ソーラーのことを教えてくれるドラえもんの姿に一抹の寂しさを覚えたサンデー32号感想

ハヤテのごとく!

 ハヤテの過去編は基本的に悲劇で終わることが確定しているエピソードですし、何よりハヤテの当時の家庭環境は報われないことこの上ないので、過去編に入ってからは何というか正直読むたびに切なくなります。
 でもまあ今回のエピソードは、「ハヤテのごとく」という作品の中でもかなりの重みを持つものになることも判っているので、今後このエピソードをどのように後の物語の中に織り込んで行くのかという、畑先生のストーリーテラーっぷりを期待して読んでいきたいと思ってます。ハヤテの過去もまた、絶チルで表現するところの「ムダな過去なんかない」という奴なんですよね。きっと。

 あとアーたんとハヤテのベッドでのピロートークのエロスぷりは異常。双方とも幼稚園児レベルにしてこのエロスっぷりは、もはやただ事ではありません。アーたんはどうも常世の存在ではないっぽいのでエロスなのも納得できるとしても、そんな彼女と対等以上にエロスを醸し出しているハヤテも尋常ではありません。
 つまりハヤテもまた常世の人間ではないということなのか。その辺どうなのか。

神のみぞ知るセカイ

 今回の攻略対象は、引っ込み思案どころでは済まないくらいの内向き思考な図書委員女子である模様。「もしこんな子が現実世界に存在していたら、三分も持たずにストレスで死んでしまうのではないのだろうか」と心配になって来てしまいます。
 前回の西原かのんも大概でしたが、今度はさらに輪をかけて社会性が欠如している子なような気がしてなりません。桂馬は果たしてどこまで彼女相手に正気を保てるのか。

アーティストアクロ

 今回のエピソードで、主人公のアクロはこの世界の「アート」から失われた面白さや楽しさを取り戻すために戦う存在であることが提示されました。己の信じる理想を実現させるために戦う! それがアーティストアクロ!
 このマンガは、想像以上に直球かつ真面目に「少年マンガ」をやろうとしている作品なのではないかと思いました。このスタンスには好感を覚えます。やっぱりアーティストアクロに女はいらねえ!(何でよ)

金剛番長

 判ってはいたことですが、やっぱりこのマンガの作者や編集者は黄金時代のジャンプが好きすぎます。刀で目を斬って迷いを絶つとか、あまりにも「男塾」的なセンスを全く隠すことなく真正面からぶつけて来るセンスには、ある種の戦慄を覚えるほどです。
 やはり少年マンガに自重は不要ということなのか。「好きを貫く」とはこういうことなのか。その辺どうなのか。

クナイ伝

 最終回。個人的には作品世界の雰囲気が好きなマンガだっただけに残念です。「暗号名はBF」といい「クナイ伝」といい、現代少年マンガの世界では子どもがスーパーパワーで大人に変身して大活躍! 的な路線で長期連載を狙うのは厳しいのでしょうか。
 何にしろ、クナイといずなのいちゃいちゃラブコメディっぷりは、読んでいてとても微笑ましかったです。緒里たばさ先生の次回作に期待します。

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[crossreview]神のみぞ知るセカイ 1 (1) (少年サンデーコミックス)

ギャルゲーの方法論を以て現実の女性を「攻略」して行く、ゲームとリアルの関係を倒錯させた次世代型ラブコメマンガ。ゲームを知り尽くした作者ならではのセンスが光る、将来の名作になり得る可能性を秘めた作品 [10]
2008-07-13 23:21 | Permalink | Other Review

 なお、「神知る」1巻の表紙についてはヤマカムの山田さんが「何故表紙が女の子でなくて桂馬なのか」と疑問を呈していますが、これに対する回答は単純です。「このマンガで一番カワイイのは桂馬だから」です。
 何事に対してもロジカルに対応するクールな知性、リアルの圧力に決して屈服しない高貴な精神、一見すると全てを拒絶しているように見えて実は紳士的な優しさを秘めた物腰、そのようなキャラクター性に説得力を持たせるアイテムとしての眼鏡、そしてふとした時に見せる可愛い仕草。心の中に乙女回路を装備した者であるならば、斯様なキャラクターに萌えを感じないはずがありません。

 私などに至っては、『真にコアな「神知る」ファン達の間では、「オレも桂馬に攻略されてえ!」派と、「むしろオレが桂馬を攻略してえ!」派、更にそこから派生した「ゲームの美少女キャラになった上で桂馬に攻略されてえ!」派などが発生しつつあるに違いない!』と妄想している有様です。
 ちなみに自分は桂馬に攻略されたい派です。

 なお、これが「一見様に優しくない表紙」である点については、激しく同意します。
 何このうっかりBLと間違えられても仕方がないクオリティ。若木先生はやはり違う

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まだ僕には帰れるところがあるんだサンデー32号絶チル感想

絶対可憐チルドレン

 WHFの椎名先生サイン会に参加された皆様、おつかれさまでした。
 っていうか、生原稿にサインしたとかマジっスか! なんという太っ腹な! さすが最終回を迎えたマンガは貫禄が違いますね!(まちがい)

 そんなアレで自称暫定最終回を迎えた「絶チル」。「薫達が大人の皆本と一緒にいることを望み、兵部の試みが失敗する」ところまでは概ね予想通りだったのですが、個人的にちょっと意外だったのは、パンドラの中心メンバーが兵部を心配する描写がきちんと描かれていたことでした。

 先週、兵部が自分の生命と引き替えに皆本を子供にしようとする自らの計画を明かした時でも、真木を初めとした彼らパンドラのメンバーは「少佐の命令」があるためにで全く動かなかった(動けなかった)姿は、必死で皆本を探して取り戻そうと自ら行動したチルドレン達とは、ある意味対極的だったと思います。が、今回はそのパンドラのメンバー達もやっぱり兵部のことをもの凄く大切に思っていて、如何に彼のことを心配していたかが描かれています。
 特に葉のツンデレっぷりは非常に可愛らしく、自分の中で彼が更に株を上げました。口ではなんだかんだ言ってても、彼は本当に兵部のことが大好きであることが伝わって来る良いシーンだと思います。

 そして兵部も、そんな葉や真木を見て、自分の存在が彼らにとっては(チルドレンにおける皆本と同様に)必要な存在であることに気付いた様子。かつて信頼されていた仲間に銃で撃たれてから、兵部は「仲間」というものを心から信用できなくなっていたのではないかと思うのですが、今の彼は既に自分が「仲間」から信頼されるかけがえのない存在になっていたことを自覚したのです。これは兵部にとって、かなり大きい意識の変化なのではないのでしょうか。
 「次の機会が来るまで、せいぜい長生きするとしよう」と軽いことは言ってますけど、おそらくこのような形で兵部が無茶をすることは、もう無いような気がします。

 その一方で幼少期のトラウマ故に子供に戻りたがっていた皆本は、チルドレン達に「あたしたちが大人になって追いつくから」と諭され、大人に戻ることを選択します。
 皆本にとって「幼少期の孤独」は連載第一話の一番最初に描かれたことからも判る様に彼にとって最も大きな心の傷であったのですが、それを『幼少期に経験した孤独があったからこそ、今ではチルドレン達に必要な存在であることができる』という形で肯定されたことで、皆本は心の中に抱えていたこの問題に決着をつけ、乗り越えることに成功したのではないのでしょうか。

 兵部がかつて失った「仲間への信頼」を取り戻して再び生きる決意をし、そして皆本もまた自分の過去を肯定してチルドレンと新しい未来を作り出す希望を得ることができた。「絶対可憐チルドレン」における最重要人物二人が共に最も大きな心の問題をクリアすることができたんだったら、そりゃもう確かにこのマンガもう終わらせてもいいよね、という気にもなると言うことですね。わかります。

 後は比較的どうでもいいことなのですが、最後の小学校を卒業したシーンにおける葵の胸のなさには、何というかこう如何ともし難いものを感じました。破滅の未来における大人の葵はやっぱりおっぱいが小さいので、これはつまり結局未来はそれほど変わっていないということを意味している訳であり、破滅に向かっている未来はいまだ回避できていない――と解釈できます。
 つまり、葵の胸の大きさはハルマゲドンへのカウントダウンになっているのです。チルドレンが人類にとっての天使となるためには、葵の胸を大きくして未来を変えなければなりません。葵の胸が小さいままだと人類滅亡。たいへんだ。

 もし現代にフランスの哲学者ブレーズ・パスカルが生きていたら、「葵の胸がもう少し大きければ、歴史が変わっていた」と評するに違いないと思いました。嘘です。

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