最強!都立あおい坂高校野球部
静岡県出身の私としては、静浜のピッチャー神木の根性の曲がりっぷりにもう萌え萌えです。自分が小学生の頃に読んだ野球の解説書には「ピッチャーは投球を終えた瞬間から九人目の野手となって守備体制に入らないといけない
」と書かれていましたけど、そんな基本すら無視して投球に専念するというか、投球以外は面倒くさがってやりたがらないわがままっぷりが素晴らしいです。
これでもし「あお高」が高校野球への無邪気な幻想を打ち砕くために作られたメタ的な視点を持ったマンガであったなら、こんなひねくれ者がエースなチームが優勝して「高校野球」的なものに問題意識を投じることも可能なのでしょうけど、しかし「あお高」はそういうマンガじゃないというか、むしろ努力友情勝利的少野球年マンガの基本フォーマットに沿った作品であるので、このままでは神木はあお高打線にかき回される→自分も守備しないと勝てないと認識させられる→バントを自分で捕球して神木が努力友情勝利路線に覚醒、みたいなパターンに落とし込まれることは必至の有様。神木はどこまで静岡県代表としてひねくれ者の意地を守り通せるのか、元静岡県民として期待したい所存です。静岡県関係ないけど。
というか、いくら神木が守備をしないボンクラと言えども、このままあお高がバント戦法を続けるのもちょっと少年野球マンガ的じゃないというか、同じ少年野球マンガでもむしろ「砂漠の野球部」テイストな雰囲気を醸してしまう可能性もあるので、正当派少年マンガを名乗るにはその辺のさじ加減が難しいよなと思いました。
ハヤテのごとく!
片思いだらけの「ハヤテ」界において初登場時からハヤテに片思いを抱いているマスターオブ片思いの西沢さんが、片思いの果てに得た悟りの境地をビギナーオブ片思いであるシスターに説いてハヤテの窮地を救うの巻でした。
更に今回、西沢さんはハヤテに対して不意打ちでキスした上に「惚れてもいいんだぜ
」みたいな照れ隠しの裏に本心が覗く言葉を繰り出して改めてアプローチするものの、ハヤテは遠回しな表現ながらも「お友達でいましょう
」と回答、結果的にフラれてしまう形となりました。この反応は西沢さんもある程度は覚悟の上だったんでしょうけど、やっぱりフラれてしまっていることには変わりありません。
ナギやヒナギクに対しては鈍感というか徹底的なボンクラっぷりを遺憾なく発揮しているハヤテですが、女をフる時だけ格好良くなるのは困りものです。何という女泣かせ。マリアさんから天然ジゴロの称号を得ているだけのことはあります。ダメだこいつ早く何とかしないと。
神のみぞ知るセカイ
桂馬が攻略した女子が一同に介してみんなでモンモンするの巻。記憶からは消えても心には何か残るものがあるということなのか、それとも駆け魂が抜けてリセットされたおかげで桂馬の魅力に気が付くことができたということなのか。
桂馬は桂馬で、一度攻略を終えて関係なくなったはずの女子に対して面倒見る責任みたいなものを感じ始めているっぽいですし、彼女たちと桂馬の関係はいずれまた生臭くなりそうな予感。専門用語で言うところの焼けぼっくいに火って奴?
彼女たちのバンドの話はおそらく学園祭ネタをやる時に再び出てくると思われるので、その時に今回出てきた女子たちが桂馬に対してどんなアプローチをかけるのか期待。個人的には結局ドラムをやるメンバーが集まらず、桂馬が女装してドラムを叩く展開を希望していきたい。
魔王
今回のエピソードを理解する上で、もっとも重要なキーワードを再確認します。
「蜂」はパンツを履いていません。
斯様な認識の上で今回のエピソードを読み返してみると、パンツ履いてない蜂を前にして動揺してしまう辰美と、パンツ履いてない蜂を前にしても全く臆することなく渡り合った上、蜂に「こいつはバケモノだ
」と認識させるに至った潤也とでは、もはや器が違うことは明白です。
どちらも「犬養を失脚させる」という目的は共通しているのですが、その目的に対する覚悟の違いが、「蜂」というパンツ履いてない刺客と対峙した時の結果の違いだったのでしょう。刺客のパンツの有無に動揺する程度では、己の運命と向き合うことすら叶わないのです。
「蜂」がパンツ履いてないことにここまで深遠な意味を持たせた作者の力量に感心しました(妄想です)。
トラウマイスタ
ついに最終回。スジャータは常に僕たちの側にいるよ! みたいな、宗教的なレベルにまで到達した美しい形で無事収束できたことを喜びたいです。本当にこのマンガはやらかしてましたからね。特にダヴィンチが登場してからの急展開っぷりは、間違いなくサンデー読者の記憶に永く残ることになるはず。
何というか、「今、自分は次回がどうなるのか想像も付かない週刊連載マンガを読んでいるんだ」と実感させられる、ダイナミックかつドラマチックな作品でした。作っている方からするとものすごく大変なマンガだったのではないかと思うのですが、一読者として楽しませて頂きました。感謝。
中山先生の次回作にも期待させていただきます。