はテレビに対して今以上の画質も情報も何も望んでおらず、デジタル化は余計なお世話である」という真実を堂々とオチにした今回の「お坊サンバ」は、ギャグマンガを社会風刺として機能させるという久米田先生放逐後のサンデーに欠けていたユーモアのセンスを久々に思い起こさせるものでした(大げさ)。

 うちも最近アナログTVが壊れたので仕方なく地デジ対応の液晶テレビを購入しましたが、映像がすげえ綺麗なのでもうアナログには戻れません(弱い)。


先週の「絶チル」は賢木先生のハードな恋のレッスンのためお休みでしたサンデー29号感想

結界師

 絶妙のタイミングで蒼士に助けられた閃ちゃんが、蒼士に惚れてしまうエピソード(意図的な曲解)。
 閃は良守のことが大好きなのは皆さんご存じの通りですが、彼は「烏森を守り、そして大切な人も全て守る」という意志のために命を捨てて戦う良守と同じ様なものを、「与えられた命令や良守との約束を全て守る」ために文字通り命を捨てて戦っている蒼士に見てしまったのかも知れません。閃ちゃんはやっかいな男に惚れちゃうタイプなのね。

 あと、死んだと思っていた奥久尼が幽霊になって復活したのはビックリしました。このマンガは基本的に幽霊もありなマンガであることを思い出させてくれたと同時に、奥久尼さんは何か死んでも生前と全く態度や雰囲気が変わらないところを見ると、むしろこの人は最初から生死を超越した存在だったんじゃないかと思うようになって来ました。D&Dで言うところのイモータルレベル。
 もしこのまま奥久尼さんが幽霊のまま正守のパートナーとしてレギュラーになっちゃったら、おキヌちゃん以来の幽霊美少女としてアイドル化するところまで狙って欲しいですね(少女?)。そして「死んでも生きられます! ちょっと死ぬほど苦しいけど」って言って欲しいものです。國府田マリ子ヴォイスで。ウソです。

マギ

 自分がアラビアンナイトを知ったきっかけは阿刀田高氏の「アラビアンナイトを楽しむために」だったので、アラビアン=エロという認識です。冒険とかロマンとかバイオレンスとか、そういうの以前にエロ。ですので、今回「サービスタイム」でアラビアンなお姉さんたちに入っていたのかどうかを妄想してしまうのも、致し方ないと言えます(←むしろ自分が仕方ない)。エリザベスさんはきっとそういう意味でのナンバーワンなんですよ。折れちゃうくらいの。何かが。
 ちなみにギリシャ神話も同様に阿刀田高氏の「ギリシャ神話を知っていますか」を読んで詳しい中身を知ったので、ギリシャ=エロです。現在ギリシャが舞台になっている「ハヤテのごとく!」もエロ。アーたんとかもう存在自体がエロいです。どうしよう(←むしろ自分がどうしよう)。

 マンガ的には、今後は砂漠のダンジョンを舞台にしたハック&スラッシュな冒険譚がメインになるみたいですね。と一応まともなことも書いてみた。

お茶にごす。

 姉崎部長が卒業の巻。このマンガから部長がいなくなることが信じられません。「マリみて」で例えて言えば、祥子さまが卒業していなくなった後のリリアン女学園の様子が想像できないようなものですよ。
 でもまだ「マリみて」の場合、既に祐巳は祥子さまとの決別という現実に対する覚悟を完了させて妙に逞しくなっているので、学園を例の調子で何となく支配する様子を想像することも可能だとは思うのですが、「お茶にごす。」の方は登場人物がどいつもこいつも部長との決別に対する覚悟を完了させていない感が漂っており、それ故に今後の彼らの行く末が心配です。特にまークン。ある意味相思相愛といっても良い関係になっているにも関わらず、生き様の違いを自覚して自分から身を引くだなんて、あまりに優しすぎます
 思うに、これからが彼らにとっての本当の物語の始まりになるのかも知れません。今後再びまークンと部長が相まみえる時は来るのか否か。姉崎部長のいない茶道部に我々はいる。

魔王

 「初回は大騒ぎでも、二回目は興味なしってことだよ
 これって、ハルヒ第二期の一回目のエピソードとなった「笹の葉ラプソディ」はネットでも騒ぎになったけど、二回目のエピソード「エンドレスエイト」の時はそれほどでもなかったってことでしょうか(せめて売上税廃案→消費税成立の例などを挙げるべきところでボケてみるテスト)。

 次週最終回な模様のこのマンガですが、最後のところで原作の持つ政治的なテイストを意図的に醸し出してみた、と解釈しました。「魔王」第一部は大衆を扇動する才能を持った犬養とそれに対抗する唯一の能力を持つ安藤兄との対決を描いた物語だった訳で、この作品は最後の最後でそこに立ち返ることになるのでしょう。
 勿論、今回の潤也の台詞は現実の日本の政治を揶揄するものでもあることは明白なのですが、ここは椎名高志ファンサイトを標榜しているサイトであるので、これに対する反応としては「のんぽり魂」を標榜することで回答とさせて頂きます。みんな「卵は産みましたからそこでなさってください」と赤面して語った人魚のように生きればいいと思います。


ネット感想界で一番遅いサンデー28号感想

最強!都立あおい坂高校野球部

 静岡県出身の私としては、静浜のピッチャー神木の根性の曲がりっぷりにもう萌え萌えです。自分が小学生の頃に読んだ野球の解説書には「ピッチャーは投球を終えた瞬間から九人目の野手となって守備体制に入らないといけない」と書かれていましたけど、そんな基本すら無視して投球に専念するというか、投球以外は面倒くさがってやりたがらないわがままっぷりが素晴らしいです。
 これでもし「あお高」が高校野球への無邪気な幻想を打ち砕くために作られたメタ的な視点を持ったマンガであったなら、こんなひねくれ者がエースなチームが優勝して「高校野球」的なものに問題意識を投じることも可能なのでしょうけど、しかし「あお高」はそういうマンガじゃないというか、むしろ努力友情勝利的少野球年マンガの基本フォーマットに沿った作品であるので、このままでは神木はあお高打線にかき回される→自分も守備しないと勝てないと認識させられる→バントを自分で捕球して神木が努力友情勝利路線に覚醒、みたいなパターンに落とし込まれることは必至の有様。神木はどこまで静岡県代表としてひねくれ者の意地を守り通せるのか、元静岡県民として期待したい所存です。静岡県関係ないけど。

 というか、いくら神木が守備をしないボンクラと言えども、このままあお高がバント戦法を続けるのもちょっと少年野球マンガ的じゃないというか、同じ少年野球マンガでもむしろ「砂漠の野球部」テイストな雰囲気を醸してしまう可能性もあるので、正当派少年マンガを名乗るにはその辺のさじ加減が難しいよなと思いました。

ハヤテのごとく!

 片思いだらけの「ハヤテ」界において初登場時からハヤテに片思いを抱いているマスターオブ片思いの西沢さんが、片思いの果てに得た悟りの境地をビギナーオブ片思いであるシスターに説いてハヤテの窮地を救うの巻でした。

 更に今回、西沢さんはハヤテに対して不意打ちでキスした上に「惚れてもいいんだぜ」みたいな照れ隠しの裏に本心が覗く言葉を繰り出して改めてアプローチするものの、ハヤテは遠回しな表現ながらも「お友達でいましょう」と回答、結果的にフラれてしまう形となりました。この反応は西沢さんもある程度は覚悟の上だったんでしょうけど、やっぱりフラれてしまっていることには変わりありません。
 ナギやヒナギクに対しては鈍感というか徹底的なボンクラっぷりを遺憾なく発揮しているハヤテですが、女をフる時だけ格好良くなるのは困りものです。何という女泣かせ。マリアさんから天然ジゴロの称号を得ているだけのことはあります。ダメだこいつ早く何とかしないと。

神のみぞ知るセカイ

 桂馬が攻略した女子が一同に介してみんなでモンモンするの巻。記憶からは消えても心には何か残るものがあるということなのか、それとも駆け魂が抜けてリセットされたおかげで桂馬の魅力に気が付くことができたということなのか。
 桂馬は桂馬で、一度攻略を終えて関係なくなったはずの女子に対して面倒見る責任みたいなものを感じ始めているっぽいですし、彼女たちと桂馬の関係はいずれまた生臭くなりそうな予感。専門用語で言うところの焼けぼっくいに火って奴?

 彼女たちのバンドの話はおそらく学園祭ネタをやる時に再び出てくると思われるので、その時に今回出てきた女子たちが桂馬に対してどんなアプローチをかけるのか期待。個人的には結局ドラムをやるメンバーが集まらず、桂馬が女装してドラムを叩く展開を希望していきたい。

魔王

 今回のエピソードを理解する上で、もっとも重要なキーワードを再確認します。
 「蜂」はパンツを履いていません

 斯様な認識の上で今回のエピソードを読み返してみると、パンツ履いてない蜂を前にして動揺してしまう辰美と、パンツ履いてない蜂を前にしても全く臆することなく渡り合った上、蜂に「こいつはバケモノだ」と認識させるに至った潤也とでは、もはや器が違うことは明白です。
 どちらも「犬養を失脚させる」という目的は共通しているのですが、その目的に対する覚悟の違いが、「蜂」というパンツ履いてない刺客と対峙した時の結果の違いだったのでしょう。刺客のパンツの有無に動揺する程度では、己の運命と向き合うことすら叶わないのです。

 「蜂」がパンツ履いてないことにここまで深遠な意味を持たせた作者の力量に感心しました(妄想です)。

トラウマイスタ

 ついに最終回。スジャータは常に僕たちの側にいるよ! みたいな、宗教的なレベルにまで到達した美しい形で無事収束できたことを喜びたいです。本当にこのマンガはやらかしてましたからね。特にダヴィンチが登場してからの急展開っぷりは、間違いなくサンデー読者の記憶に永く残ることになるはず。
 何というか、「今、自分は次回がどうなるのか想像も付かない週刊連載マンガを読んでいるんだ」と実感させられる、ダイナミックかつドラマチックな作品でした。作っている方からするとものすごく大変なマンガだったのではないかと思うのですが、一読者として楽しませて頂きました。感謝。
 中山先生の次回作にも期待させていただきます。


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