週刊少年チャンピオン連載「ぷろぶれむちゃいるど」が急遽連載終了!(個人的重大事)
イエー!(景気付け)
この前、ここで「タケル道」の連載が終了した時に引き合いに出し、「『エヴァ』のシンジ君みたいな内省的なダメ少年が主人公の時代は終わった! これからは、天然ボケ入った女装変態美少年が大活躍する時代になるに違いない!
」と大プッシュしていた(オレだけが)週刊少年チャンピオン連載「ぷろぶれむちゃいるど」ですが、なんか我々読者の与り知らない理由(作者の一身上の都合という説が有力)によって、連載開始からわずか九週間後に終了となってしまいましたよ!
「ぷろぶれむちゃいるど」の最大の特徴は「如何にもキャラ萌え人気を狙ったような造形のキャラが大活躍」という点なのですが、既に「ななか 6/17」「しゅーまっは」といったキャラ人気先行型の作品が人気を博していた真っ直中の時期に、更にその路線を後押しするこのマンガの連載が始まったことによって、『「ぷろぶれむちゃいるど」=週刊少年チャンピオンが「キャラ萌え」人気を明確に意識し始めた象徴』と捉えていたチャンピオン読者も、決して少なくなかったと思われます。
そして、この説に追い打ちを掛けるように、チャンピオンの読者投稿コーナーにあの「デ・ジ・キャラット」が登場! マニア筋では評価が高いこげどんぼ氏制作のでじこマンガが、あのチャンピオンに毎週掲載されることに! という異常事態に直面した私などは、『嗚呼、硬派で鳴らしたチャンピオンも、ついに「萌え」を「バイオレンス」と並ぶもう一つの柱として据える覚悟を決めたのか! 今を去ること10年前、『サルでも描けるまんが教室』において、『少年チャンピオン=「男気さえあれば死んでも大丈夫! 男は少年誌のキンタマです!
」なるポリシーを持った雑誌』とレッテルを貼られて(というか、当時は正にそんな雑誌だったんですが)以来、常にそういうイメージのフィルターを通して語られる十字架を背負ったチャンピオンが、ついに自らの力で男臭い呪縛を解き放つ時が来たのかにょ! 雑誌ってのも、変われば変わるモノですにょ! でじこ恐るべしにょ!』と勝手に興奮していたんですが、ここに来てその萌え路線の柱であったはずの「ぷろぶれむちゃいるど」が終了、更に「少年マンガの良心の体現」とも言うべき正統派ライトSFコメディ『おまかせ! ピース電器店』の連載終了まで重なったことで、チャンピオンを買って読む気力というか、モチベーションが急降下してしまいました。どうしましょう。深沢です(自己紹介)。
また、この二つのマンガの終了により、「おまかせ! ピース電器店」作者の能田達規氏や、「ぷろぶれむちゃいるど」作者の高柳ヒデツ氏がサンデーに移籍するという(根拠がなさそうな)噂を、掲示板とかで時折見かけます。こういう噂が出てくる原因ってのは、やっぱり曽田正人氏・西条慎二氏の両看板作家が秋田書店から小学館に相次いで移籍したのが、今もチャンピオンファンの間にトラウマとして残っていると観るべきなのでしょうか?
――というか、たかが可愛いキャラが主人公なマンガが一つ増えたくらいで「キャラ萌え路線転換へのシグナル」と捉えたり、一つマンガが終わることに「他誌に引き抜かれたのではないか」と勘ぐったりするのは、大した情報や根拠もなしに色々と妄想するのが大好きなマニアの悪い癖なので、そういうモノの考え方をする傾向がある人は気を付けた方が良いと思いました。
すみません。
という訳で、話はようやくサンデーの方に移るのです。
まず、4/18 に「MISTER ジパング」の4巻が発売になりましたが、この巻は
- 父親を亡くして失意に暮れる信長の前に、「殿に仕える」という意志を胸に死地から生還した日吉が現れ、信長はその日吉の言葉の中に亡き父の意志を見いだす「傷だらけの天使」編
- 幼少期から信長を慈しみ育てて来た平手政秀との別れをテーマに、信長の『幼少期との決別』を描いた「王の試練」編
- 第一話では信長や日吉と「偶然出会った」に過ぎなかった道三・帰蝶・十兵衛達が、今や運命的な絆で結ばれた存在であることを改めて示した「正徳寺の会見」三部作
など、主に信長が「織田家の跡取り」の立場から「織田家当主」へと立場が変わっていく話を軸にして構成されており、この物語が「序盤」と言える段階から移行している印象を受けました。
実際、この次の巻となるコミックス5巻になると、天回が本格的に「歴史」に介入して来たり、「ホンモノの秀吉」が出てきたりとかなりオリジナル色が強くなって来るので、この4巻は『歴史マンガとしての MISTER ジパング』の方向性にある程度のケリを付ける、「第一部・完」的な意味合いを持っている巻なのかも知れませんね。
また、私としては、この巻で日吉(藤吉郎)が使い始めた苦無(クナイ)が、「日吉自身の意志の力」の象徴のように使われているのが、やたら格好良いなぁと思いました。特に、「王の試練」編(その5)で信長の抜き身の刀を日吉が苦無で受け止めるシーンは印象的で、そこからは主君たる信長の意向に反してでも自らの意志を貫く、彼の「意志」の強さを感じ取ることができます。
彼は常日頃から「自分は殿のための道具になる!」と言い続けている程の殿ラヴァーであり、苦無はその「道具としての存在」のメタファーとしての意味合いが強いのですが、しかし苦無=日吉の意志は、時には信長を諫めて彼を正しい道へと向かわせる抑止力にもなるのだ! という意図をこのシーンから読みとることも可能ではないか? とか思いましたよ。
――こんな方向に妄想を抱けるなんて、「ほんの些細な描写から、作者ですら意図していないようなまったく新しい意味を見出す」行為を行うのが大好きな、大した情報や根拠もなしに色々と妄想するのが大好きなマニアの本領発揮といったところですね!(自画自賛)
そしてもう一点、今サンデー連載方面で沸騰している話題として、本作のヒロイン(だった時期もあった)ヒナタっちに対して、現在ネット上で(女性読者を中心に)かなり厳しい意見が出回っている模様であるという事実は、「無数の読者達による『作品の読まれ方』をリアルタイムで記録・保存し、後世に伝える」役割を持つ当ファンサイトの立場として、ここに書き記しておかなければなりますまい(エラそう)。
彼女がここまで不人気な理由としては、おそらくは「基本的に日吉と自分のことしか考えない行動しか取らない」「自分の行動が周囲に迷惑を掛けている(特に同じ身体の同居人であるヒカゲに対して)ことを自覚していない」という、早い話があまりの身勝手さ加減に集約されると思われます。サンデー20号における彼女の台詞「ヒヨシが助けに来てくれたの!?
」「ピンチになったら(ヒカゲちゃんに)交代するから待ってて!
」が、彼女のそんな思考パターンを端的に表現しており、それ故にその点に引っかかりを持つ読者の感情を刺激しているのは間違いないでしょう。
また、このマンガに登場する他の女性キャラが、ヒカゲにしろ帰蝶にしろ加江にしろ、皆「戦国時代の女の生き方」を体現するために毎日を頑張って生きている一方、我らがヒナタっちはそんな苦労も知らずに彼氏=ヒヨシのことばかり考えている脳天気っぷりが、なんかこう見ていて癪に障るにゃー! って要素も、多分あるんじゃないかと思われます(この辺については、他の男性キャラのように毅然と振る舞えない藤吉郎に対して読者が感じるフラストレーションに通じるものがありそう)。
……とは言え、私個人としては、今のヒナタについては「周りに迷惑を掛けている自覚があるのかないのかすら判らないあまりに脳天気な態度は気になるが、でもあの年頃のごく普通の女の子の描き方としては、あれはあれで許せる範囲じゃないんだろうか」程度の感想しか持ち合わせていません。良くもないけど目くじら立てる程悪くもない感じ(無責任)。
今回のヒナタの行動に見られるように、彼女にとっての「ヒヨシ」の存在は、彼女が自ら能動的に動くための(おそらく唯一の)モチベーションとなっていますが、彼女がそこまでヒヨシを意識する理由としては、まず「彼と最初に出会った時、経緯はどうあれ結果的に彼は自分の命を助ける為に知恵を絞って努力してくれた」という強力な「引き」がありますし、またあのお年頃の女の子だったら、初めて仲良くなった男の子のことを必要以上に意識してしまっても、そんなに不自然ではないと思います(こう考えるのは男のドリーム故かも知れないが)。
ただ、現在の問題は、そんな二人に「心理的な結びつきを深めて恋人同士になって行く、ラブコメマンガとかによく見られるようなラブにひなる描写」の類がイマイチ欠けているためか、彼女が今回のようにヒカゲに迷惑が掛かる事が必至な行動を起こしてまでもヒヨシに逢いたがったりする行動を、「ああ、でもヒナタのやることだから仕方ないなぁ
」と読者に納得して(あるいは諦めて)もらえる説得力に欠けている点にあるんじゃないのか、という感じはします。
せめて、「GS美神」18巻の横島と小鳩の間で見られたような、「お互いがお互いを必要以上に意識しちゃってンもうドッキドキ!」みたいな少年向けジュヴナイル的にラブでコメった描写が、(蜂須加長屋での一件以外で)どっかでもう一つくらいは欲しいところですね。
――というか、そういうシーンの一つでもあれば、後は大した情報や根拠もなしに色々と妄想するのが大好きなマニアであるところの我々が、勝手に脳内で二人の心理描写を補完してンもうバッチオッケー! 後は言えない! 二人は若い! な状態にまで持っていく自信はありますYO! 我々のエロ妄想の底力を甘く見るな!(ダメじゃん)
あと、今回の京都編のお話の基本ラインは「『未来予知能力者』としてヒカゲを欲しがっている信玄・信長」と、「『自分自身の存在意義を賭け、自力で助けることを決意した恋人』としてヒナタを救出しようとしている籐吉郎」という、目標は一緒なんだけど目的が異なる三者三様の姿を並行して描く点にあると思われるのですが、信玄や信長はともかく、「何故、藤吉郎はそうまでしてまでヒナタを助けるために行動しているのか」という点については、ちょっと疑問が残ります。
何故なら、彼がこうまでしてまでヒナタを助けようとするモチベーション(の描写)が不足していると考えられるからです。
ヒナタの場合は、上記のように彼女が日吉(藤吉郎)に対して特別な感情を持っている理由も判るのですが、逆に藤吉郎はヒナタに対してどこまで恋愛感情めいたものを持っているのか、今のところハッキリしていません。基本的に藤吉郎は、女の子のことよりも殿のことばっかり考えていた方が遙かに幸せな生き物として描写されており、そんな彼の考えが結果的に今回の「藤吉郎、信長の元から出奔!」事件の原因となったのですが(サンデー12号参照)、それだからこそ「藤吉郎が、信長の元を離れた後にすぐにヒナタを助けに京都まで行く」という行動を取る理由がちょっと不明確になっているような気がします。
まぁ、これに関しては、日野秀吉から「ヒカゲが天回に捕らわれている」と聞いたのが今回の行動の動機になっている、という描写はあるのですが、(普通のマンガなら)彼女を救い出す最大のモチベーションとなるはずの「藤吉郎はヒナタを好きなのかどうか」「藤吉郎は、ヒナタが自分のことを好きであるという事を、どこまで自覚しているか」の点の表現が弱いので、私が最初にサンデー13号(藤吉郎が京都に向かう話)を読んだ時は、彼が京都に向かっている理由が正直理解できませんでした。
やはりこれは、「恋人を窮地から救い出す」というヒロイックな動機ではなく、コミックス3巻掲載の「継ぐのは誰だ」編と同様、「自分が殿の側に居られる為の『資格』を得るため、あえて独力でヒナタを助けようとする」道を選んだ、って要素が大きいと見るべきなのでしょうか?
……でも、これだとやはり藤吉郎にとってはあくまで「信長の側にいられること」が最重要で、ヒナタはその目的を達成した時に付いてくるオマケキャラに過ぎないっつうことになってしまってヒナタ的には大ピンチのような気もしますが、まぁでも「このマンガは元々そういうマンガだしなぁ!」と言われてしまうと納得できてしまう辺りが何というか。
考えてみれば、ヒナタも日吉の為に慣れない予知能力を駆使して命を救ったり、コインを使って防弾チョッキを作ったりと、それなりに彼のために貢献はしているのですが、でもどうやらそれだけでは藤吉郎のハートはゲットできない模様です。
まぁ、何だかんだあっても最終的には藤吉郎とヒナタはくっつく展開になるんじゃないかとは思うのですが、そこに至るまでには、せめて「小雨の降る中、河原に捨てられていた子猫に傘を差し出してミルクをあげるヒナタを、藤吉郎が偶然目撃!」みたいな、「ああ、ヒナタと藤吉郎がくっついちゃうのも仕方ないなぁ」と読者に納得して(あるいは諦めて)もらえるような強烈なイベントが、あと一つ二つは必要なような気がしますがどうか。
やはり、このマンガのヒロインはあくまで信長であってヒナタではない、という結論になるのでしょうか。
「女の出る幕じゃない」とは、正にこの事?(用法間違い)
更新情報:
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「煩悩の部屋」の評論/エッセイコーナー(!)に、西表炬燵山猫さんの¨空想GS科学読本”(自称)シリーズ第一弾・「Fanciful science Exclusion-spirit Rader : Fry me into the sky」を掲載しました。
タイトル通り、「GS美神世界における飛行能力」について、膨大な科学知識をムダに消費しながら考察する、という趣旨の内容になっています。かなりボリュームがある論文になっていますので、時間がある時にゆっくり読むことをお勧めします。
そういや、昔読んだSFエッセイ集「マッドサイエンス入門」(堀晃/新潮文庫)に、「スーパーマンは空を飛べるのは、肛門からニュートリノを噴出して推力を得ているからである
」って説があったのを思い出しました。みんな、こういう「お約束」にツッコミ入れるのが好きなのね。 -
「煩悩の部屋」のイラストコーナーに、ここでは初掲載となるコウさんの作品「おキヌちゃん」「すこし成長。」の二点を掲載しました。おキヌとタマモのイラストです。
まだイラストを描き始めたばかりということですので、今後の期待を込めて掲載致しました(エラそう)。タマモのイラストは結構面白い仕上がりになっていると思いますよ。 -
同じく「煩悩の部屋」のイラストコーナーに、同じく初掲載となるこーいちさんの作品「星屑のスターダスト」を掲載しました。おキヌのイラストです。
絵の感じがなんか妙に古いなぁ、と思ったら、なんかこのイラストはこーいちさんが「93年にFM-TONWSで描いた」ものだそうです。FM-TOWNSですよFM-TOWNS! 懐かし過ぎ! ギャー!(悲鳴)
私も FM-TOWNS とか PC-9801DA とか更にはその前の前の世代の PC-6001 とか FM-7 とかの時代からパソコン触って来た世代ですので、こういう雰囲気のイラストにはなんかこうグッと来るモノがあります。懐かしすぎて気が狂いそうです(言い過ぎ)。 - 「MISTER ジパングベストカップルコンテスト」の弟5ステージを開始しました。
お知らせ
次回更新は 4/30 前後、その次の更新はゴールデンウィーク明けの 5/13-14 くらいを予定しています。
仕事の都合で更新作業に費やす時間(と気力)が取れないため、まだしばらく不定期更新状態が続いたり、メールや掲示板等のレスポンスも遅れ気味になってしまうと思いますが、今後ともおつきあいの程をよろしくお願いします。
ああゲームやり込みてぇ(本音)。