「お金なら初音たち稼いでるよ?」で俺の中の父ちゃんが号泣 サンデー52号絶チル感想

絶対可憐チルドレン

 皆本ハーマイオニーVer1.5編は、単なるコメディ4コマの枠を超え、人ならぬ存在であるメイドロボの滑稽な挙動を通じて「自由意志とは何か?」を追求する哲学的な領域に踏み込んで来つつある…と思わざるを得ません(買いかぶり挨拶)。

 あと、ナイはユーリが存在しなくなった今でも「悠理の側に近づくと催眠能力で猫に擬態する」超能力が解除されていないことを知りました。これじゃナイが全裸で悠理に「おじょうさま~」と擦り寄るマイドリームな展開が不可能になってしまい、ひいては悠理の中で眠るファントムが復活してしまいますよ。何とかならないんでしょうか(と言われても)。

 本編の方は、「古いものは面倒」と一方的に本家の土地の売却をしようとしている現代的な初音父と、「先祖代々の土地を金のために売ろうと言うのか?」と反対する伝統を重んじる明父が対立している構図が明確になっており、もしこれが横溝正史のミステリー小説が原作のドラマであれば間違いなく愛憎渦巻く群衆劇が繰り広げられた挙げ句に死人が出ること必至のシチュエーションなのですが、しかしこれは残念ながら椎名高志先生のマンガなので、そういう展開にはならないんじゃないかと思われます。多分。
 まあでも、金田一役があまり事件防止の役に立っていないところは一緒みたいですね。「しまったぁー!」って気付くのが遅いところとか。

 物語の構造的には初音父と明父は資産を巡って対立しているように見えますが、カップリング的な視点から見ると、初音父が「犬神家と宿木家の繋がり」を象徴する土地を売却することで、明父は「初音父が自分との関係を清算して関係を断ち切ろうとしているのではないか」と疑っており、それ故に初音父に対して怒りを感じているのでは? という妄想が浮かんで来ます。お前にとってオレとは、土地のように「古くさくて面倒」なもののひとつでしかなかったのか? これまで尽くしてきたオレを裏切ろうというのか? みたいなアレですよ。
 既に「様」を付ける必要がないのに、いまだに「様」を付けて呼んでるところからして、明父が初音父にどんな想いを抱いているのか、察して余りあります。いいですよね

 そういうアレなので、今回の話は「犯人は誰?」みたいな普通のミステリーではなく、基本的にもういい歳の子どもがいるオッサン同士の愛憎劇を妄想込みで楽しむエピソードだと思いました。今回は愛憎の憎の側だったので、次回はの側の話が見れると期待してます。時代はオヤジです。

 あと、このエピソードでは、紫穂がいい動きをしてるなと思いました。推理モノなのでサイコメトリーが活躍できるというのも勿論なんですけど、個人的には前回「明のミスで皆本と薫が同じ部屋に寝ることになってしまった」シーンで、「何か一回でも僕が妙なマネをしたことがあるか!?」と強情になった皆本に対し、薫の腕関節をとって布団に倒すことで皆本を性的に動揺させると同時に、「あたしはへーきだけど!」と言った薫に対しても自分の言葉が何を意味しているのかを悟らせ、二人に一緒に寝る作戦を断念させたクレバーさは流石です。
 紫穂は何となく、皆本の薫に対する複雑な心理を判っているのかも知れませんね。

 そして葵は、白い帽子と服のお嬢様スタイルが可愛いのでイイです(結論)。

八つ墓村 (角川文庫―金田一耕助ファイル)
横溝 正史
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個人的に「金田一耕助」と聞くと最初に浮かぶのはこれです。怖そうなので読んでないけど(ダメ)

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かわいい女の子だと思った?残念!彩香ちゃんでした!(おすもじっ!の)サンデー51号感想

銀の匙

 自分も割と農村と言って良い地方の出身で、親戚も当時は農業をやってる人が多かったので、「美味いものを人に食べてもらう時のこの人達のわくわく顔」の感覚は何となく判ります。
 今思えば、やたら野菜とか送ってくるのは「あんたんとこの野菜美味かった」って言葉を聞きたいってのもあるんかなあ。こういう付き合いを煩わしいと思うかどうかで、農村暮らしが合うかどうかが分かれるんかなあ。自分はどっちかというとダメでしたが(ダメ)。
 勇吾君は今回、絞った牛乳をお釈迦にしてしまったことをやたらと気に病んでますけど、こういう性格も彼が農業を続けていくうちに次第に大らかになったりして行くんでしょうか。大らかな勇吾の姿はまだ全然想像できませんが。

 あと先週の話に出てきた勇吾兄ですが、典型的な「頭はいいけど社会不適合」タイプの困った人間だなあという感じ。多分ラーメン屋とかの飲食店経営には向かないと思うので、ずっと放浪してる方がいいんじゃないかと思いました。
 ああいう兄と厳格な父親に挟まれて育った勇吾の気苦労が伺えます。ちょっとしたミスでも凹んじゃう性格になるのは致し方ないのかも知れません。

マギ

 最近、職場にサンデーを持っていって机の上に置いておくと、マンガが好きそうな女性から「『マギ』見たいからサンデー読んでいい?」って話しかけられませんか?(挨拶)

 今回の「マギ」は、アラジンがきれいなおねえさんの色香につられてエッチないたずらをするのがメインの、本来「マギ」ってこういうマンガだったよねーと再認識させられる内容でした(本来?)。あと個人的には、ドゥニヤ姫とヤムライハの間に主従百合が成立しそうな余地があるところに、ちょっとグッと来ました。来ますかね?(こなさそう)
 なお、職場の同僚女子から話を伺ったところ、「やっぱジャーファルですよ」的なコメントを頂いたので、今後は彼の動向も気にかけていきたいと思いました。

ムシブギョー

 基本的に「ムシブギョー」という作品は、登場人物がみんな仁兵衛に萌え萌えになって行くようにできているので、今回登場した「寺社組」の白榊もやはり最後はちょっとだけ仁兵衛にデレて帰って行きました。
 超増刊版では白榊は最終的に仁兵衛にデレッデレになったりしてたんですけど、週刊版の方の彼はどこまでプライドを維持してツンツンできるのかが見ものです。まあでも彼もいずれは今回の長福丸のようになってしまうはずなので、その過程を楽しみに読みたいと思います。

 なお先週のエピソードでは、仁兵衛の孤独な頑張りを彼の頭を撫でながら褒めた小鳥が素敵でした。今の仁兵衛を赤面させることができるのは、お春のおっぱいと小鳥さんだけです。

電波教師

 前回いきなり主人公の鑑が学校教師を首になったかと思ったら、今回は「得体が知れない危険人物ばかり」を集めたおかしな学校に教師としてスカウトされ、かつその学校の理事長は「美少女」を自称する色々とおかしそうな(頭が)美少女だったという怒涛の展開に。ここからが本当の意味での「電波教師」が始まる模様です。
 今回は、主人公の「頭の良さ」を表現する方法が「魔法少女の変身が可能であることを素粒子物理学レベルで証明する」というのが、新しいというか今っぽいと思いました。理事長の暦が語った「経済とも産業とも違う価値観がこの国には必要」なる現代日本の問題点の指摘もそうなんですが、やはりこの作品は「今作られ、今読まれるべき必然性がある」タイプのマンガだなあ、という認識です。

 にしても、「美少女」理事長の暦といい、今回登場したCERNCERMの素粒子物理学者のリン博士といい、相変わらずこのマンガに登場する女性キャラはみんなおっかないです。これでこそ東先生のマンガです。

おすもじっ!

 「うちは、お兄さまだけのもんや…
 ヤンデレ! 彩香ちゃんはやっぱりヤンデレでしたよ! ヤンデレ美少女の誕生です!(うれしそうに)

 彩香の料理の腕が凄いことは今回のエピソードで十分判りましたが、彩香がそこまで心酔している『お兄さま』は、本当にあの寿なのか? という疑問が出てきます。彩香の兄が寿である可能性は(叙述トリックでなければ)高いものと思われますが、「大志万」時代の寿は、今のボンクラでアダルトビデオが大好きな寿とは全くの別人だったのでしょうか。
 次回はこの二人が邂逅すること必至な様相なので、「おすもじっ!」第二部における最大の謎である「寿の過去」が明らかになるのかも知れません。

 あと、彩香は今のところ司を男の子だと思っていますが、実は女の子だったことを知ったらどういう反応を示すのでしょうか。精神状態が不安定そうなヤンデレさんなだけに、司の体が心配です。包丁の扱いとか慣れてますし彼女(ひどい感想)。

ちいさいひと

 掲載される度に、我々読者に児童虐待の現状を再認識させられる社会派コミック「ちいさいひと」が帰って来ました。今回は、東日本大震災直後の宮城県石巻市における、孤立した避難所が舞台の模様です。
 当時は、今回のマンガのように沢山の子供たちを抱えたまま孤立した状態となった建物が沢山あり、ツィッターに救助を求める情報が飛び交っていたことを、このマンガを読んで思い出しました。個人的にはあの時からまだそれほど時間が経っていないように思えるんですが、実際はもうあれからもう半年以上が経過しているんですよね…。

白榊が登場する超増刊版「ムシブギョー」3巻。週刊連載とは比べものにならないドメスティックバイオレンスが炸裂してます

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「あんな現実女、ボクが気にかけることは絶対ない!」 サンデー51号神のみ感想

神のみぞ知るセカイ

 「好きになるのに…理由なんてないよ!
  気がついたらもう、好きになってたのさ!

 桂馬が秩序だった論理が支配するゲームの世界に住む神であるならば、対するちひろは時として理屈が通じない、あいまいで非論理的な現実世界の人間である。それを象徴するような言葉だと思いました。

 「攻略もしてない…接点もない…それで、なんでボクが好きなんだよ!」の台詞から伺えるように、桂馬にとって「好き」という感情はあくまで攻略という手続きを踏んで初めて獲得される感情であると認識していますが、ちひろにとって桂馬を好きである理由は「気がついたらもう好きになってた」という言葉が全てであり、それ以上の理屈は必要ありません。現実はギャルゲーよりも遥かに複雑系であるが故に、斯様な非論理的な感情も(桂馬にとっては残念ながら)アリなのです。困ったことに。
 かつて桂馬はちひろのことを「現実女」と罵倒してましたけど、今でもやはりちひろは桂馬にとって(そして、この作品そのものにとっても)ままならない現実の象徴なんでしょう。

 女神探し編が始まってからというもの、このマンガに出てくる主要女性キャラクターは基本的に体の中に女神を養っているか、女神そのものであるか、あるいは悪魔であるといった、良くも悪くも超現実的な面々ばかりになって来た感があります。
 特にかのんは「桂馬に救われるのを待っている囚われのお姫様」的なポジションにいることもあってか、以前登場した時にはかのんちゃんマジ女神としか表現しようがない、神々しいまでのアイドルオーラを放っていたのが印象的です。

 しかしそんな中でちひろは、あくまで「現実の人間」というポジションに位置し続けているキャラクターであることが明確になりました。桂馬のことが好きだとハッキリと意思表示をした彼女は、もしこのまま順当に学園祭が開かれ、かつそれまでにかのんが救われれば、学園祭のステージの上でかのんと(桂馬を賭けて)対峙する機会が起こりえるかも知れません。
 もし本当にそうなったら、理屈抜きの恋ができる普通の人間の女の子として、歌でも恋でもアイドルであるかのんと正面から張り合うことができる、そんな彼女の輝く姿を見てみたいなーと、今回必死になって桂馬に自分の想いを伝えたちひろを見て思いました。ホントに素敵な女の子になりましたよね彼女。

 しかし、桂馬が今やっていることはちひろとのデートではなくあくまで「女神探し」を賭けた攻略であり、女神を探してかのんを助けなければ、上記のような機会をちひろが得ることもあり得ません。という訳で、桂馬はちひろとのフラグをへし折る作業に入らざるを得ないのです。
 そんな桂馬にとっての誤算は、ちひろとのフラグを折る工程を、本来の目標である歩美に見られてしまったことでしょう。これは荒れますよ。女子二人からモテてモテて困る展開から一転、女子二人に嫌われまくる展開に突入ですよ。ここからが本当の地獄ですよ。

 果たして桂馬はこの状態から歩美の中にいる、女神だか何だかよく判らない存在を引き出すことができるのか否か。まだまだ先は長そうです。

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ちひろ攻略編のBlu-ray欲しいなー

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